ですから、今までのようなルールではなくて、そこで認められたものではなくて、新しいルールのもとで再チャレンジできるということを申し上げています。
ですから、今までのようなルールではなくて、そこで認められたものではなくて、新しいルールのもとで再チャレンジできるということを申し上げています。
今現在、四年制で運営されている学校の中でも、倒産をしたり、いろいろな不祥事があったり、あるいは東専学の問題でありますようにいろいろと不正経理があったり、教育界、現在ある中でたくさんの問題があるので、その予備軍を出さないようにするということも大事です。 そのためには、先ほど馳委員も言われたように、やはり答申で十月末、十一月に認められたら、そこから準備をして、建物の工事をつくるとか教員の手配をするような、そういう余裕を持った設置審にしていかないとならない。そうじゃないと、早いところ、早いところは先に、ああ、ビルをつくっちゃいました、教授もあれしました、パンフレットも集めました、もう生徒も来ます、だから、泣かせちゃ困るから許可してねと
やじを飛ばしたり、どなったり、前は委員長のときに、私のそこのマイクも飛ばされた馳浩さんが本当は非常に優しい人であるということは私もよく理解しておりますけれども、本件については、独走であるとか、そういうことではなくて、もう六十数年間、戦後ずっとずっとこういう形でもって、もう諮問が上がってくればそれをよしとしてきていたということを見直さないでいたために、今現実に、何度も何度も繰り返しています。一日二日で五つ六つの学校名が挙がってくるぐらい、経営難であるとか、借金であるとか、トラブルになる既存の大学があるんですね。 そういう中で、またそれに、みんな初めは青雲の志でよかれと思ってつくっているんですよ。問題を起こそうなんて思っている学校は
再三再四、朝から繰り返していることをもう一回繰り返させていただきますけれども、三大学は、今の設置認可の仕組みのもとでは新設を認めることはできません。見直し後の新しい基準に照らして判断いたします。 要するに、現時点で、先ほど来皆様がおっしゃっている三大学に対する不認可という処分は行っておりません。
初めてあの学校に馳先生や皆さんと一緒に伺って、どの方がそういう方なのか、おられたかどうかということは全然わかりませんでした。
石原委員の御指摘は非常によくわかります。なぜかと申しますと、今おっしゃった原発の浜通り地域は、うちの主人のかつての選挙区でありますし、実家もお墓もありまして、流されたりしていますので、その方々の御労苦、妊婦と子供さんだけでなくて、避難せざるを得ない方たち、その方たちは具体的によく私どももわかっております。 ただ、確かに所信表明の中で短かったということは本当に申しわけないと思っておりますけれども、その他たくさん盛り込んだということもありますけれども、私、具体的にできることは、先週も閣議がありまして、あの浜通りの辺の除染の問題とかそういうことが結構話題になっていて、確かに、今、石原委員がおっしゃるような視点というものが具体的に盛り込
高松委員が、わざわざ差しかえて、秋田県御出身で、地元の声を代弁して来ていらっしゃること、皆様がどういう思いでいらっしゃるかということは私もよくわかっております。 ただ一つ、ちょっと今、私の聞き違いか、皆で確認したんですが、先ほど、十月十二日か十五日に文科省から何かいい言葉があったとおっしゃいましたか。ちょっと勝手ですが確認させていただけますか。そして、十月二十六日にええっとなって、十一月二日に違う電話が来た、落胆したとおっしゃったんですが、十月十二、十五の辺で、文部省から何とおっしゃられましたか。ちょっと聞き取れませんでしたので。
私も、血も涙もないわけではありません。おっしゃっている意味は非常によくわかっております。 しかし、ここはお気に召さないんでしょうけれども、ちょっと聞いてくださいね。 要するに、現時点では、結論、先ほど来言っていますけれども、不認可の処分を行っているものではないんです。いいですね。そして、新しいルールでないと、るる今委員がおっしゃったように、もう御存じのわけじゃないですか。いろいろな不祥事が起こっていて、既存の大学の中の問題、これは刑事事件になりそうなものまであるんですよ。それでもって、本当にあすから行く場がなくなって困っている子供たちもいるんです、現実に生徒たちが。そういう人たちも悩んで苦しんでいるんですよ。 そういうこ
本当に恐縮でございます。血も涙もありますし、済みませんね、立場上こういう答弁をしまして。 現時点では、三大学に対する不認可の処分を行っているものではありません。チャンスはあるということをお伝えください。
かつて安倍政権下で指摘された、書き込まれたといいますか、教育基本法の精神というものは、例えば家族を大事にするとか、日本を愛する、それから祖先を敬ったり、子孫や伝統やら文化、そして日本固有のものを大事にするということは本当に大切なことだと思いますし、逆に言うと、こういうことを今さら教育基本法に盛り込まなければいけないということが今の日本の現状をあらわしているといって、ちょっとせつない思いになります。 しかし、これを現実に日本国民の中に教育の面あるいは家庭教育、社会教育を通じて上手にいかにして浸透させていくかということが基本になろうと思いますし、あらゆる方々の英知を結集して、これを現実のものとして獲得するために何ができるかということ
