は、そうです。はあ。現在でも岡田さんはやはり病院通いしているものですから……。
は、そうです。はあ。現在でも岡田さんはやはり病院通いしているものですから……。
ええ、あります。
それはですね、消防庁は要するに警視庁に前一緒にあつたのですが、その後消防庁と警視庁が分れましたので、それで厚生部面が、やはり警視庁と消防庁が厚生部面が違つておりました。非常に不馴れだつたもので、なかなか職員の厚生関係ができないというので、たまたま消防庁の係の人がまあ私も幾らか繊維をやつておるということを知つておられたものですから、来られて、何とか盡力して貰えんかという話だつたものですから、それで私はそれは大体警視庁が前に今まで、現在でもやつておられるような厚生物資のやり方をされておるから、それに倣つてやられたらいいでしようと、こういうふうには申上げたのですが、やはり不馴れですから、まあお手伝い願うと言つたものですから、それではお手伝
その支拂は消防庁が拂つております。
ええ、それは消防庁がやつたと思います。ただ場所をどこにするかなんといつたとき、私がどこがいいというので、上野の一力と言つて私が連絡したかも知れませんが、併し一応設営は全部消防庁がやつております。
ええ。私が設けたわけじやありません。
それは岡田秀男さんは岡田秀男さんの伯父さんに当りますが。併し大体兄弟みたいな形にあつたものですから、私も前からまあ岡田秀男さんの方に非常に親しい人があれば、岡田秀男さんの方が紹介して貰つたり、岡田秀男さんの方の親しい人があれば、岡田秀男さんの方に紹介して貰つたりなんかするような関係があつたものですから、岡田秀男さんから私が紹介されたんです。
これは「かねよし」と読む筈ですか。
ええ、北海道長官をやつておりました。
知つております。
ええ、知つております。
仕事の関係は別にありませんですけれども、ただ当時、岡田秀男さんが北海道長官に赴任する当時は、北海道の供米が確か四八%しかできていなかつた、これに対して報奬物資を渡すという約束で農民その他に非常に宣伝してあつたらしいのですが、それがちつとも現物が行かんというので非常に困つておると言われましたので、それで私も繊維をやつた関係がありますので、何とかこれは一つ向うへ持つて行かなければならんと、そうしなければ米ができないということで、そういうことで岡田秀男さんから、佐藤君なんとか……、私も北海道の出身なものですから郷土でもあるし、何とか米を出すためにやつてやらなければならんじやないかということで、確か私と岡田秀男さんと秀男さんと三人で北海道に
大体岡田さんのあれのときはそれだけでございますか。
金額は私の方では分りません。皆連合会が扱つておりますから、私の方では扱つておりませんからちよつと分かりかねますが。
私の品物ですか、その後私の方は北海道との取引がありましたから、北海道繊維連合会との取引になつておりますけれども、岡田秀男さんとの関係はないと思います。
ええ、あります。それは最初私の会社が、国富繊維が京都に支店を設けたのですから、その時に全然未見の土地でもありますし、まあいろいろ挨拶かたがた紹介して貰いたいというので一応名刺で紹介を受けたいと思いますが、その頃岡田さんも大阪の方へ用事があつて、私も丁度支店に行く用事があつてものですから、帰りまた一緒になろうかという話になつたのです。丁度京都へ寄られたものですから、名刺紹介でなく、私の所に支店長を連れまして、一奇まあ支店を開設しましたからよろしくということで、岡田さんも確か先輩が二三人おられたと思うので、その方々に岡田さんが挨拶かたがた、こういうわけで僕の友人で支店を開設したからよろしくということの紹介は受けております。それだけでござ
いえ、何も受けておりません。
それはありません。カーテン納めることですが、私の方から納めることですか、どつちですか。
それはですね。福岡のことだと思うのですが、それは当時特別資材部というものは、何といいますか、一つのビルならばビルの設営にP・Dを出しておられたのですが、で私の方には関係ないのですが、たまたま福岡の何か役所の方が、進駐軍の方から非常に納期に遅れるということでやいやい言われまして、確か岡田さんの所へその事情を話に来られたと思うのです。その当時資材が非常になつたものですから資材部からは出せないので、結局どつか在庫のあるところを捜して、それから出すより外にはないということで、佐藤のところへ行けば繊維もやつているから分るかも知れんから、一応行つたらどうかということを言つて何とか頼んでみろということで来られたことがあるのです。それで私はそれじや
マージンは貰つたのか貰わないのかはつきりしないくらい、幾らかやらなくちやいかんということは聞いて記憶にあるのですけれども、はつきり貰つたかどうか分からないです。