十一年前の話ですから記憶は定かではありませんけれども、いろいろなところにいろいろな人と行っていますが、しかし、当時は、その福田さんは私の後援会長さんでございますから、家族と同じようなつき合いで、おうちにも事務所にも病院にも、至るところにたびたび行っていたと思います。いつ何どきどこへ行ったかまでは記憶にありません。
十一年前の話ですから記憶は定かではありませんけれども、いろいろなところにいろいろな人と行っていますが、しかし、当時は、その福田さんは私の後援会長さんでございますから、家族と同じようなつき合いで、おうちにも事務所にも病院にも、至るところにたびたび行っていたと思います。いつ何どきどこへ行ったかまでは記憶にありません。
先生も御案内のとおり、この選挙、いわんや私の後援会長さんの選挙です。しかも、私のところは、残念ながら、極めて保守的な地域で、自民党さんが圧倒的に強い地域です。その市長選挙、後援会長を立ててまさに不退転の決意で私は臨んだわけでございます。そういう点では、公設秘書のみならず、私設秘書もあるいは後援会も、私自身も含めて、まさに総力を結集して、ほかの選挙もそうですが、自腹を切ったって選挙に臨むんです。その選挙に当たって、私は候補者からお金をもらったということは一回もありません、どこの選挙においても。
当時、後援会長さんですから、もちろん選挙のことを一生懸命応援しますし、また、後援会長さん自身から、私はそれまでの間、政治献金等々もいただいておりました。 しかし、そのほかにも、例えば、病院ですからいろいろな課題もおありだったようで、病院内の土地を買収しなきゃいけないとか、あるいは入院されたところの院長の営業資格停止をどうにかしなきゃいけないとか、そういう等々のいろいろな問題がおありになって、それは奥さんは御存じないんですね。本人だけが知っている話なんですが、しかし、そういうことは私の政治活動ではありませんから。 私は、政治活動に関しては自分でやり、また政治献金をいただく。その政治献金というのは無税ですから、これは政治活動のみ
もう一度はっきり申し上げておきますが、選挙のために金を要求したということは断じてありません。 そして、週刊新潮を訴えたのは、もう先生が一番よく御存じのとおり、私が野党の国対委員長のときに、先生方は組織的に私のことについていろいろと対策を立てておられたと思います。おられていましたよね。(平沢委員「知らない、そんなの。そんなこと全然知らない」と呼ぶ)知らないですか。 そして、いろいろと週刊誌で、次から次へとその週刊誌が連続的に私のことを書いておりますが、私にしてみれば、この結果はいずれも事実無根、途中まではまことしやかだが、結果はいずれも事実無根。そういうことで、余りにもひどいことを書き続けるので、週刊誌を訴えたのでございます。
それはケース・バイ・ケースで、私は、人に頼まれて会に行くというのは、これは政治家の本分だと思っておりますから、万難を排して、そういう会合、先生もそうだと思うんですね、万難を排してそこには行きますが、私ごとでマスコミを訴えた、こういう話でございますので、そういう時間をとられるわけにはいかないし、いつ何どき来いと言われても困る、こういうことでございます。
日本は民主国家でございます。ですから、合法的に一生懸命仕事をしている人は、それは守らなきゃいけないと思っています。しかし、非合法のものについては、あるいは犯罪のものについては、これは断固取り締まるのは当然のことでございます。
委員も警察御出身の方でございますから百も承知で言っておられるんだと思いますが、暴力団組織というのは基本的に犯罪組織と同じでございます。したがって、厳正に取り締まって、常日ごろ、常時取り締まっていかなきゃならないものでございます。しかし、一般ビジネスは、好き嫌いとかはありますけれども、法律できちっと定められている仕事をしている、こういうことに対しては、これはまた法でも守らなきゃいけないと思っております。
これは、予算委員会で今、第三次補正を一生懸命審議していただいている、そして、福島や東北では一日も早い予算の成立と、そして救済を求めているさなかに、私はこういう答弁をしなきゃならぬというのは非常に悲しい気持ちでいるわけでございますが、御質問ですからお答えを申し上げます。 私は、金子賢二という名前から、婿養子になったものですから、本名は藤野ショウゾウになりました。私の義父の山岡荘八も本名は藤野庄蔵でございます。 そっちの方から先に言いますと、山岡荘八も実は婿さんでございまして、そういう点では、本人自身が藤野庄蔵という言葉、藤野という言葉を使うことは非常に避けていたようで、私にも、なぜそれを使うんだ、おまえは山岡荘八のせがれじゃな
