いま、一つ例として日米をあげましたけれども、原理、原則を申し上げると、仰せのとおり、それが根本の問題でございます。日米間の漁業問題としては、そのほかにいろいろ実績の見方の問題とか、それぞれ実態的な問題もあったと思いますが、原理、原則の点は、一方的設定を国際法上の権利として認めるかどうかということが根本であったわけであります。
いま、一つ例として日米をあげましたけれども、原理、原則を申し上げると、仰せのとおり、それが根本の問題でございます。日米間の漁業問題としては、そのほかにいろいろ実績の見方の問題とか、それぞれ実態的な問題もあったと思いますが、原理、原則の点は、一方的設定を国際法上の権利として認めるかどうかということが根本であったわけであります。
それが世界の国の間で意見の分かれているところでございまして、私どもは伝統的な日本の立場からいたしまして、領海以外は公海なんだから、公海について、ある限られた分野にしろ、沿岸国が主権を及ぼすようなことをすることは、管轄権を及ぼすことは、それによって影響される国の同意なしにはできないはずである、そういう原則の立場に立っておるのに対しまして、国内法でもできるという国は、まあ原則はそうかもしらぬけれども、世界のこれくらい多くの国がもうこういうことをしておるから、これはいまやそういう国際の慣行が樹立されつつあるんだ、あるいは樹立されたんだ、そういうふうに説明するわけでございます。しかし、その説明に対しては、日本政府としては承服しておらないとい
入り会い権というような一つの国内法上の用語を使いますと、また誤解を生ずるかもしれませんが、とにかく従来の実績は尊重せらるべきであるということでございます。
国内法のどういうレベルのもので措置するかということは、これはどうも国際法の問題ではないと存じます。
そのときの私の答弁は、地位協定で現地の労務に対する需要の意味合いにつきまして、日本国内で働く者ならば差しつかえないが、国外に出ていく者まで提供するのはけしからぬじゃないかという趣旨の御質問に対しまして、船員というものの特殊性からいって、日本の領海から一歩も出てはいかぬというのでは話にならないという意味でお答えしたわけであります。それで、それではどこまで行けるかというと、結局安保条約の目的によってしぼられてくる。それは極東の平和、安全の維持ということで、これが目的でございますが、この極東の観念を安保条約のときに説明いたしたときから明らかにいたしておりますように、この極東というのはいわば目的の範囲であって、行動の範囲ではない。極東の平和
当時のアメリカのダレス代表の説明は、連合国の中には、これらの諸島を日本から取り上げてしまえと言うものもあり、また、ある連合国は、日本の領土のままにしておけと言うのもあって、結局、その中間と申しますか、いまの第三条のような規定の形が、連合国全体、大部分が一致して受諾可能と認めたものであったと、そういうような説明ぶりをいたしております。
安保条約の改定が行なわれましたときは、朝鮮動乱が休戦によって事態が平静になってからもうだいぶ経過しておったわけでございますが、この休戦協定が破られてまた戦闘が再開されるやもしれない、そういう事態を頭においてああいう規定にいたしておるわけでございます。
この安保条約を改定いたしましたときに、吉田・アチソン交換公文についてのあと始末もいたしたわけでございますが、これには、「日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定が効力を有する間、引き続き効力を有する。」とございまして、それじゃこの日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定はいつまで効力を持つかといいますと、朝鮮動乱のあと始末がつくまでと、こういうことに大ざっぱに言えばなっておるわけでございます。
ございます。
この国際連合憲章で自衛権の観念を従来よりも、従来の国際法上で言われた自衛権よりも広げまして、個別的または集団的というふうにいたしたわけでございますが、アメリカが南ベトナムの要請によってとっておる軍事行動というものは、二つに分けて言えば集団的自衛権の行使のほうに当たるというわけでございます。その自衛権の行使としては、本来南ベトナムが自衛権の行使としてやり得る以上のことはやっちゃいけないわけでございます。つまり侵略に対処するために必要最小限度の軍事行動しかとっちゃいけないわけでございますが、従前もベトナムだけで北からの浸透を封圧するための軍事行動をとっていたけれども、それでは一向らちがあかないというので、おととしの二月でございますか、北
