私が国家の予算でと申し上げましたのは、その年次に当然政府が輸入すべき砂糖のドルのワク内の砂糖として、これの許可を受けたわけであります。従ってこれだけ特許を売ったのだから、特別これを輸入してもよろしいという許可ではないのであります。
私が国家の予算でと申し上げましたのは、その年次に当然政府が輸入すべき砂糖のドルのワク内の砂糖として、これの許可を受けたわけであります。従ってこれだけ特許を売ったのだから、特別これを輸入してもよろしいという許可ではないのであります。
私自体には全然ございませんが、立川に対して損害賠償を要求するとかなんとかいうようなことを盛んに言っておられた方がいるように聞いております。その当時は立川氏も通産省も周も、全部私に対して非難が集中しておりまして、私は意識的に全部から排除されたのであります。
それは、先ほど御質問にありました砂糖に対して、自分が必ず延期してくれ、そのライセンスは延期するということを言っておきながら、延期ができなかったということに対する非難だと私は解釈しておるわけなんです、周の場合は。それから立川の場合は、とにかくごたごた周とかそういう人たちがうるさく言ってくる、そういうことに対しても、こんなめんどうなことをどうして勝間はスムーズにやれないのだといって、結局私に対する反感が非常に強くなったのだと思うのであります。通産省の場合は、通産省の態度は、期限が切れたあとにもかかわらず、この砂糖をもって何とかこれをしなければならないということに対して、こういう原因を作った勝間という者に対する御立腹が原因だったと思います
それは、その今の書類を全部見ていただくとわかりますのですが、いわゆるキューバ糖の形になっております。
そこの点を、大蔵省、通産省が盛んに御心配になった点なのでありますが、それに対する説明書類が、向うから来た手紙の写真のコピーがそれについておるのでありますが、非常に長くなりますが、それを一度読んでいただくと非常に明確にわかると思うのであります。
そういう問題については、関係当局の担当者の方は非常に危ぶんでおられたことは事実であります。しかしながら、それに対して向うからいろいろな電報が来、いろいろなことをやってみて、結局踏み切ってもらったんじゃないかと私は考えるのであります。
それは、ライセンスがずるずると期間内に入ってこなかった、どうしても品物がライセンスの期間内に入ってこなかったということは、事実その通りなんであります。今の保証が原因したことは、もうはっきりした原因なんであります。
保証の問題につきましては、電報が向うから参りまして、その契約の内部に私の方の義務はもちろん出ておるわけなんです。その義務に対してどういう保証方法をとるかということを電報でいってきたわけなのであります。その電報は、通産省の為替課のところへ持っていきまして、それからいろいろ問題が起って、一流商社の保証ということになったわけなのであります。
それは、最初は砂糖じゃなくて、そこには砂糖という形になっておりますが、それまでに書類が出ておるわけであります。そこに書いておりますが、最初は米とか塩という形になっております。それで、その砂糖にきまってから、一流商社が四社保証してくれたわけでありますが、その保証してくれたときは、砂糖の方は全部相談したことは事実なのであります。だからわれわれの知識は、今の商社の砂糖のセクションの者、それから精糖工業会の人たち、そういう人たちに砂糖の知識は聞いておったのであります。
その通りであります。
私も先ほど申し上げた通り、中国人というものは資本金とかそういうことではちょっとわからない性格があるということを前から聞いておりますし、事実その立川研究所に中国人が買いに来たのも、東方貿易行だけではないのであります。そのほかにフィリピンにおる中国人からも一、二問題がございましたし、いろいろなこともあったのでございますが、そのつど立川さんは、大体中国人に対しては非常につかみにくいから、よした方がいいのではないかということを盛んに言っておったことをこの前申し上げたのであります。しかし私は、中国人であろうと何であろうと、一応許可がとれればできるだけ早く特許を外地に売って、その金で日本において企業化するということが一番早い企業化の何にもなるし
その実態を確かめたというのは、向うの何か古い興信録のような感じのものだったと思うのですが、それで見た程度でございまして、あとは通産省、大蔵省に行って、通産省の方でもこういう中国の商社はわからないから、おれの方で徹底的に調べるとおっしゃっておりましたから、私の方はむしろそれにおんぶしてしまったような形になったわけなんであります。
そういうことを言われますと、私の立場は、私がそれをやるために何か雇われてきたように解釈されているように思われるのでございますけれども、私と立川はそんな短いつき合いではないのであります。同じ京都におりまして、家も近く、立川は旭ベンベルグをやめて研究所を始めますとき、あるいは大日本セルロイドという会社をやりましたときにも、いろいろな点で私はつき合いをしておったのであります。だからこれだけにとらわれて判断されると、私と立川の関係が非常に説明しにくいことになるのでございますけれども、あるいは百万ドル来ましても、私の能力を買われておるかもわからないのであります。従って京都化繊という会社に私は役員になっているはずなんでございます。
砂糖の引取方が円満にいかなかった。そうして周さんという方がよく立川研究所などにどなり込んできたというような、非常にうるさい事実がございました。そういうようなことに対して、立川氏はやはり僕に対して、気分的に非常に感情が離れたのだと思うのであります。
全くその通りであります。
今のような御質問が当時の通産省にも盛んにございまして、一応そのつづりを全部見ていただきますと、どういうような事情でこういうような形になってきたかが全部わかると思うのであります。一度これをゆっくり見ていただきまして、その上で御不審の点を聞いていただきたいと思うのでございますけれども、ただ、もう一つ私申し上げたいのは、私は台湾にいるわけでもございませんし、外国の為替管理の方がどうなっておるか、予備知識的なことはわかっておっても、どういうドル操作をするのか、そういうことは私の方では関知しない問題であったのであります。要は、日本のライセンスにきっちりと合って現物が入ってきて、その通りに処理ができるならば、私は事は終れりという考え方をしておっ
東方貿易行の話がつくまで、砂糖の代金を自分の管理下に置けと言ったわけなのです。
東方貿易行の委任状を持ってきておりました。
現在の考え方は、東方貿易行が依頼した男であって、東方貿易行の委任状を持っておるのですから、ある権限に対してはそれは代理をしておるかもしれませんが、代表者でないことははっきりしておるのであります。そのときは綱島さんの御質問に対して、私はそういうふうに答えたかもしれませんが、それは取り消したいと思います。代表者ではありません。委任状を持っておったのであります。
今から考えると、周はそういうような感じだったと思うのであります。