記憶がございませんね。そういうことは……。伊藤と二人で釣に行つたことはあります。
記憶がございませんね。そういうことは……。伊藤と二人で釣に行つたことはあります。
二人で……。今一人ぐらい警防団の副団長が何かまじりまして、その記憶はございますが。
伊藤の記憶違いではございませんでしようか。あるとするならば、代が違うんじやないでしようか。私と……。
そうです。割合に親しい方です。
これも私意外に思つておるのですが、あの昭和二十年の強制疎開のつまり何と言いますか、疎開免除の問題ですが、この権限は区長にあるのです。私は当時は伊藤とは余り近しくないのです。伊藤と近しくなりましたのは終戰後釣に行くようになつてから、一緒に釣に行くようになつてからやや親しくなつただけで、その当時は町会長をしておりました長谷川耕南というのがあります。警視庁の巡査で、それが主としてその疎開の問題については動いておつたようです。これが主として区の方に話をして、長谷川耕南から私はこういう話しがあつたと思う。伊藤の工場は軍の指定を受けておる。区の方では大体延期する予定だ、それについては、丁度その頃には警察の方が疎開の実施を引受けたのもですから、こ
ございません。それは私の後でしよう。
ええ。
私の在任中は一印刷業者です。
全然就任しておりません。
ございません。これはですなあ、お台場のあの当時の権限は海軍にあつたと思います。陣地や何か海軍の……経理学校があそこにあつたわけです。ここの衞兵の副司令か、それの許可を得て持つて来たのではないかと思います。私はそう言うことを許可する権限がありませんし……。
何ですか。
衞兵の司令はおつたようです。
ございません。
伊藤鑛壽が持つて来たということは後で聞いた。最近に聞いた。
それは何か話は海軍の経理学校の衞兵司令、これから許可を得て持つて来たという話を聞いております。
終戰後も衞兵司令はいたでしよう。その点は伊藤にお聞き下さい。
終戰後もやはりそういう人間がおつたのではないでしようか。残務整理か何かで……。
数量は分つておりません。
封鎖預金でなくて、戰災特殊預金じやないですか、戰災特殊預金でしよう。これはそうですね、伊藤じやなくて、私は伊藤の手を通じて替えて貰つているような気がします、私の記憶は……。それはどうしてかと申しますと、私の郷里が宇都宮です。ここの家屋七棟で百八十五坪、これは大体父親から相続した不動産なんですが、これに対して五万円保険に入つてたと思います。五千円だけ現金で貰いまして、あと残額は特殊預金で貰つていると思います。あとに丁度私のおふくろがあるものですから、その関係で家を建てなければならないから現金に替えたいと思つておりましたところが、伊藤がやつて来まして、三菱銀行の品川支店長の知合いの者が封鎖預金と替えてもよいというような話があつたわけなん
ございません。