ということは、アジアでは進めるつもりがない、こういうお答えですか。
ということは、アジアでは進めるつもりがない、こういうお答えですか。
私は、これは多分国と国との間でまだ必ずしも理解ができていない。例えば、中国がいろいろな問題について日本に対して不信を持っている。あるいは韓国もいろいろ不信を持っている。ヨーロッパにおいては、ドイツとフランスが、例えばドイツのバイツゼッカー大統領が、自分が変わる、自分が変わることによってそういう大きな進歩をしていった。自分だけが正しい、こういう姿勢ではなかなかほかの国の理解は得られないと思うんです。私はそのことを指摘しているんです。アジアにおいてもそういう状況があると思うんですけれども、いかがですか。
まずみずからが変わるということが、日本がこれからアジアの中で示していく大きな姿勢だと思うんです。自分だけが正しい、そういう姿勢を改めていくことができるかどうか、これが一つの我々二十一世紀に生きる政治家の大きな役割だと思うんです。それについて、一般的な答弁で結構です。お願いします。
今、日本が変わっているというふうにおっしゃいましたけれども、日本の我々の歴史を見てみれば、例えば、吉田茂が日米安保を結んで、そして池田勇人が所得倍増と言っていった。そのことは、自分さえもうかればそれでいい、そういうことが今まであったと思うんです。例えば靖国に行っても、おれが行って何が悪いんだ、こういう議論では中国や韓国の共感は得られないと思うんです。 そういう意味で、みずからがともに生きていきたいんだ、こういう気持ちを政治家としてアジアに発信していく、そのためには外務大臣ももっともっと、パキスタンに出張するなり、いろいろなところに行くべきだと思いますよ。その発信の努力というものがなされていないんじゃないかということを指摘している
これは大きな理念の問題でもありますし、それを我々政治家として、日本が今まで、例えば富国強兵、自分さえ強ければいい、それでアメリカとの戦争に結びついた、その後は、兵隊を強くするということはアメリカに任そう、我々は所得倍増、経済中心で行こう、ところがそれが、自分さえ強ければいい、自分さえもうかればいい、そういう時代が二十一世紀になって変わっているんじゃないかということを指摘したわけです。それはいいです。 次に、きょうの質問に移らせていただきたいと思いますけれども、先ほど、対テロ、こういう問題も、我々日本が二十一世紀にどういう役割を果たしていくかという観点から、非常に大事な部分を含んでいると思うんです。その中で日米がどういう関係であり
申しわけない、質問が全然違っていると思うんです。アメリカが自己完結的な対応を日本側にしてくれと要請したと書いてある、それは事実ですかとお尋ねしているんです。日本が要請したかどうかは聞いていません。
米側から要請した事実はありませんと今お答えになりましたか。
ということは、この報道は真実じゃない、こういうことですか。
外務省の発表でも、この自己完結的な対応を要請されたというふうになっているんです。答弁に誤りがあると思いますけれども、事務方と打ち合わせて、きちっとした答弁をしていただけますか。
今の答弁は非常に失礼な答弁だと思いますよ。 当然、質問は、この新聞社に確認してから言っています。そして、これはきちっとした事実ですねということを外務大臣の方から確認いただきたいと思って質問しているんです。当然、新聞社の方には確認しています。お答えください。
したがって、アメリカからそういうきちっとしたメッセージが出されたわけですよね。だから、アメリカから要請されていないというのは、私は不正確な言い方だと思うんです。アメリカはきちっとそういうことを言ってあるんです。 こういうことについては、例えば、自己完結的な能力というものをアメリカが言っているということは、日米同盟のあり方について非常に大きな意味を持っているわけなんです。この自己完結的な対応というのがどういう意味を持っているのか。例えば自衛隊が攻撃をされた場合に、自分たちのことは自分たちで守りなさいということまでを意味しているのか。そのことについてはアメリカ側に確認されましたか。
一般論としてというふうに今お答えになったわけですけれども、アメリカ側のつもりとして、今大臣の答弁のとおりであれば、これは、例えば自衛隊が攻撃を受けた場合に、自分たちのことは自分たちで守るということにもつながっていくわけです。それでよろしいのでしょうか。
軍隊を動かす、これは防衛力と言おうが、実際には世界からは武力と見られている。実力部隊を動かすわけですから、そのときにケース・バイ・ケースということを我々国会議員が言ってはおしまいだと思うんです。我々はシビリアンコントロールということを大事にしなければいけない。その場合に、どういう場合にはどういうふうにするのか、ケース・バイ・ケースでやっていいということにはならないと思うんです。 それは、我々が、例えば外務省であれば外交をつかさどっておられる、外交が防衛をきちっとコントロールできるかどうか。一九三〇年代に、幣原協調外交か、あるいは当時は田中義一内閣のもと軍が非常に強くなったわけですけれども、我々が、外交が防衛をきちっとコントロール
