どうですか。
どうですか。
そんな話はしませんでした。私の友人だという話をしました。
ただ立派な人であるというお褒めの言葉があつたと思います。立派かどうか知りませんが……。
そんなことは言つておりません。我々みたいな若造ですから、そんなことは福田さんとしては常識でそんなことを言うことはないと思います。
そんなことはない筈ですね。その当時そんなふうに、党とか何とかいうふうに私考えておりませんです。
確か夕食を招ばれて帰つて来ました。
別にありませんですね。
これも日野さんは誰から紹介を受けたか、柴田君ということになつておりますが、どうもその辺のところが、いつ頃だつたか、誰から紹介をされたかということははつきりしないのですが、二十一年の春頃から知つておることは確かです。
関係だけでよろしうございますか。金銭的の関係もですか。
日野さんとは昭和二十一年の春頃から知つておりまして、先程も申上げました通り治安という問題が非常に私たちも考えておつたものですから、私自身も考えておつたものですから、そういう関係から日野さんとも親しく……個人的に親しくするようになつて、そうしていろいろ警備情報をとるのにいろいろな費用も要ると思いましたから、私の方から是非警備費に当てて呉れということで、昭和二十一年の多分秋ぐらいから二十三年の暮か或いは二十四年の春頃までと思いますが、これも金額がはつきりいたしておりませんが、十万円程度ぐらい出しておるのじやないか、こう思つております。
いやそうじやありません。全般的の警備費です。
そういう意味じやありません。
それは暮盆くらいに少しぐらいやつておると思います。
会合はたびたびあります。
そうでございますな。はつきりしておるといいますと、二十三年の五月頃に一回、小石川のもみぢであります。それから二十四年の八月か九月頃に向島の八百松であります。それから池袋の、ちよつと名前は忘れましたが、所でも一回あります。それから牛込の植木でもあります。きくかわもあつたと思います。大体そんなところじやないかと思いますが……。
別にこれということはありません。皆そういうわけでお互いに協力していこうという立場でおりましたし、私自身もまあ治安の意味から非常に優秀な人ですから、是非一つそういう面で活動して貰いたいという意味でときどき会つておりました。
それは自警会の出入り商人ではなくて逆でありまして、先程申上げた通り警察後援会の評議員をしておつたり何かしておりましたので、厚生物費が非常に足りない、何とかして呉れということで、こつちが逆に警視庁から頼まれて物資の斡旋をやつたことがあります。
紹介ということでなく、逆に頼まれた形になつております。自警会の方の係りの人から、こういう事情で困つておるから何とかやつて呉れないか、私自身としては厚生物資をできるだけ集めて上げることが、やはり警察を後援する一つの目的じやないかというふうに考えたものですから、できるだけしましようということであつたのです。
すべてというわけではありません。それも警視庁の調書には日野君から受けたというように書いてあるかも知れませんが、そういうのではなくて、検察庁に行つてもその問題について話をしたんですが、全部が全部日野君を通して知つたということじやありません。
日野さんは塩谷さんから紹介を受けた人じやありません。