前のは兄貴分です。
前のは兄貴分です。
伯父貴分というのは横浜にあります。登内重輔と言います。
一人です。
尾津喜之助と私とは親分が一緒の関係上、小倉米三郎というのが親分でありまして、尾津とは「のれん」兄弟になつております。その子分に尾津喜之助も私もいたわけです。それで私は親分から盃を貰うと間もなく仙台に行きまして、横田末吉の家に家業養子に行きました。
そうじやないのです。いわゆる「のれん兄弟」で親分が一緒なんです。
そうです。
そうです。飯島一家というのが東京にありまして、その飯島一家の中に小倉米三郎というのもいた、いろいろなのがいたわけです。その乾分の中には尾津喜之助とか、そういうのが枝葉になつて分れているわけです。別に付き合うしいつても奥州に來てしまつたら関係ないことになるわけです。終戰前は汽車が逼迫しない間は、かなり行つたり來たりしましたが、全然一年に一回も会いません。
そんなことはありません。奥州にはまだまだえらい人が沢山おります。仙台はそんなことじや駄目なんです。
はあ何人もおりますね。外は皆個人経営みたいなやり方をしていますね。私のところは協同組合でやつておりますから。ここにも齋さんがいらつしやいますから聞きになつたらよく分ると思います。
さあどんなもんですかね。
しました。
昨年の六月だと記憶します。
二十二年の六月です。
古式といつて大体傳統の式がありまして、それによつてやつたわけです。
はあ、そうです。
そうです。
來ました。
皆來ましたね。檢事も來ましたし、知事、市長、ああいう連中みんな來ました。
つまり丁度アイヌの熊祭りをやるみたいで、珍らしいというので好奇心に驅られるのと、一つは商賣柄どういうものがいるか参考にしておきたいというので、是非見たいというようなお申込が警察でも方々でも随所にありました。
こつちからはわざわざしません。大体人に見せるものじやありませんから、ところが、こういうわけで参考に見たいからというので、それでは混雜するといけないから招待状をやるから見に來て呉れというわけで差上げたわけです。