エンジンでしょう。どこだい、フレームなんていったって、私は英語はどうもわからぬで。
エンジンでしょう。どこだい、フレームなんていったって、私は英語はどうもわからぬで。
型式って何だい。
私は、実は奇々怪々なるうわさを聞いたんです。といいますのは、自動車が事故を起こしますね、がちゃんと。そうすると、うしろのほうがいだんだ場合と前がいたんだ場合とがございますね、自動車には。そうしますと、このごろは溶接技術が御承知のように五十万トンのタンカーでも電気溶接がぴっぴっとできるような世の中になっておりますので、前の部分とうしろの部分をくっつけてそのまま走らしておるという事実を私は聞いたのであります。聞いたことはありませんか。聞いたことがないとすると、あなた方のその陸運行政というものはいかにずさんなものかということがよくわかる。
私、いま通産のところで聞いてきたんですが、中曽根さん言いよりましたが、役人より商売人のほうが頭がいいんだそうだ。だから、頭の部分とうしろの部分とががちゃんとなったのを、まん中で断ち切ってくっつけるという技術が実は開発せられておるんですよ。あなた方、そういうことがないと断言できますか。そういうような欠陥車が現在走っているんです。やっているところはどこだといいますと、やはり通産省指定の整備工場ですか、そこらあたりでやられておるという事実を私は聞いたのであります。目撃したわけじゃありません。こういうことが現在の溶接技術からするとできると思います。だから、製造したら刻印をもっとたくさん打つ必要があるのじゃないか、こう思うので私は聞いているの
若いうちからそんなずるい国会答弁をするようでは困る。いいですか、年に一回しかあなた方は監査しないのでしょうが。盗人と浜の真砂は尽きることはないと昔からいわれておるから、頭だってあなた方役人より商売人のほうがいいということを、さっきも私、中曽根さんから聞いてきたところなんです。ないとは言えませんよ。それでは私が、この自動車はどうだと言ってやったときには、あなた方はどうします。自動車局長、ああいうような言いのがれの答弁をしているとそういうことになるのだ。私の言っていることを一つの忠告とすなおにひとつお聞きになって、そして欠陥自動車をいかに少なくするかということを真剣にお考えになるのがほんとうじゃございませんか。どうでございます。
私は事実聞いておるのです。二台だめになったけれども、一台刻印のところが安全であれば、一台だけはそれを使って一台廃車にすれば、一台浮いてくるわけです、二台事故を起こしても。こういう事実があるのです。わからないのは頭の悪いお役人だけだろうと思うのです、中曽根さんのことばを聞きますと。そういうような点も、小さいことのようでありますけれども、欠陥自動車に横行されては交通事故で国民の生命はたまったものじゃないと思いますので、ひとつこの点、大臣のおっしゃるように、もう少し研究していただきたいと存ずるのであります。 いろいろと申し上げたいことがございますが、時間がございません。港湾局長さん、来られておるかな。言ってなかったので……。
来られてなかったら、またあらためて違うところでやりましょう。 それから、国鉄さんが来られておるが、さっきおたくの何やら調査室長とかいう人が私のところに来まして、質問を聞かしてくれ聞かしてくれと言われて申したのですが、どうですか、石油危機の最中に、タンク車というのですか、タンク貨車というのですか、あれに積み込んだタンクが、日本各地、ともかくいなかの町にでんとすわっておって、われわれが、おい、隠退蔵物資じゃないかと言ったら、あくる日それが動いてしまったという事実がございます。私らが見てますと、まさか国鉄さんが、石油危機のときに石油会社のお先棒をかついでそういうような物資の退蔵をやったとは思いませんけれども、それを証明するためにも、物
これは国鉄の名誉のためにも、総裁、一度お調べになったらどうです。そういうことが現に軽井沢であった。軽井沢といったら、あの国鉄の大きなタンクが七台も八台もおることは、まず一年に一ぺんか二へんでしょう。しかも騰貴に向かった十一月にあの駅に七台がでんとすわっておる。事実あったのです。出光興産のマークがついたやつです。おそらく全国においてこういうことがたくさんあったに違いないと思うのです。国鉄さんにすれば、お客さんの言うとおりだから、右へ動かしてくれと言われたら、はいといって動かしたでしょう。しかしこれは国鉄の名誉のためにも調査をやっていただきたい。でございますので、十一月、十二月のあのまるいタンク車、タンク貨車というのですか、あれがどうい
ついでにですが、運輸省というものは、貨物船が港に出入りするのを全部調べておるのでございましょう。
そこで私は、いまさら、石油会社の売り惜しみ、あるいはまた便乗値上げ等々についてもう相当言われましたので、言うことは少ないのでございますけれども、タンカーの行くえというもの、運航状況というものを十分につかまなければ、石油危機に対しての対処のしかたはできなかったろうと思うのです。この間何か本を読んでおりますと、アメリカのメジャーが盛んにタンカーを買い上げして、そしてペルシャ湾とか、あるいはまたアラビヤ海に隠しておったというようなことが出まして、日本のタンカーの状況は一体どういうような状況だったろうかと興味を持った一員であります。しかし、あの当時、私も港湾労働者から聞きますと、ともかくかなりタンカーというのは日本に入った、にもかかわらず石
大臣もそう思ったのだから、われわれも、これは運輸省が握っているだろうと思うのも、これまた当然だろうと思うのです。そこに日本の行政機構の複雑さといいますか、官僚どもがわからなくしたところに原因があるんだろうと思うのです。しかし、いずれにしましても、運輸省もやはりわかるような仕組みにする必要があるんじゃないだろうかと私は思うのですが、大臣、今後は、税関だけでわかるんじゃなくて、連絡をとり合って、運輸省あるいは通産省も全部わかるというような仕組みにする必要があると思うのですが、どうでございましょう。
