はい。
はい。
東京都品川区南品川一丁目二十一番地であります。
四十歳です。
私は岩手県東岩手郡長島村字小島野田四十五番地に生れまして、郷里の小学校を卒業いたしました。農業を実家で手伝つておりまして、その後昭和五年上京いたしまして、二、三個所の会社に勤めまして、以来その間郷里に帰りまして、現在のところに昭和十二年から自営をいたしまして、今の青写真等の事業を経営いたしておるのであります。
さようでございます。
さようでございます。
資本金、創立当時十万円でございましたが、百万円の増資の手続になつておりまして、まだ現在登記中でございます。
土田さんとの関係を申上げます。昭和十九年四月頃と記憶しておりますが、当時土田さんは品川の警察署長をしており、戦争中のことでございますが、私が従業員の傭い入れの関係の労政事務のことにつきましていろいろ警察と連絡が必要でございましたので、尚又生産方面に関しまして、当時の所轄警察署が軍に協力して生産増強というような宣伝を警察がやつておりましたので、その関係から私は当時の軍隊と警察によく連絡が必要でございましたので、これがために土田署長さんと会う機会がしばしばございました。つきまして土田さんを別に利用したことは一つもございません。
ございます。
一、二回記憶ございます。
大分経つておりますので、はつきりした記憶はございません。
さようでございます。
金額その他の点も大分経つておりますので忘れております。
ございます。
これは私の近所に土田さんと非常に懇意な方がございましたので、その方が私のところに話を持つて参りましたので、土田さんと直接の交渉ではございません。地所の権利をその方に依頼されまして買つたことがございます。
強制疎開のことにつきまして申上げたいと思います。今年の三月二十六日の新聞に私のことが掲載されておりますが、土田さんと私の関係は疎開の建物のことで私が土田さんのために巨利を得たという記事が出ておりますが、これはとんでもないことでございます。強制疎開のことにつきましては、土田さんに何もお世話になつた覚えはございません。私は軍関係の仕事をいたしておりましたので、その土地に工場や建物が数十軒ございましたが、その約半分ぐらいは強制疎開から免れております。工場と工員の寮は残つたのでございます。必要止むを得ないものだけは疎開を免除されたのでございます。当時土田さんは所轄の警察署長でございましたが、当時家を壊す方の係は警察でやつておりましたけれども
ございます。
実は私は昨年の十二月八日に検挙されまして、商工省や、警視庁の役人の方々に贈賄被疑者として、二十日間厳重な取調べを受けまして、この証人といたしましては、十二月が最も忙しいときでございましたので、一日も早くこうした問題を解決つけて帰さして頂きたいと思いまして、まあそんなんで夢中になつておつたものですから、大変記憶違いの点が多かつたことと存じます。今日この場で申上げさして頂くことには、間違いございません。加島さんのところで申上げたことは、大分記憶違いが出ておると存じます。
さようでございます。
これと申しますのも、私の祕書が贈收賄事件で取調べを受けて、現在起訴されて、公訴中の体でございますが、それに伴つて加島さんのところでは、ここ数ヶ月前に、こういうことを私の附近とかいろいろな関係方面から傍証されて、大体加島さんの方でこうしたことをよく私に質問されましたので、まあこれは事件外のことだと思つたものですから、まあ大体いい加減に申上げておつたわけなんでありますが、この問題は事件とは筋が違うからということを、加島さんからおつしやられたわけなんでございます。