戦後すぐと違って、今の御時世ですから、言ったからといってまた反発するような人も中にはおられるかもしれません。十人十色です。しかし、やはり基本は決して間違っていないと思いますので、むしろ、これをうたわなきゃいけないところが日本の現状の悲しいところかなと。心の中にも全部着床して、そのように行動ができればいいわけですし、昨今のようなこんなぎすぎすした事件も起こらないかもしれません。 したがって、それをやはりどうやって自然に抵抗なく日本人の美徳として修練していくか、身につけてもらうかということの知恵と努力が、立場を超えてみんなでするべきことであろうというふうに考えております。
世の中にはどこの国でもさまざまな視点があると思っていますが、私個人の見解でいきましたら、やはり、まず小さいときの家庭教育、次いではコミュニティー、そして学校、公の、パブリックなところですね、それが小学校、中学、高校、大学、社会人になっていくわけですけれども、コアの部分のことは家庭においてしっかりと、守るべき、人の目を見て話をするとか、伝統とか、正座の仕方とか、そういうふうな振る舞いに至るまで。それから、知識でももちろん日本の基本的な伝統とか教育とか歴史とかあると存じますけれども、そういうことについては、小さいときの方が自然に抵抗なく身につくものだと思うんですね。 今の社会で難しいことは、生活パターンといいますか、習慣が変わったこ
今、免許更新制度の、修士レベルのことをお問い合わせになっておられますけれども、私個人の、また議員としての意識といたしましては、私は、二年生議員のときでしたか、教員の免許法特例法案といって、教員の資質を上げる議員立法をいたしました。また、勝手ですが私の親のことを申しますと、戦後すぐに人材確保法案ということを申しまして、いかにして他人様の子供を教育する人が、能力、学力だけではなくて人格も高潔で、立派な人でなければいけないかという意識を偶然親子二代持っていて、そういう法律をつくってきております。 そうでありますけれども、修士レベルという教員の大学院という問題もあるとは思うんですが、それ以前に、今問題になって、多分、傍聴にたくさんいらし
日程を見て検討いたします。
午前中来、再三再四にわたって御説明を申し上げておりますし、委員も十二分に御存じだというふうに思いますけれども、十二分におっしゃっておられる意味はわかりますけれども、余りに、戦後六十七年近くも、このような設置審のありようで、結果的には、学校が倒産をしたり、その通っている生徒さんたちの被害が、そして不祥事が警察マターになるようなところまであるんですよ。大学だけではありません、東専学の問題もありますけれども。 そういう中で、初めはみんな善意でやっているんですよ。ですけれども、今の少子化と経済の状態とか地域性とか、この間から申し上げています、どういう基準で、新しい、どういう人選をして、どういう基準の設置審をつくるかという中に答えがあるん
役所という御指摘も当たっているかもしれませんが、戦後ずっと担ってきた政権、自民党も、たくさん大臣経験者がおられたじゃないですか、さっきまで、今一人おられますけれども。そういう政治家の責任、こういうことについても考えなきゃいけないから、何とか、いろいろこれだけ誹謗されていても、どこかで誰か変えようと思っているから、ですから、血も涙もあってわかっていますよ。(発言する者あり)わかっているかどうか、後でわかります。
先ほどのことをもう一回申し上げますけれども、皆様の議論、午前中だけではありません。世間の声、寄せられているメール、ネットその他を含めて、心耳を澄ませて、しっかり私なりに認識をしています。 三大学の設置認可については、本日、委員会での質疑、今も継続中です。そして、夕方お見えになる三大学の関係者の御意見も踏まえて、私が会う、会わないとか、そういうことよりか、現実を踏まえて慎重に検討してまいりたいと思います。真意をよくわかってください。
お答えいたします。 けさもお話ししたことですけれども、本件に関して、文部省マターで申しますと、学校教育法では、四条の一項というのがありまして、そこで、大臣が認可をすると。ですから、一つのメジャーメント、基準がありまして、それに合わせて申請してくる、そしてそこで、申請というか、それを設置審が討論をして、それをクリアしていれば一応いい、それで全部決まりということではない。 今まで結構、戦後六十何年間、それでもいいというふうな判断で来ていたんですけれども、余りに時代が変わっているので、私は、あえて、四条の一項で大臣が最終的に認可をするというところを行使しているわけでございます。
文部科学省だけではなくて、教育行政に関心を持っているあまねく日本じゅうの方たち、審議委員も含めて、皆様が、傷つけたとは思っていませんけれども、びっくりして目を覚まされたというか、そういうところがあると思うし、それから、やはりもう一回原点に立って考えなきゃいけないんだなということ、特に我々政治家がそういうことを考える契機になったかな、なるといいなというふうには愚考いたしております。
冒頭に申し上げますが、私は、十一年前だと思いますけれども、小泉内閣の外務大臣を拝命しておりました。そのときに、午後の審議だと思いますが、突如、鈴木宗男さんという方が、まさしく今先生がおっしゃった、家族と何とかということを言われて、私は驚愕をいたしました。今は少し年を経て落ちついてきました、違ったことを言われても。しかし、まだこんなことを、あのとき私は鈴木さんに申し上げたんです。どこでそんなことが、どこに書いてあるのか、私はあなたとおつき合いがありませんから知りません。そうしたら、いや、そういうことがどこかで言われているんだと。そんなことを外務委員会で全局長もメディアもいる前で、これは人格攻撃であり、証拠もなく、自分が捏造したんじゃな