どうも私は、このたびの石油問題を見ていますと、各省のセクショナリズムにともかくネックがあったんじゃなかろうか、このような感がしてならないのであります。これからもいろいろと問題が起こってくるときに、政府一体となって動けるような、あるいは調査ができるような体制がやはり必要だろうと思います。そのためには、仕組みとかなんとかいうような小さなことにこだわらずに、各省のなわ張りがどうだこうだということはなしに、わかるような体制にしていただきたいことを強く私は大臣に要望しておきたいと思います。 それで、港湾局長がいませんので、詳しいことは私、申しません。大まかな話で、大臣並びに官房長ぐらいだったらわかるようなことを申しましょう。 実は昨年
時間もございませんのでもう一つお伺いしたいのですが、これは私の地元ではございませんですが、はなはだけしからぬ話を聞きますので、お伺いしたいのです。 これは高知市の高知湾の中です。やはり同じく運輸省の港湾区域でございます。そこに今度は、公有水面埋め立てをするのはめんどうくさいということで、五千トンと一万トンのフェリーの岸壁をつくる。埋立法がうるさいということでしょう、今度はくいを打って浮きドックをつくるんだということで、公有水面埋立法の手続をとらなくていいという抜けをやろうといたしておるのであります。地元の高知市は大反対であります。ところが、この二月、県議会にこれを提案しようとしておるのでありますが、大臣どう考えられますか。その浮
大臣、御無理ないと思います。私は、浮きドックをつくるという便法は、これはもう抜け道だと思うのです。やはり抜け道は抜け道として行政措置で押える必要があると私は思うのです。こうなるんでありましたならば、公有水面埋立法という法律をつくる必要もなかったんじゃなかろうかという感もなきにしもあらずであります。法律にはたくさんの抜け道がございます。中曽根さんの言うように、役人とかわれわれ頭の悪い連中が考えるよりも、商売人のほうが、商売人は頭がいいそうですから、抜け道を考えるのはなかなか達人であります。しかし、そういうような抜け道を考えた際には、ともかくこれを押えていくというのがやはり行政の責任じゃなかろうか、このように思うのです。大臣、この問題を
以上で終わります。
御承知のように、数年前に大学紛争がございました。その発端は、医学教育にあったことは御存じのとおりです。このたび、地方に大学医学部あるいは医科大学をおつくりになるという点につきまして、大学紛争が教訓としていかに取り入れられているか、この点をお伺いいたしたいと思うのであります。 まず、この問題につきましては、私は、研究と教育体制についてどういうような新しい面をお持ちになっておられるのか、この点をお伺いしたいと思うのです。
それで大学紛争が、医学部の改革の教訓として生かされていないと私は思うのであります。特に、教育研究体制はどうなっておるのかということを私はお伺いしておるのであります。いまのお話でありますと、関連病院であるとか、あるいはまた単科でいくなどというようなことをお話しになりましたが、ひとつ単科の医科大学をつくることの弊害について申し上げましょう。 医学というものは、幅広い科学の集約でなければなりません。そういう意味において、総合大学の中で自由に学術の交流ができるところに、医学の進歩もあり研究もできるんだと私は思うのです。これを単に単科大学にして、医学部というただでさえセクトにこり固まろうとする大学の体制、この中において単科大学が、はたして
大臣のいまのお話、単科大学の考えられるいいところを全然お話しにならなかったのです。私は、いままでのセクトにこり固まったやり方、これに対しては大いに変えなければならぬと思います。しかし、各学部の学術の交流、研究の交流あるいは教育の交流ができるようなものを残すためには、総合大学のほうがいいんじゃないだろうか。もちろん、いまの体制のままではいかぬということはわかる。そういう面からするならば、この単科大学にする御意図は、単に大学紛争の発火点が医学部であるんだ、これが他の学部に波及するのをおそれるのあまり、単科大学に限定してしまおうという考え方があるのじゃなかろうかと私は憂えるのであります。日本の学術研究に、将来大きな支障を来たしはしないかと
どうも大臣のお話を承っておりますと、それは職業人を育てるとするならば、私は単科大学をたくさんつくることがいいだろうと思う。しかしながら、いま求められておるのは全人的な人格の形成というところ、そこにあるし、また、学術のうんのうをきわめるのが大学ということになっておる以上は、あらゆる科学というものは日進月歩、学術は日進月歩です。しかも、狭いところに閉じ込められておったならば、私は、新しい研究体制あるいは教育体制というのはできないのじゃないだろうか、このような危惧を持つものであります。御一考願いたいと思います。 さらにこの問題につきまして、教育体制について、いまの局長のお話でございますというと、依然として講座制をおとりになっておられる
大学紛争すでに七年になります。しかも発端が医学部なのであります。ところが、この講座制あるいは教育体制、その研究体制そのものに対して、一指だに文部省は手をつけようとしない。あるいは大学におきましても、各種の改革案なるものが出てまいりました。しかし、実際それが表面に実効をあらわしておらないと思うのです。大学紛争というものはあれだけのエネルギーを使い、あるいは一時学術の研究までストップするという国民的なエネルギーを費やしたものです。したがいまして、この大学紛争の教訓というものは生かされなければならない問題だと思います。ただ単に表面を糊塗し、大学の紛争をおさめれば事足れりじゃ、私は済まない問題だと思う。 あの当時、学生諸君が提起した問題