とにかくそれは、私は六日の日にその勾留状を見せられたと思います。そう記憶しております。
とにかくそれは、私は六日の日にその勾留状を見せられたと思います。そう記憶しております。
留置はされておりましたけれども、勾留状をみせられたのは六日の日だと思います。
はあ。
さあ細かいところまでは見ておりませんので、分つておりません。
さあ、ですね、留置場の出入りを見て貰いますれば、一番はつきりすると思いますが、二十四年の十二月二十六日から大体涜職関係という問題に触れて来ておりまして、特に警視庁内部との関係について相当追及がございました。まあ朝早いときは九時ちよつと過ぎから夜の九時くらいまでのこともございました。晝間食事の殆んど……。
こずき廻すということはありませんが……。
それは当然あると思います。
大体毆つたりなんかされたことはありませんが、腕を持つて書けとかということは言われたことはありました。地下室でやつておりますから、小さい部屋ですから、四人、五人入ると一杯になつてしもう、ですから相当調べについては峻烈であつたのじやないかと思つておりますし、気の弱い者でしたら、或る程度参つてしもうのじやないかという感じを受けました。
これは直接手を出されておりませんけれども、そういうふうに圧力は加つておる。
そういうふうになるわけですね。
ございます。
はつきりは分りませんが、半分くらいはあつたのじやないかと思います。
これは留置人名簿を調べて貰えばよく分ると思うのであります。遅いときは、九時、十時までありました。或いは調書を取るときやなんかは、割合早くあれした場合もあります。
あると思いますが、お調べ願いたいと思います。
それはですね、私が逮捕されましたのは十二月十四日でございまして、二十四日までは一応詐欺事件についての調書並びに調べ、恐らく調べというものは余りありませんでした。調書を書く……。
十二月十四日です。それから二十四日までです。
はあ。
ええ、その間調べということよりも、調書を取るということに殆んど日にちを費しております。調べられて調書を取られたということになると思います。十二月二十六日から……それまでは主任の宗像警部補が直接調べながら調書を取つておられました。二十六日から大久保部長並びに岸田刑事が、これからわしがあなたを取調べるのだということを宣言されまして、大体涜職といいますか、こういつた関係に向つて、いろいろ取調べを受けました。但し調書の内容は、詐欺事件の金の使途ということについて調書は取つてあります。
それは勿論そうであります。
はあ。