そうです。
そうです。
自分は現在無職であります。年令は満三十四歳、数え年三十六であります。
昭和三年小学校を卒業しまして、それから滋賀県の八日市中学を卒業し、昭和十年に東京に参りました。そうして昭和十年の八月に渡満をいたしました。それから満鉄の遼陽駅の駅務員になり、昭和十三年までやつておりました。それから十五年に奉天の鉄道総局の営業部の貨物課に転属になりました。それから昭和十八年奉天鉄道局営業課に配属されました。昭和十九年三月十日召集を受けまして満洲の牡丹江省城子溝という所の二千六百部隊に入隊をいたしました。その城子溝に約一箇月おりまして、わが隊は命令を受けまして新京に集結することになりました。その後間もなく自分たちは加藤久平という陸軍大尉の率いる駐屯部隊となつて吉林におもむきました。吉林におもむいて、昭和二十年八月五日別
そうであります。
入つておりました。
友の会はみなの集まりであり、反フアシスト委員会は一九四七年ごろに編成をされたのであります。
民主グループからです。
反フアシスト委員会にもおりました。
自分はアクチーヴになつておりました。
そういう権限は持つておりません。
アクチーヴの上にスタールシ・アクチーヴというものがあります。これはアクチーヴの長でありますが、その者もこの者を帰す、この者を帰さぬということの進言をするところの権限は持つておりません。
いいえ、アクチーヴが持つておるかと言われましたが、持つておりません。
いいえ、持つておりません。
そこにおるところの民主反フアシスト委員会というものが、それぞれにおいてその帰国を云々するというところの問題ではありませんが、要するにそのスタールシ・アクチーヴというものから、さらにそこに反フアシスト委員会というものが構成されておるのであります。
いいえ、そういうことはありません。スタールシ・アクチーヴにおいて質問するということはありません。
帰還の問題に——だれを帰せというそれだけの権限は與えられておりません。
アクチーヴというものは、要するにその政治——民主主義的なところの勉強をする、あるいは民主的なところの運動を自分たちで啓蒙するところの最も前進的な分子であります。それがこの者を帰還をさすとかさせないとかいうことの、帰還の問題にアクチーヴは関與しません。そういう権限は持つておりません。
そういうことは自分は記憶しておりません。
帰国者名簿というものは、各収容所に牧容所長がおります。そうしてその牧容所がナンバー一からあるいは五まであります。千五百名單位の牧容所が五つくらいあれば、それを統轄して、第こ百八十八管理局と言います。管理局自体においてこれは発令されるものであります。
いいえ、それは知りませんが……。