従来の国際連合憲章ができる前の国際法理論から言いましても、ある国がほかの国から不当な侵略を受けたときにこれを助ける行為というものは国際法上禁ぜられていたわけじゃないわけでございますが、それを国際連合憲章では集団的自衛権というふうな名前をつけたわけでございます。それはしかし、本来その侵略を受けた南ベトナムがとり得るであろう軍事行動以上の行動をとり得るという意味じゃなくて、ただ南ベトナムだけでは自衛権の行使に十分な武力を持っていないような場合に、それを助ける国の行為を集団的自衛権というふうな名前で説明する、これが国際連合憲章の考え方でございまして、昔からの伝統的な国際法で言えば、アメリカの自衛権というものではない。しかし、南ベトナムの行
集団的自衛権を行使する場合にやはり前提として統治国の間に条約関係がなければならないということはございません。それは要件になっておりません。そしてアメリカが集団的自衛権と申しますか、とにかく自衛権を援用して違法性を阻却しなければならないような軍事行動をとったのは、トンキン湾事件のときが初めてでございます。一九六四年の八月でございます。それ以前は南ベトナムの領域内で、いわば治安を乱す分子に対して、武力を行使しておった、これは何も国際法上自衛権を援用する必要のない行為だったわけでございます。トンキン湾事件の際、初めて公海上で北ベトナムの艦艇と衝突、砲撃し合った事件があるわけでございます。そのときに初めてそういう五十一条を援用しなくちゃなら
SEATO条約に、条約の当事国としてではございませんが、仏印の地域について要請があったときには、SEATO諸国がそれに対して援助の手を差し伸べるという規定はございます。しかし、法理論といたしましては、先ほど申し上げましたように、一国が他国を助けて軍事行動をとるためには、その前に条約上の相互防衛関係と申しますか、そういうものが設定されていなければならないということは、国際法上必要とされておらないわけでございます。
直接南ベトナムとアメリカとの間の条約関係に基づくものではないということは、そのとおりでございます。
アメリカに対して日本が侵略するかもしれないという懸念は、少なくとも表面に出た文章では沖縄の地位をいまのようにする理由としてはあらわれていないと思います。ただ、オーストラリア、ニュージーランド等が日本の再軍備あるいは侵略主義の再興を懸念しまして、日本のそういう傾向になることを懸念してアメリカにそういうことを頼んで、あそこに一つくさびを打ち込んでもらうというような考慮があったということは、何かの文献などで見た記憶がございます。
日本政府といたしましては、実は平和条約締結につきましては、先ほど稲葉委員も御指摘のとおり、交渉の相手方とはされなかったわけでございまして、ただ意見はいろいろ言う機会を与えられたわけでございますが、そういうときには必ず沖縄の点につきましては、たとえ平和条約の規定はどうあれ、信託統治などにはしないで、できる限り早く直接日本に返還してもらいたいという態度をはっきり表明いたしております。あるいはそういう日本の希望に沿うということで信託統治にすることをいままで差し控えておったと考えるのが一番筋が通っておるかと思います。そういう説明を聞いたことはございませんが。
戦略区域としての信託統治とほかの一般の信託統治は、戦略でございましたら安保理事会が所管、そういう違いがございます。
戦略地区ではなくて、非戦略地区であるということでございまして、別に、信託統治の内容そのものはそれぞれの信託統治協定によってきまるわけでございますから、この国連憲章の規定自体からは、所管が違うという以上には区別は別に規定されておらないわけでございます。
そのとおりでございます。
沖縄につきましては、私どもは、平和条約が国会にかかった当時から沖縄住民が自治能力がないというようなことはあり得ないことなんで、したがって、かりに沖縄が信託統治になってもこれは七十六条の二号のようなことは沖縄の場合にはもう必要のないことなんだ、そういうふうに説明いたしております。これは一般に信託統治を行なう場合にこういうようなことを心がけて行えよという趣旨の規定でございます。こういう規定があると自動的に、何といいますか、たとえばナウルが信託統治である、ナウルの住民が独立したいというとすぐ独立させると、そういうことじゃないわけでございまして、 〔委員長退席、理事石原幹市郎君着席〕 沖縄の場合に信託統治になっていないのは先ほどから