お墓参りはいたしました。(平沢委員「行ったんですか」と呼ぶ)もちろん行きました。
今まで政権を運営されていた自民党さんの質問とはとても思えないんですが、そういう個人の名前まで出されて言われますが、その方は、それは確かに戸籍上は孫ということにはなっておりますが、余り大きな声では言いたくありませんが、実態は別なところにあるわけでございます。しかし、そのことに対しては私は十分ケアをしているわけでございますが、山岡荘八の遺志としては、それはもう別行動をとるように、そういう遺言も残っていて、場合によっては御本人にも見せてさしあげようかなとも思っております。
山岡荘八も、婿ですから、それはそれなりの義理は感じていたようでございますから、戸籍上の両家の墓、藤野の墓、それから自分の本名の山内の墓、そういうものを置いてはおりますが、しかし、墓全体のその表示は、山岡家の墓、こういうふうに表示して、ここは山岡の墓だと。そんなことまではお答えしたくないんですけれども、まあ質問ですからお答えしますが。
二回目の選挙のときに、それは鹿野先生が選対委員長のときで、多分御記憶いただいていると思います。
いえいえ、ですから、得票数といっても比例には得票数というのはないんです。
そういうことです。
今委員おっしゃいましたが、拉致問題は国民的な与野党を問わず課題であると御指摘がありましたが、拉致問題は、もう言うまでもなく、我が国に関する重大な主権の侵害でありまして、これはもう国の責任において、本当に国民の代表たる国の責任において解決していかなきゃならない問題でありますと、十分御存じと思いますが、改めてその決意を持って申し上げさせていただいておりますが。また、こうやって大臣が度々替わるということは、特に御家族が不満をお持ちであるということは承知をいたしておりますし、必ずしも望ましいことではないと考えております。 しかし、この現政権、また担当の私においても、昨年十一月に八項目にわたって本部長指示がありましたが、拉致本部一丸となっ
有田委員の御所見というかお考えを最初からずっと伺っておりまして、私も共感できるところが非常に多いと思いながら承っていたんでございますけれども、あの小泉訪朝のときには、これはもう衆目の一致するところ、アメリカの力が非常に大きな影響を及ぼしたんじゃないかということはそのとおりだと思うんですが、ただ、今状況が変わっておりますのは、アメリカがあのときのようなそういう姿勢ではいないという中でどうしていくかと、こういうことがあります。 また、変わらないのは、御指摘のとおり、今の金正日のときにここで解決を進まないとなかなか難しいんじゃないかという認識を私は持っております。つまり当事者能力がなければこういうことはできませんですから。また、来年は
七か月で担当大臣が替わるとか、いろいろな御指摘は、御家族のお気持ちはよく分かりましたので、そういう点では、ずっと議連でこの拉致の御家族のケアをし、心も通じ考え方も分かっている、そういう松原副大臣、国土交通に決まっていましたけれども、是非ともこの拉致の副大臣も兼ねてほしいと後から総理に頼んで無理やりしていただいたものですから、表に出ていないかもしれませんが、正真正銘の拉致担当副大臣でございますので、よろしくお願いいたします。
ちょっと誤解があると思うんですけど、私は、あのときに有本さんの方から、うちの娘は八三年に拉致されたというお話はありません。私の方が、昭和五十八年でしたねと。そしてそのときに、それは私の初当選の年でございますから、これは私が国会議員になって以来、国会議員としての責任を今日まで負っていると思っております、全力で頑張りますと、こういう旨を私は申し上げたわけですが、後ろの方にいた方はその辺がよく聞こえずに週刊誌に言われたのかもしれませんが、何年にそういう拉致に遭ったという話もないし、私の方で一方的に、頑張ります、私が政治家としての責任で頑張りますと、こう申し上げたことでございます。
欧州で拉致されて、魚本という犯人でございます。
まず、財務委員長という言葉からあれしますと、財務委員長ではありましたが、役割というのは、私の指示されたことを財布から渡すまでが私の仕事でございました。その先のことは私は関知しておりませんし、監査もしておりません。 それから、御指摘の点はそのとおりでございます。