二番目に、橋本総理とモンデール駐日大使が、一九九六年の四月十二日、普天間飛行場は五年ないし七年以内に全面返還をいたしますと。沖縄の人は大変喜びました。私はテレビを見ながら跳び上がって喜びました。あれから十五年たっておりますが、全く返還は実現されておりません。十五年たっても実現しなかった理由をおっしゃってください。原稿を読み上げぬで、是非副大臣の生の声でおっしゃってください。
二番目に、橋本総理とモンデール駐日大使が、一九九六年の四月十二日、普天間飛行場は五年ないし七年以内に全面返還をいたしますと。沖縄の人は大変喜びました。私はテレビを見ながら跳び上がって喜びました。あれから十五年たっておりますが、全く返還は実現されておりません。十五年たっても実現しなかった理由をおっしゃってください。原稿を読み上げぬで、是非副大臣の生の声でおっしゃってください。
私は、昨日の松本外務大臣と北澤防衛大臣の所信表明を伺いました。そして、外務大臣は、普天間飛行場の移設問題については、昨年五月の日米合意を着実に実施していく方針であり、沖縄の皆様方の理解を求めることに誠心誠意取り組んでまいりますと表明されました。防衛大臣もほぼ同じ表現でありました。 沖縄県民の理解は得られると思っていらっしゃるのかどうか、外務大臣のお気持ちを伺っておきたいと思います。
外務大臣が沖縄の皆様方の理解を求めることに誠心誠意取り組んでまいりますとおっしゃいました。しかし、もはや遅いと私は考えております。 なぜならば、抑止力は方便であったと鳩山前総理は言われました。方便とは何ぞやといって、私は知っておるつもりでしたが字引を引きました。方便、うそも方便と書かれていました。さらに、米国務省前日本部長ケビン・メアの、いわゆる沖縄はごまかしとゆすりの名人、あえて申し上げますが、これは暴言であります。暴言で罵られたわけであります。うそでだまされ侮辱の言葉を投げ付けられた沖縄県民に対し、新しい基地を押し付けようとする政治感覚が沖縄県民にとっては許せないのであります。 辺野古新基地建設計画、高江ヘリパッド建設計
私はここで副大臣と討論をしてみたいと思っておりますが、それは抑止論ということでありますが、時間ありませんから、これはまたの機会に譲っておいて、質問を進めたいと思います。 チュニジア、エジプトは、三十年前後の独裁政権に対してアラブの民衆はついに決起をいたしました。そして、独裁政権を倒して、民主主義の政権を目指して今頑張っております。 私は、この三十年という言葉を聞いたときに、私の頭に浮かんだのは、六十六年の沖縄の米軍統治から今日の米軍基地の実態が頭にすぐ浮かびました。 沖縄県民は、三十年ではなく六十六年にわたる日米安保の負担を押し付けられ、米軍基地の七五%を理不尽に押し付けられてきました。その犠牲は日本政府には分かっていた
私は、社民党・護憲連合を代表して、在日米軍駐留経費負担特別協定、いわゆる思いやり予算に対しましては反対の討論を行います。 日米地位協定第二十四条は、日本は施設・区域の提供のみと規定されており、基地の維持経費等は米国が負担することになっております。 そもそも、この思いやり予算は、一九七八年当時、米国の財政危機とドル安による物価高騰の折、金丸防衛長官が、思いやりがあってもいいと発言したことから始まっております。一九八七年六月以降、本予算の措置は、日米間で協定を締結し、暫定的、特別的、限定的という当初の趣旨に反して改定を繰り返し、そして固定化し増額されてまいりました。 しかし、その実態は、他の同盟国、NATO諸国の総額を上回る
私からも一言、今の小熊先生の最後の質問について北澤防衛大臣にお願いを申し上げたいと思います。 今の質問を聞いておりまして、戦争直後、沖縄の人々、死体とか遺骨とかそういう収集から始まりました。したがいまして、いっぱいやることがございますが、是非今の質問に、北澤防衛大臣、自衛隊の隊員の皆さん方あるいはその他の皆さん方のお力も借りて是非遺体の収容を一日も早く終わることができますことを、遺族の皆さん方あるいは地域の皆さん方は心から望んでおると思います。よろしくお願いいたします。 さて、私は今日は最初の質問は、これは前回、大臣がお見えになったときにやろうと思って準備をしておりました。副大臣が来られましたから、これはそのときは質問せずに
