土田精と申します。
土田精と申します。
目黒区衾町千三百九十九。
四十八。
巡査から申しましようか。
大正十一年の一月の七日と思います。警視庁巡査を命じられました。二月二十七日に四谷の警察へ参りまして、それから中途世田谷の警察に変つておると思います。それから警務課に変りまして、そうして大正十四年の十一月の三十日に巡査部長になつておると思います。それから巡査部長は警務課でずつと勤務したつもりです。それから十三年の六月の一日に警部補に任官しました。そうしてこれは本郷の駒込警察署に勤務しております。それから昭和五年の八月と私は記憶するのですが、多少違うかも知れませんが、刑事部の搜査第二課勤務をいたしております。これは警部補としてであります。それから昭和七年一月の十七日頃と思うのでありますが、これも多少日が違うか知れませんが、代々木の警察署
岡崎課長のときには主任を暫くやりまして、同課長の在任中に十三年の八月係長をやりまして、岡崎課長が愛知県に転出するまで仕えておりました。
はあ。
将来警視庁を背負つて立つという噂はあつたでしようが、若い人が全部その下に集まるというのは、私はちよつと聞いておらないのですが。岡崎さん自身を私淑している若い人々は相当あつたと思うのです。
そうですな。
まあ傾向はあつたと思うのです。
参りました。
私が好ましくないというのではありませんで、当時あれでしよう、吉尾さんとしましては、私でなく他の適当なものを使つて行つた方がいいという考えがあつたと思うのですな。
私ですな。主としてこれは……。
そうですな。その点は。
まあそういう考えもあつたかも知れませんな。
そうですな。私よりも親しい人はあつたのですがね。これは恐らくあれでしよう、追放になつておりましたのですな。特高関係や何かで……。私が使われたのは一回だけなんです。岡崎さん自身に対して私淑をしているかどうかということになれば、これはまあ私淑していることは間違いありません。
あります。
ございます。
私はそいつはなかつたのですがね。私が署長をやりましたのは、只今も申上げましたように、昭和二十年の十二月の六日なんでございます。丁度終戰の直後になるわけでございます。ですから私自身は釣は随分やります。釣はやりますが、人を招待して、船の上に招待して釣の遊びをしたというようなことは、私はないつもりでおるのですがね。
私もそういう点を聞きまして、実は意外に思つているのですが、何か私が警視庁の幹部を呼んだとかという話ですが、私は大体警察署長を四ケ所やつているのですが、警視庁の幹部というものは、一回も署長としては呼んだことのないわけですから。