指導者のもとでモラルを養うんだ、こうおっしゃる、まことに結構な話であります。具体的にどんなことをやっています。
指導者のもとでモラルを養うんだ、こうおっしゃる、まことに結構な話であります。具体的にどんなことをやっています。
具体的にどうもいままでの——私も医者の端くれなんです。いままででございましたならば医局におる、そして封建制のもとで、あれくらい前近代的なものはなかったでしょう、その医局の中で勉強をさせられる。そして指導者からこつこつと医のモラルというものをある程度承って養成せられたのでありますが、これがなくなってきておる。これにかわるものが何かないんだろうかということで、この前も質問いたしたのであります。 いま、たとえば医学概論ということをやっておるんだ、こうおっしゃいますが、これは単位になっていますか。何やっています。たとえば十四、五年前に大阪の医学部だけでこの医学概論というのを澤瀉さんが講義せられておった、これだけしか私は記憶にない。その後
医学概論というのは何やっているのです。問題は中身なんです。
前よりも進歩したような姿ですが、この医学概論というのは、医師法であるとかあるいは医療法の講義をやっているのがほとんどじゃございませんか。
医師法の中にもそのことは含まれておる。しかしながら、本当に生命のとうとさというもの、生命の尊厳さというものを真剣に考える場が必要ではないか、私はこう思うのです。 そこで、医学概論が七割ぐらいやられておる。恐らく各医学部におきましては、医師法の解説と医療法の解説ぐらいでこの医学概論というのはごまかされているのが実態じゃございませんか。内容まで御存じですか。いや、それは学長の中で医者のあり方というものを講義しておるところもないでもないとは思いますけれども、ほとんどがやってないのじゃないですか。ほとんど医師法、医療法、こういうものの解説、それで過ごしておるのがいまの医学概論の一般ではないかと私は思うのだが、どうです。
まあ恐らくこれはやっておらぬ。七割ぐらいがやっておると言いますけれども、これは私らのときでも、いまから二十年、もっと前でも、医師法の解説あるいは医療法の解説を聞かされたものです。私は、何らいまでも進歩していないのじゃないか、むしろ医局の一でやられた方がかっちりしたものができたのではなかろうか、このように思います。 そこで、このごろ金権の世の中、金さえあればすべて万能というような考え方が横行しておるというような世の中。ですから、ここで北野の富士見病院ですか、あれらの例を出すまでもなく、これは数少ないのですけれども、医者としてやってはいかぬことを平気でやる医者もあらわれてきておる。こういうのに対して、やはり文部省としては、医学教育が
この医学概論というのは、恐らく前期の場合にやっておるのではないですか、どうですか。
前期というのは、これは人間一般の教養を深める教養学部のときにやるのです。ですから、恐らく本当に患者に接しあるいは生体に接して、真に生命の尊厳さというものを真剣に考える時間、それはいつだと言えば、やはり後期のなお後半の時期ではなかろうかと思うのであります。でございますので、先ほども申し上げましたように、この医学概論というのが前期において行われておるところに私は問題があると思う。やはり考える時間をつくらず必要がある。これは恐らく単位になっていないと思うのでありますが、どうですか、単位になっておりますか。
およそ臨床研修でそういうところまで手が届くとは私には思えない。私もインターンを一年やった日なんですが、これほどくだらぬときはなかった、およそ二年町まさにブランクであったという感じを私は深くした。恐らく臨床研修と言って、あのインターンのときとは大分違っておりますけれども、このインターンをやらなければ国家試験を受けさせなかったのですから。このごろは医者になって臨床研修を二年以上やらすということになって、大分制度は変わってきております。しかし、それを二年以上やらしておるから能事終われりとするその姿が私は納得いたしかねる。これはもう一工夫あってしかるべきじゃないかと思うのですが、特に今日のように医者のモラルが問われておるとき、文部省としては
