外国の人々からも尊敬され、信頼されるような日本人をつくると、またそのような日本の国家をつくっていくということは教育政策の一つの眼目であると信じております。したがいまして、これからもそのような心構えでりっぱな教科書をつくっていくように努力をしていくつもりでございます。
外国の人々からも尊敬され、信頼されるような日本人をつくると、またそのような日本の国家をつくっていくということは教育政策の一つの眼目であると信じております。したがいまして、これからもそのような心構えでりっぱな教科書をつくっていくように努力をしていくつもりでございます。
ただいま仰せのように、アジアの諸国との間の相互の信頼関係、友好関係というものは、わが国が今日の国際社会においてよって立つ基盤でございますから、この基盤が大きく揺り動かされるようなことになってはいけない、何としてでもこの問題を円満に解決しなければならない、かように考えていろいろ苦慮いたしておる次第でございます。 問題は文部省の行いました検定に端を発しておるわけでございますが、申すまでもなく、文部省は軍国主義を復活しよう、あるいは歴史を改ざんしようなどという意図のもとに検定を行ったわけではございません。問題になっておりますのは主として歴史の教科書の記述でございますけれども、歴史の教科書につきましては、先ほど局長からも宮之原委員の御質
一面におきまして中国あるいは韓国とアジア諸国との間の信頼関係にいささかでも傷をつけてはならない。半面におきまして検定制度のたてまえを崩すこともできない。しからば接点をどこに求めたらよろしいか。これがただいま私が苦慮しておる問題でございます。鋭意検討をいたしまして、円満に事態を打開できる方法を発見したいと考えております。
ございます。
教科書の検定という制度が果たしておりまする意義、役割りにつきましては先ほど初中局長からお耳に入れたとおりでございます。非常にこれは重要な役割りを果たしておるわけでございますから、この制度のたてまえそのものを崩すということはこれはできません。これは私が文部省と心中するとかなんとかいう問題ではないのでございます。これはできないことでございますから、この際できませんとはっきり申し上げざるを得ないのでございます。同時にしかし、事態はここまでのことになってきておるわけでございまして、一歩誤りますときにはわが国が国際社会でよって立つ基盤そのものが取り崩される非常にむずかしい局面に直面をしておると考えております。 そこで私は、先ほどこの二つの
中国あるいは韓国を初めといたしまする近隣のアジア諸国との目下の状況、憂慮にたえない問題と考えております。文部省としてもなお一層真剣に検討すべき段階に差しかかっておりますことは十分承知いたしておりますので、現行の検定制度のたてまえを崩すことなしに何らかの打開策を是が非でも最短期間に発見しなければならないと、こう考えて鋭意努力をしておるわけでございます。
要請がありますれば、もとより喜んで同行いたします。
まことに御同感でございます。そういうことを考えております。
仰せのとおりに両国の国民の相互理解を進めていく上におきまして教育、学術、文化の交流ということにはこれから先も一層意を用いていかなければならない、こう考えております。及ばずながらその努力もいたしておる次第でございます。
教育、学術あるいは文化の交流ということは、あらゆる機会をとらえて、またあらゆる方法でこれを促進していかなければならないと考えております。当面仰せの首脳会談ということについては考えておりませんけれども、そのことがその目的達成のために非常に有効だと判断をすべきときがまいりましたならば、その実現にも努力するつもりでございます。
総理が拱手傍観をしているというお言葉でございましたが、総理は外務省並びに文部省に任せて、よきに計らえというような態度でおられるわけではございません。近隣諸国との友好関係、どんなことがあってもいささかでも損なってはならない、そういう御認識のもとに、私どもも毎日のように督励を受けているわけでございます。 閣僚の発言につきましては、今日までしばしば御指摘をいただいておるわけでございまして、当初私は同僚の発言を真っ向から批判することは御容赦願いたいと申し上げておったんですが、たび重なる御指摘を受けましたので、はなはだ遺憾な発言であったということを公の場で申し上げたわけでございます。そこまでのことを申し上げたということはよくよくのことであ
私は、検定の衝に当たりました調査官、あるいは審議会の委員各位、国際感覚においてはなはだ欠けておる、あるいは歴史感覚というお言葉をお用いになったと思うんですが、歴史感覚においてはなはだ欠けておる方々ばかりだなどとは決して思っておりません。申すまでもなく、絶えず豊かな国際感覚を養う、歴史感覚を培うということには大分御努力を願うべきものでございまするし、そのような御努力をなさっておることも信じております。
指摘を受けておりまするいろいろな用語の検定に際しましては、調査官なり審議会、それぞれ理由があって検定をいたしておるのでございます。はからずもかような誤解を受けておるわけでございますから、先方の誤解を解くべく今日までいろいろ努力も重ねてきた、かようなことでございます。
しばしば申し上げたことでございますが、歴史の教育におきましては、信憑性ある資料の裏づけを持った事実を客観的に考察し、判断するという力を養う、こういうことを旨として教育を行うべきだと考えておるわけでございまして、今回問題になっておりまするのは、主として歴史の教科書の記述でございますが、さような趣旨から教科書の用語もできることならば価値判断を伴わない客観的な用語が望ましい、かような判断のもとに検定を行ってきておるところでございます。 反面におきまして、過去の戦争に対する厳しい反省の姿勢、これはことごとくの教科書がかような基本的な姿勢で貫かれておることでございますから、歴史の教科書はこのような認識のよってきたる歴史的な事実を客観的に記
改善意見等を受け入れまして原稿を改訂した教科書をもとの原稿どおりに直すということが現行制度のたてまえからしてきわめて困難であるということについては今日までるる申し上げてまいったところでございます。したがいまして、この制度のたてまえそのものを崩すことはなかなか実行するわけにはまいりませんけれども、しからばどのような形で当面のこの困難をきわめた事態に対応できるだろうかということにつきましては、目下外務省とも協議いたしまして、だんだん問題を煮詰めているところでございます。必ず円満な解決ができるような方途を発見すべく全力を挙げている次第でございます。
申し上げたことを御信用願いたいものでございます。
私は、八月十五日に靖国神社に確かに参詣をいたしましたが、個人の資格において行ったわけでございます。
私がかつての戦争に対して反省をいたしておるということと戦争の犠牲者の霊を弔うということとは決して矛盾することではないと考えております。
いま御指摘のあった、私の論文と仰せでございますが、全く記憶がございません。どのような表題でどのような雑誌なり何なりに公表されたものか、お教えをいただきたいと思います。
私はそのような同盟に入っておりませんので、したがって脱会ということは考えておりません。