靖国神社にどのような教義というものがあるかは、ちょっと私は浅学にしてわかりませんが、神道一般の教義の中に含まれるんでしょうか。むしろ、靖国神社というものが、かつて国家管理の招魂社という一種の組織であり、その後、戦後それが宗教法人になってきて、祭られている者はこういう人たちが祭られているということを生徒に話すことは、何ら私は束縛を受けないと思います。
靖国神社にどのような教義というものがあるかは、ちょっと私は浅学にしてわかりませんが、神道一般の教義の中に含まれるんでしょうか。むしろ、靖国神社というものが、かつて国家管理の招魂社という一種の組織であり、その後、戦後それが宗教法人になってきて、祭られている者はこういう人たちが祭られているということを生徒に話すことは、何ら私は束縛を受けないと思います。
末松先生はどういう宗教ですかと聞かれて、自分の信じている宗教をおっしゃることは、まず何ら問題ありませんね。そして、そこで先生の信仰の内容を教えてくださいと聞かれた場合は、小坂さんの質問でいえば、それは極めて慎重に扱うべきことだと思いますが、神道というものはどんな教義なんですかと聞かれれば、その内容について客観的に教えるというか、こういうことだよと言うことは、児童の心に自分の心を入り込ませない、客観的な教義の事実を述べるということは、別段、私はいいことだと思いますよ。
客観的に神道というものの中に神楽というものがありますから、それを見に行こうということがあっても私は構わないと思いますが、見に行くことを強制することはできないと思います。
それは、先ほど来私が申し上げているように、宗教的行為の一端として神楽を見るということは、それは当然おかしなことになりますが、では、お祭りのおみこしを見に行っちゃいけないのかとか、みんなそういう、同じことじゃないんですか。(末松委員「公教育とは全く関係ないじゃないですか」と呼ぶ)何が。(末松委員「それは授業として行くということ」と呼ぶ)そうそうそう。例えば、私の地元に京都の祇園祭という、これは八坂神社という神社のお祭りです。しかし、そこに山鉾の巡行というのがあって、これは大勢の修学旅行生が見に来ておりますよ。ですから、神楽というものを宗教の一部として位置づけてそれを見に行くのか、あるいは、一つの文化行事的なものとして位置づけて見に行く
まさにこれは言葉で言いあらわせないことですから、もし先生が御質問の中で私に教えてくださればありがたいことです。だから、慎重にやるべきだと言っているわけです。
布教というのはやはり自分の信じている宗教を他人に信じさせようとする行為です。だけれども、今、先ほど来先生がるる、生徒がこういう質問したら、こう言ったらどうなんだ、こう言ったらどうなんだとおっしゃっているそのときに、自分の信じていることを生徒の心の中に信じさせようという心があるかどうかということは外から見えないと申し上げているわけですよ。
ですから、それは、その教師が、特定の宗教あるいは自分の信ずるところを相手の児童の心に信じさせようとする心を持っているかどうかによるんじゃないんでしょうか。だから、まさにその心を持っているかどうかということが言葉の端々とかいろいろなところに出てくるわけでしょうから、だから、小坂前大臣は、その時々の状況に応じて慎重に判断すべきことだという答えをしたんだと思います。
まさに今、先生が、さまざまな宗教とおっしゃいましたね。一つの宗教が世界に存在するわけじゃなくて、人間の心の赴くままに無数の宗教があります。その中で、世界を動かす、あるいは多くの人類の中に入っている大きな宗教を基本的に学ばなければ国際人としては通用しないでしょうね。そういう宗教の一つの教義ではなく、幾つかの教義を、これから国際社会の中に出ていって、私はもう先生と極めて、今話をしていて、意見が近いと思いますよ、お互いに海外にもいましたしね。日本ほど宗教的感覚の薄い、宗教的感覚が社会に浸透していない国民は少ないだけに、海外におられたからそういうものの大切さをよくわきまえて御質問になっているんだと思います。 だから、大学でいろいろな教義
宗教に由来するいろいろな、例えば仏具とか仏画だとか、そういうものについてという御質問ですか。(末松委員「ええ、文化的なその背景、中に宗教的なものが当然入ってくる」と呼ぶ)これは、この仏教ではこういうことに使っていたものであるとか、そういう客観的な事実を教えることは一向差し支えないと思いますけれども。
それはもう、憲法というのは私たちの国の基本法でございますから、子供のころからこれを教えるというか、これに触れる機会をできるだけつくるというのは当然のことだと思います。
まさに先生が御指摘になった、豊かな中でいろいろ問題が出てきているということをおっしゃいました。簡単に言ってしまえば、それを埋められるような日本人をつくりたいということなんです。 もう少し具体的に申し上げますと、やはり知恵だけで人間は生きているわけではありませんし、体が丈夫でなければいけませんし、家族の一員として、社会の一員として、あるいは国の一員として生きていくために、バランスのとれた規範意識を持っていなければいけませんし、だから、やはり知徳体のバランスのとれた日本人、そしてこれだけグローバル化されて、昭和二十二年ですか、初めて今の基本法ができたときに比べると、東洋のちっぽけな国であった日本は、今世界で第二の経済大国になっている