私がなぜ大臣がいらっしゃるときに質問したいかと思っていた気持ちを少し申し上げますと、私と大臣は戦前世代です。したがいまして、戦前の日本軍隊とかアジア太平洋戦争についても、幼かったとはいえ、私たちはその時代を生きてきた人間同士であります。したがいまして、あえて北澤防衛大臣にこの基本的な質問を申し上げておるところであります。 次に進めてまいります。 日本国憲法の平和主義の精神は、大綱や中期防のどこで担保されておりますか。今大臣は専守防衛とおっしゃいましたが、私としては、専守防衛が次第次第にやはり幅を広げて動き始めておる、そういう危機感さえ感ずるわけでございます。そこで、改めて防衛大臣にもこのことをお伺いしておきたいと思います。
次は、三番目に移ります。 日本は平和憲法の下で戦後六十六年間他国と戦争をせずに、平和国家、経済国家、人権尊重の国家として国際社会からも高く評価されてきました。防衛大臣、外務大臣に、日本の憲法にうたわれている平和主義を貫く決意をお伺いしておきたいと思います。外務大臣からどうぞ。
両大臣の憲法認識を私は肝に銘じて大事にしておきたいと思います。ありがとうございました。 次は、この度の東日本における地震、津波、原発の三重苦は未曽有の経験で人知をはるかに超えるものであり、人々は地獄の底に突き落とされました。この痛み、この悲しみ、この苦しさを、日本国民は自らの痛みと心を一つにして立ち上がっております。日本国民だけではありません。国際社会からも復旧復興支援の手が差し伸べられております。 その復興資金には何十兆という莫大な財源を必要とします。この際、政府は思いやり予算や沖縄における米軍へ提供する辺野古新基地建設計画や高江におけるヘリパッド建設計画を中止され、その財源を災害復興、被災者の生活再建に回すべきであると私
今両大臣から御答弁をいただきました。あと三分ありますから二分ほど申し上げたいと思います。 私は、二十五日の委員会でも少し外務大臣に申し上げたかと思いますが、アメリカの下院の軍事委員会小委員会は公聴会を開いたんです。既に外務省、防衛省はその情報は取っておると思います。 ハワイ州出身の下院議員が、グアム協定とかグアム移転とか、もうそういうふうなのは、東日本のあの大震災が起こってそういうことはやはり難しくなってきたなと、莫大な費用が掛かるんで、それはそういうグアム移転だとか基地を造るとかそういうふうに回す余裕はないだろうという趣旨の質問が、問題提起がされておるんです。そういう状況の中に、私は日本のアメリカとの交渉の非常にふがいなさ
まず最初に、この度の未曽有の災難で犠牲になられました方々の御冥福をお祈り申し上げ、あわせて被災者皆さん方へお見舞いを申し上げます。 私は、民主党政権が誕生し、三代目の松本外務大臣に今日初めて質問を申し上げる機会を得ました。外務大臣の御奮闘を心から期待を申し上げます。日本外交は多難でございます。北はロシアを相手にした四島問題、南は中国を相手にした尖閣諸島問題、太平洋の向こうにはアメリカがおります。アメリカを相手に沖縄における基地問題を県民の期待にこたえる形で対米交渉など、御奮闘を心からお願いを申し上げます。 さて、私の通告申し上げましたのは、後ろの方から質問をしていきたいと思います。 私は、追加質問として次のようなことを今
大臣のお気持ちは伺いましたが、日本国民、一億二千万国民の今回の災難に対する思いをやはり実現するために、是非私が提起をいたしましたこの三つの項目について内部検討をお願いを申し上げたいと思います。 さて次は、三月九日の予算委員会に引き続きまして、そのとき、どうも不明瞭な答弁がありましたから、引き続き答弁を求めてまいります。 それは、米軍基地に関する爆音訴訟で確定した損害賠償の支払に当たって日米地位協定第十八条第五項によると、合衆国のみが責任を有する場合は合衆国が七五%、二五%は日本国が分担するという規定になっておるわけであります。 さて、この米軍機の爆音はアメリカ軍が出しているんですか、日本政府が出しておるんですかという、こ
