ようやく戦闘から生き延び得ました開拓民が、ハルピンだとか、あるいは新京だとか、奉天などの大集結地に集まった後に、特に婦女子でございますが、多数死亡をしております。その人たちは、長途の避難行の途中において暴行を受けたり、帰ってきた人たちの話によって、女がいかに苦しい目にあったかということを、私も現地の人に聞いたのでございます。飢餓に迫られ、そうしてとうとう集結地で死んでおりますが、この病死者に対しては、いかなる御処置をしていただいておりますでございましょうか。
ようやく戦闘から生き延び得ました開拓民が、ハルピンだとか、あるいは新京だとか、奉天などの大集結地に集まった後に、特に婦女子でございますが、多数死亡をしております。その人たちは、長途の避難行の途中において暴行を受けたり、帰ってきた人たちの話によって、女がいかに苦しい目にあったかということを、私も現地の人に聞いたのでございます。飢餓に迫られ、そうしてとうとう集結地で死んでおりますが、この病死者に対しては、いかなる御処置をしていただいておりますでございましょうか。
お言葉、ごもっともと思います。私どもは、過去十年の間、初めには何らの措置もして差し上げられなかったのであります。遺家族に対しましても、何らの措置もできず、次第に国の財力がついて参りまして、日本もどうやらかっこうがついて参りましたに従いまして、エレベーター式でなくて、エスカレーター式に、一段丸々といろいろな援護措置もとられてきておりまするので、私のお願いしたいことは、一時にどうしてもほしいというわけではございません。この人たちのことを、厚生省の援護局が忘れないようにしていただきたい。そうして、そのうちに何とか解決の道を講じていただきたいということを、私は切にお願いをするものであります。そして、満州の開拓指導員は、昭和二十一年三月三十一
これは、公務員でございます。いわゆる日満両国政府によって、この人たちは指導員たらしめられた人たちなのでございますから、ぜひ一つお調べを願いまして、何とかこの人たちにも法の恵みがかかりますように、私は切にお願いをいたしておきます。それでは、きょうは私はこの程度にいたしておきますが、今お願い申しました点をぜひ一つ早急にお調べ願いまして、何とかの御回答をいただきたいと思います。これで打ち切ります。
私はこの憲法ができました際に、金森博士のお言葉が新聞に載っておったのを思い出すのでございますが、こういう憲法あるいはいろいろな法律ができた、しかし何年かたったあとには、必ず壁にぶつかるときが来るであろうという御発言があったことを私は新聞で見たのであります。あのときの世界情勢、というものは、日本とドイツ、イタリアさえつぶしたら、世界に平和が来るという確信を連合軍が持っておった。そのために、結局日本の軍国主義につながるものとして、これを宗教法人の中に入れ、憲法では宗教の自由を唱えましたが、そういうことによって、いわゆる国民の関心の的すらもなくしてしまったというような、何と申しますか、一種の盲信、力のなくなった日本に対する連合国の一つの恐
一番初めに小山さんに伺います。蒙古の方で十五年の刑を言いつけられてノルマをあげて、切り上げて釈放された。そうして中共に引き渡されて、また未決に入れられて何カ月かの刑を受けた、と言われた。それはどういうわけでございましょうか。すでに刑を受けた人が、なぜ次の国に行ってまたぞろ罪人扱いをされなければならないかということがどうも受け取れないと思いますので……。
今度新しく四カ月ですか、五ヵ月ですか、刑を言い渡されたときの判決は……。
それじゃ罪名も言われないのでございますか。
ただ何となしに……。
それでは、あなたはいわば無罪の人でございまするが、そういうことを訴え出るような場所はないのでございますか。いわゆる無実の罪を着せられているのですから、自分は無実の罪である。すでに与えられた刑は終了したというようなことの、いわゆる人権擁護というようなことはないものでございましょうか。
それは人民裁判ですか。どういう裁判ですか。一つの国から新しく来たというので、また人民裁判にかけられるのですか。それとも普通のわれわれが承知している裁判にかけるのですか。