これは、日米できちっと気持ちを合わせておかなければいけない大事な話だと思うんです。 というのは、外交交渉というのは、例えば、一九五一年に安保条約ができたときにも、アメリカ側から、極東の安全のために在日米軍を、メイ・ビー・ユーティライズド、使うことができるということが提案されたわけです。それで日本側は、ああ当然だ、朝鮮戦争も行われているから、日本以外のところにも使うことができて当然だということを勝手に思い込んだ。ところがアメリカは、いわゆる防衛義務、ディフェンスコミットメントを託そうとしていた、そういう努力の中でそれが出てきたんです。 それで、慌てて当時の外務省の方が、しまった、これはメイ・ビー・ユーティライズド、メイ・ノット
この間の調整委員会で確認されなかった、それはそれでよくわかりました。 他方、それであればこれから、第二回が行われる際には、あるいはもう既にワシントンとの間でもいろいろな、我々在米大使館も持っている、あるいは在京のアメリカ大使館だってあるわけですから、この自己完結的な対応の趣旨というものをアメリカとの間できちっと詰めておくことが、この日米同盟がきちっと機能するということになるわけです。 そのことについて、確かめられるということをお考えでしょうか。
このアメリカが言っている自己完結的な対応ということについて、我々は一般論で今議論をしてしまっているわけですね。したがって、本当にアメリカが、例えば日本の自衛隊が攻撃された場合には、同盟国なんだからちゃんと守ってやるよ、そういうような意思疎通があってもいいと私は思うんです。そのことがなければ、勝手にやりなさい、我々は戦争で忙しいんだから、そんな水や油を持ってきた人たちの面倒を見られないというようなことであれば困るわけですね。 戦争状態というのは、いつ何が起こるかわからない。特にテロというのは、どこに仲間がいて、だれがつながりを持っているかがわからないというところが我々一番大変なわけですから、そういう意味では、これは絶対攻撃されない
答弁として前向きにお答えいただいたわけですから、ぜひともそういうふうにしていただきたいと思うんです。 だけれども、そういう心配があるから、そういう心配を持っている人もいるからということじゃなくて、これは外交当局のみずからの仕事として、自衛隊を送る限りは、防衛庁だけの仕事じゃないんですね。アメリカといろいろな意味で意思疎通をされておられる、それは外務省の仕事なんです。そういう意味では、外交的ないろいろなルートを通じてきちっと確認していただきたいと思うんです。 アメリカが自己完結的に対応してくれと言った心の底には、これから日米安保関係あるいは日米同盟を進化させたい。よく英語ではエボリューションという言葉をアメリカ人は使い始めてい
その集団的自衛権の大前提として、私はシビリアンコントロールということがあると思うんです。 これは私の個人的見解でもあり、また私の仲間の見解でもありますけれども、いずれ集団的自衛権というのは、ほかの国が持っている、もちろん、ほかの国はそれを使える、これは当たり前のことだと思うんです。国連憲章で初めて出てきた権利の概念ですけれども、そのことをあえて自分から否定しているのは日本ですね。そういう意味では、いずれこれは認められて当たり前ということは、多くの国民の人が今だんだんそういう気持ちになりつつある。だけれども、その大前提としては、シビリアンコントロールがきちっと整っていない限りは、こういう集団的自衛権というのはまだ早いと私は思うんで
防衛庁から官邸に報告はあった、ところが、報告は一方的にあっただけで、そのことに対して行っていいよというようなコントロールはなされていなかったわけです。そのことに対して、私は、外務大臣の立場として、日米安保条約をつかさどる外交当局の立場として、それはきちっとしたコントロールがされてしかるべきなんじゃないのということを言われてもよかったと思うんです。 それは、外務大臣、あの当時言われたんでしょうか。
今の大臣がお読みになったのは防衛庁の見解です。防衛庁としては、通常の警戒監視活動であったから特にこれは問題ないんだ、そういう立場をとっている。それはそれで防衛庁の立場です。 他方、外交当局の立場としては、これは通常の警戒監視じゃない、大きな政治的な意味を持っている、特に日米安保条約の中で大きな意味を持っている。そういうことを通常の警戒監視だからということであれば、これは国民に本当のことを説明していることにならないと思うんです。シビリアンコントロールというのは、国民の代表である我々がきちっとコントロールしていく、そのために国民にきちっとしたことを伝えていくということだと思うわけです。 私の趣旨が必ずしも伝わっていないかもしれな