先ほども民主党の土肥先生からポストモダンのお話がありましたが、教育現場でどういう意識を持ちながら対応していくとか、教育のあるべき、子供や児童に対する接し方をどうするかという前に、大きな枠組みをつくりかえないと、やはりなかなか難しいんですね。国家というのはそういう仕組みで成り立っているわけですから。 そのことについて、いや、そんなことを言ってもポストモダンじゃだめだよというお話がさっきありましたが、私は、そうじゃなくて、法治国家というのはまず仕組みをきっちりつくっていく。そうすると、基本法というのは教育の憲法のようなものですから、すべての教育諸法、三十幾つと言われている教育諸法を時代に合うように変えていくためには、やはり統一的な理
ですから、最終的な教育の責任は日本国にあるんです。それは中央政府にあるわけじゃないんですよ。日本国全体にあるんです。だから、この法律では、国と地方とが相協力してと書いた法律を我々は出しているわけでして、国と地方の役割分担の上に教育を行っていくということです。
教育においては機会均等が保障されているわけですから、特に義務教育においては、親の地位あるいは所得によって扱いが違うということはあってはならないわけですから、義務教育国庫負担金だとか、いろいろなやり方によってそれを担保しているわけです。大学や高校においても奨学金とかいろいろな施策を講じておりますが、これは必ずしも十分じゃない、それは思います。限られた税負担の中でやっていることですから。 しかし、OECDの調査なんかを見ますと、日本はまだ比較的先進諸国の間では、親の所得によって児童、学生の学力差が一番少ない国なんですよ、日本は。これは、その傾向がだんだん、今先生が言われたように崩れていくことは、みんなでやはりこれは食いとめて、限られ
まず、一般論として申し上げますと、責任というものは、みずからその責任をとらねばならない人間に、どういう表現がいいんでしょうか、行動する権利というのか、活動の力の源泉があった場合に、その活動によって失敗したらその人が最終責任をとるということなんです。 ですから、もう先生がよく御承知のように、学校のカリキュラムの編成権とか、あるいは卒業の認定権というのは校長先生にあるわけですね。そして、その校長先生の人事権とか、学校の開設権とか、教員の人事権、あるいはまた予算の権限というのは、これは教育委員会にあるわけです。 文部科学省には何があるかというと、その教育委員会を指導し、そして助言し、援助する、そして調査をする権限があるわけです。で
先生がおっしゃっているような側面があることは、私は否定いたしません。そして、高等学校の評価というものが大学の入試によってなされているというのは、まことに残念なことですね。しかし、同時に、全国で国立、公立、私立合わせて五千四百八校ありますが、五百四十校以外の学校は、この受験戦争の中でもきちっと法令を守り、しっかりとやっておられるということもまた認識しなければなりません。 ですから、しっかりやっておられる人たちに正直者がばかを見たという思いをさせないように、つまり、未履修のところで何が起こっているかというと、先生がまさに御指摘になったように、立派な人間をつくっていくために必修を置いているにもかかわらず、それを履修させずに受験に有利な
先生のおっしゃっているような傾向がだんだん出てきているということは、私は否定いたしません。 しかし、例えばOECDの調査ですと、OECD全体では、保護者の学歴や職業等が子供の学力に与える影響ということからいうと、ドイツが一番高いんですね。それからイギリス、フランス、アメリカ、イタリアと来て、日本は極めてその影響が少ない国になっているんですよ。この少ない国になっているという日本の誇るべき特徴を維持していけるように、例えば、義務教育でいえば国庫負担金のやり方とか少数の履修の教室を設けていくとか、いろいろなことを文部科学省もやっておりますので、今の御指摘は拳々服膺させていただきます。
参考人が御説明をいたしましたように、これは先生、余り深くお考えいただかなくても、最近の立法例に倣っておるわけでして、責任者である私が、教育の機会均等と、差別を記述したものではないということを明言いたしますから、御理解ください。
小学生、中学生の進学の便その他を考えて決めていると思います。 それから、安倍首相のという御発言がいろいろありましたが、これは安倍さんが個人的に出された本だとかいろいろなものを含めていろいろな発言が行われておりますが、もう総理になられたわけですから、政策として実現できるものは、その中から選んでやはりきっちりとやっていかねばなりませんので、安倍総理御自身がまだ総理になられる前に書かれた書物の中に書いてあることを総理となられてすべておやりになるという前提は、私は必ずしも御心配になることはないと思います。
この分野ではもう石井先生は我々の大先輩で、いろいろ御経験を積んでおられる先生にこういうことを申し上げるのはなんなのですが、特に、義務教育段階で選別化を行い、学校に格差ができてくるということは、安倍総理が言っている、すべての児童に最低限の規範意識と学力を保証するということからいうと必ずしも適当なことじゃないんですね。 しかし、同時に、必ずしも適当なことじゃないというマイナス面を受忍してでも、なおかつこういうことをやらなければいけない現状というものは、私は何度も言っているように、多くの納税者の負託にこたえられていない教育現場の現状というものを、携わっている者、私も先生も含めて、すべてが考えて状況を改善していけば、できれば格差、差別化