それは先ほど申し上げましたように、反フアシスト委員会というものがラーゲルの委員の中において結成されております。その委員というものが主体になつております。
それは先ほど申し上げましたように、反フアシスト委員会というものがラーゲルの委員の中において結成されております。その委員というものが主体になつております。
要するに俘虜の言動、俘虜の動靜というものを向うから聞かれた場合には、それを答えるのです。
委員の中には、委員によつて互選されたところの委員長がおります。
長は一人です。
そうです。
各中隊〇——一中隊、二中隊、三中隊ときまつておりまして、その中隊の中におけるアクチーヴは一人であり、さらにその各中隊のアクチーヴの長がスタールシ・アクチーヴであります。すなわち十五中隊あれば十五人のアクチーヴのスタールシ・アクチーヴがいるわけであります。結局それから推薦をされ、みんなの選挙によつて、それが反フアッシスト委員会というものを構成する。
はい。
委員になりました。
ソ連の方からだれだれを帰す。だれだれをこうこうするということについて、われわれに質問するということは全然ありません。要するに、AならAという人間はどういう人間であるかという質問はありました。それにお答えをするだけの委員会であります。
アクチーヴだから帰れる、アクチーヴでないから帰れないというところのものはありません。またそういう方針もありません。
そういうことはありません。民主グループに入つていないから反動であるということはありません。これは民主主義をとなえる、あるいは帝国主義をとなえようが、これは自由であります。だからいわゆる民主主義をとなえないからこれは反動であるということにはなりません。
向うで言われるところの反動は、正しい歴史の流れに逆行するものを反動と名づけております。
民主グループに入らぬから反動であるということを、われわれはきめつけておりませんし、またそういうことを考えたことはありません。
そういうものは全然記憶がありません。
そうであります。
その集会はありましたが、徳田要請の集会であるというところの集会としては、自分は聞いておりません。
徳田要請ということは聞いておりません。
私は集まりませんでした。
自分はその当時の大隊長をしておりまして、まだついたばかりで、行政面のこと、兵舎の配置、あるいは作業の指示というようなことに忙殺されておりましたから、行かなかつたのであります。
集会はありました。