外交交渉は外務省の仕事だと認識しておりますが、アメリカ側とこの分担問題について交渉されたと思いますが、交渉された年度、その年度の何月何日かということを承っておきたいと思います。どうぞ。
基地問題とか日米合同委員会とかその小委員会とか、結構あるじゃないですか。その爆音訴訟のこの賠償金の分担割合について日米間の話合いの枠組みはちゃんとできておるんですか。できておれば、何という名前の枠組みかをおっしゃってください。
私は、民主党政権の中で評価するものの一つとして、当時の岡田外務大臣のときに有識者委員会を立ち上げられまして日米間の密約問題の検証をされました。これは、日本国民からは高く評価されておると思います。 そこで、こういう分担金の問題さえもここで明らかにできないぐらいの外務省の事務方ということでは、これは困ります。大臣、細かい金額は三月九日に全部申し上げてあります。したがいまして、これは、岡田さんはそういうふうに有識者を立ち上げられましたが、是非、松本大臣は、これは地位協定第十八条五項にあるんです、それは日米間で決めた地位協定でしょうし、むしろアメリカがリードして作った地位協定でしょうから、これは是非検証していく、そしてちゃんとアメリカに
私は、時間ですからこれで終わりますが、このことは、当事者である、私はアメリカ大使館にも横田基地にも行って調べてきたいと思います。そういうふうなことになると、梅本さん、今までそれを進めてきた北米局長として責任問題になりますよ。そういうふうなことではいかぬでしょう。したがって、今大臣の答弁もいただきましたが、そういうふうな生易しい問題じゃないと思います。 以上です。
この度の未曽有の災難で犠牲になられました皆さん方の御冥福をお祈り申し上げ、あわせて、被災地域、被災者の皆さん方に心からお見舞いを申し上げます。 〔委員長退席、理事島尻安伊子君着席〕 私は、沖縄戦のときに避難生活を体験しました。食えるものは全部、草木の葉っぱも食べてみました。大げさに申し上げますと、人間以外は山の動物も全部食べてみたんです。そういう体験もありましたし、戦後沖縄が日本復帰をするためには、本土の多くの心ある人々の御協力をいただきました。そして、復帰いたしまして今日の沖縄を迎えております。 まだ問題は抱えておりますが、私は、今回のあの巨大な地震、巨大な津波、そして原発問題を含めて、日本国民として初めての体験で
次に、新たな沖縄振興のための法制度の創設についてお伺いいたします。 去る三月十日、十一日に沖縄県議会の議員団が政府に対し、新たな沖縄振興のための法制度の創設を求める意見書の要請を行っております。私も、今委員長席にお座りの島尻議員も一緒に県議団からの要請を受けて、政府の取組、沖縄県庁の取組等も質問をしておきました。 現在沖縄県が政府に求めている沖縄振興のための制度提言では、産業振興の諸制度に加えて、今まで振興策の中になかった新たな分野も含めまして民生分野の新制度の創設を求めております。これらの諸制度について政府としてどのように受け止めどのように対応されるお考えか、お伺いしておきたいと思います。手短にお願いいたします。
しっかり政府と沖縄県庁の実務者で未来に希望の持てるような法制度をつくっていただきたいと思います。 ここで提案だけにしておきますが、時間がありませんから。 私は自治体の首長をやったり沖縄県の三役をやった経験がございまして、八〇年代から私は、日本の長寿社会を見越して、沖縄の地に避寒、寒さを避ける、避寒長寿福祉村をつくりたいと、大きな構想をずっと提起をしてきました。もしそういうのができておれば、寒い地方から半年前後にわたって雪に閉ざされておるところのおじいちゃん、おばあちゃんたちをこの避寒長寿福祉村にお迎えをして過ごしていただこうと、こういう福祉政策を持っていたわけでございます。それはいまだ実現しておりませんが、今回のこの災難の状
今日はあと一分ぐらい残っておりますが、切れ目がいいですから、ここで質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。