そうしますと、吉崎さんのお話を承わっておりますと、関東軍が下に下ってしまった、そうして御婦人及び子供たちを守るためにおるへきはずの男性も召集されて、関東軍の方へ、みすみす終戦を控えて行かなければならなかった。しかも向うに行ったときの状況を見てみますと、個人の希望が行ったものではない。そちして軍が、初めは農村の三分の一でございますか、それを向うへ移すというようなことであったのが、結局これが防衛のためであったと申しますと、ある意味におきましては、国がぺてんにかけて、向うへ連れて行ったと言われても、私はやむを得ないであろうと思うのでございます。大阪にもこの自興会の方々がいらっしゃいますから、私もよくお話を伺うのでございまするが、いわゆる学
それでは、保留いたしましょう。
関連して。今の政務次官のお考えは、私どももこの間ちょっと理事会で話し合いましたときも、どのルートが一番早いか、確実かというお記をいたしておりましたが、今後その十人の方がお帰りになるときが一番直行であろう、ぜひこれでお願いしたいということを、おとといでございますか、理事会でも考えておりましたので、ぜひ一つその一番確実な方法で、私どもは政務次官の政治力に大きな期待をかけておりますので、これを実現いたしていただくように、省内でおまとめいただくようにお願いいたしたいと思います。
ただいまドイツの場合のお話が出ましたが、これは結局引き揚げ促進という政治的のみのねらいであったのではなかろうかと聞き及んでおります。私どもがねらいますところは、前の委員のお話は、政治的にもあるのだが、しかし私どもは、政治的のみでなく、一番大きなねらいは、結局慰問品を送るという気持を国民にも起させる。数がだんだん減ってきておりますから、何だかすみっこの方に押しやられたような感じを家族が持っておることは確かでございますから、私はそう小さくいらいらと神経質に郵政省がお考えになる必要はないのじゃないかと思うのでございます。外務省あたりから郵政省に、こういう問題について横やりが入ったのでしょうか。郵政省は法律に従って行動をされればいい省であっ
中立というお話は、私は受け取れないのでございます。これは人道問題でございますから、人道問題に中立があるのですか。私はおかしいと思うのです。これは人道問題でございまして、これには左も右もない、中立もない。ただ一本やりじゃなかろうかと思うのでございます。人道問題に立つてのこの委員会でございますし、郵政省が中立をお守りになることは、それが郵政省の基本原則であれば、これはまあそれでよろしゅうございますが、私どもは人道問題を掲げていっているのでございます。この人道問題に中立があろうはずがないという観点から申しますれば、当然帰ってくるべき人が帰れない、しかもまた私も舞鶴へ行って、若い人が歯がぼろぼろになるほど栄養不足であるという現実を見てきてお
この際、動議を提出いたします。委員長の互選は、投票を用いずして、原健三郎君を委員長に推薦いたしたいと思います。
今の切手の問題についてでありますが、これまで私どももいろいろな場合に、こういうことのために国民運動を起すといっても、それを起すことについて金が要る。だから切手が一番いいんじゃなかろうかということで、これまでやってみましたけれども、これがなかなかむずかしいことであるということでケリがついてしまったことが再々あるのでございます。けさの新聞を見ましても、そういうふうに書いておるのでございます。当局としては、あるいはむずかしいとお考えになるでございましょうけれども、苦しい生活をしている人たちのためでございますから、それを乗り越えてやっていただくようにお願いしたいと思います。お金がかからないで結果を大きくするためには、これが一番いいんじゃない
援護局にお伺いいたしますが、そういういわゆる日本人にあらざる引揚者は、大体何人ぐらいでございますでしょうか。
いかなる状態でお引き揚げになるかわかりませんけれども、引き揚げて見えたときに、援護局は、こういう人にもやはり同様な一万円、あるいは引揚者に与えるだけの恩恵をお与えになるかどうか。私も今晩たってあした向うに行かなければなりませんので、実はただお尋ねするというだけでなしに、参考として聞かせていただきたいと思います。
これはみな家族関係において帰ってきている人たちと御考察になりますか。