どうしたらよいものか心を痛めるというのでございましたら、ひとつ心を痛めていただきたい。それをやるのが文部省でしょう。文部省で考えることなんでしょう。制度上これを直すにはどうしたらいいか。どうです、真剣にそのことをお考えになり、大臣のお力だけではできぬとするならば、はやりですけれども、これは私、余り言いたくないのですが、諮問機関なり何なりつくってお考えになるお気持ちはありますか。
大臣、心の問題と言うのだから、それを考えさせる機関を、時期を、あるいは制度をつくる必要があるというので私質問しているのです。文部省に制度をつくらなければならない。制度というのは単位であり、あるいは教科内容なんだ。これをひとつ考える必要がある。これは制度なんですよ。だからこれを考えなさいと私は申しておる。ただ、学生一人一人の心の問題だと言ってほったらかすわけにはまいらない。これは一人一人の心の問題だから、聴診器を頭に当てて聞くわけにはいかぬです。ですから、制度上こういうことを考える時間と、そして指導者を与える必要があるのじゃないか、こう私は申しておる。だから制度を変えなさい、つくりなさい、こう申しておるのです。いかがでございますか。
それじゃお伺いしましょう。 その専門委員の中から医学教育の医のモラルの問題について制度上どうしろという提案はありましたか。
臨床研修といいますと、大学を卒業した後、大学病院であれあるいは他の病院であれ、研修病院というのは大学病院だけではないのですよ。研修病院というのは恐らく大学の病院が三分の一、そんなものでしょう。(宮地政府委員「大学が八割でございます」と呼ぶ)八割になりますか。八割になったのはいいことだけれども、あとの二割はほかですね。臨床研修の研修病院でもおかしげなところを研修病院に指定していることも私は知っている。恐らく十全会病院もこれは研修病院の指定をしているのじゃないですか。かつてはあったのですよ、昔は十全会病院はそうだった。いまはなっていませんか。
研修病院は厚生省がやるので文部省は知らぬところ。しかも、文部省が臨床研修のあり方について通知を出したところで、抜け穴があるでしょう。だから私は、こういうことじゃなくて、大学の講義あるいは大学の勉強の中で考える時間と機関をつくりなさい、こう申しておるのです。いままで阪大の澤潟さんの医学概論、あるいは言葉が違っておったと思うのですが、そういうことをやっておる病院も昔からあったのです。しかし、これは数が非常に少ないのです。ですから、ここで真剣に生命のとうとさあるいは生命の尊厳さというものを考える時間と機関をつくらなければ、なおなお医者の倫理観というのは衰えていくのじゃなかろうか。ただ、私は、そういうふうな制度をつくったところで、これは直る
戒心して努力せられると言いますが、私はともかく何らかの時間と制度をつくりなさいということを強く申し上げておきたいのであります。 と申しますのは、いまから考えてみますと、四十二、三年ころには大学紛争というものがあった。大学紛争が一番先に起こったところは医学部だった。医学部の医局制度の古さに端を発したものだろうと私は思う。しかし、その後、大学は自治を持たなければならないから、政治は介入すべからずというのが私どもの一貫した方針であった。その当時大学制度について、大学制度それ自体を改善しようといういろいろな案が出てまいりました。東京大学案も出てまいりましたし、あるいは自民党案も出てまいるし、社会党案も出てきた。しかし、案は出てきたけれど
先日新聞を拝見していますと、医師の間で脱税が非常に多いので、今度はその脱税した医者を医道審議会にかけるというような新聞記事が出ていました。これは本当ですか。
医道審議会は何をするところか、ひとつ御説明願いたい。
そうすると、医道審議会というのは医師法違反の者について処分するんだ、これが法文上の決まりである、しかし、法令にとらわれない処分も今後していきたいというんだったら、法文を直したらどうです。直さなければできないでしょう。
そこで、私は医道審議会に脱税した医者をかけるというのはおおよそ行き過ぎだと思うのです。脱税した者についてすべて医道審議会にかける、そして医師法上の処分をするということになってくると、他の職業もそういうふうにせざるを得ない。脱税というのはあなた方どう考えているのですか。脱税はどの付近までを脱税と言っているのか、ここらあたり分析してお考えになっていますか。
脱税の悪質、良質というのはどこで決めるのですか、ちょっとお伺いしたい。