奥野さんは、昭和六十二年八月十七日の靖国神社に参拝する会ですか、集団参拝をされまして、そのときに記者会見をなさって、要約ですけれども、今の中国を見ていると、中国は日本の伝統に対する挑戦ではないかと思う、外務当局はテーブルをたたき合ってでも話し合ってほしいというふうに述べておられます。この言葉と今回の発言というものを並べてみると、奥野さん、やはり確信犯だな、こんな感じがいたします。 大臣、外務当局がこんなことでテーブルをたたき合うというお気持ちはないでしょうね。いかがですか。
奥野さんは、昭和六十二年八月十七日の靖国神社に参拝する会ですか、集団参拝をされまして、そのときに記者会見をなさって、要約ですけれども、今の中国を見ていると、中国は日本の伝統に対する挑戦ではないかと思う、外務当局はテーブルをたたき合ってでも話し合ってほしいというふうに述べておられます。この言葉と今回の発言というものを並べてみると、奥野さん、やはり確信犯だな、こんな感じがいたします。 大臣、外務当局がこんなことでテーブルをたたき合うというお気持ちはないでしょうね。いかがですか。
昭和六十一年八月十四日に発表された中曽根内閣の官房長官の談話がございます。これは大臣も御存じのとおりですから、私は言いません。 ただ、ポイントだけ言いますと、「靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀していること等もあって、昨年実施した公式参拝は、過去における我が国の行為により多大の苦痛と損害を蒙った近隣諸国の国民の間に、そのような我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれる恐れがある。」ということを指摘しています。 つまり、近隣諸国の国民感情というものを配慮しなければならぬという
金丸さんの御発言はともかくとして、中曽根さんが、当時の総理大臣がいろいろ対応策を検討中だとおっしゃった言葉については、内閣継続の原則から見て当然のことというふうに考えてよろしゅうございますか。
奥野さんは「鄧小平氏の発言に国民みんなが振り回されているのは情けないことだ。」と言っておられます。かつて、鄧小平氏に対して雲の上の人だとか頭がかたくなったというようなことを発言なさった外務省首脳もおられますけれども、それを平易に翻訳して言うと、鄧小平さんが誤解して発言をした、日本国民がそれに振り回されているという意味にしかとれないのです。 一国の指導者に対して竹下内閣の閣僚がこうした非礼な発言をする、あるいは礼儀をわきまえない発言をするということは、外務省首脳の発言などを含めて考えてみると重ね重ねという思いがしないわけでもありませんが、その点では外務大臣はどんなお考えでおられますか。
奥野さんはさらに「中国とは国柄が違う。占領軍は国柄、国体という言葉も使わせなかった。神道に関することは教科書からも削除したが、神話、伝説をもっと取り上げたらいいと思う。」と述べておられます。 それは個人的なお考えだろうと私は思うのですけれども、それにしても、例えば教科書問題ということを言えば、中国や韓国が教科書の記述についてさまざまな意見を述べているのは、日本は諸外国と違って教科書というものを文部省の考え方に基づいて検定している、そしてそれを採用している。つまり、それは日本政府の考え方を代表するということにならざるを得ない。 だから、歴史の改ざんあるいは中国や韓国に対する間違った記述というものは政府の考え方だと言わざるを得な
言葉を並べて言ってしまいますと、全部そうなのですけれども、特に私が問題だと思うのは「白色人種がアジアを植民地にしていた。それが、日本だけが悪いことにされた。だれが侵略国家か。白色人種だ。何が日本が侵略国か、軍国主義か。」こういうふうにおっしゃっておられる。この言葉には日本の戦争責任あるいは植民地支配に対する反省の一かけらもないと私は言わざるを得ない。 歴史をひもとくまでもなく、日清戦争以来、満州事変、日中戦争、そして太平洋戦争に至る対外的な日本の戦争というのは、そのほとんどが中国領土で戦われてきたわけです。つまり、一方的に日本が中国に攻め込んでいるという歴史的な事実があるわけですね。その間に日本は非常に多くのものを中国から奪って
今さら日中平和友好条約や日中共同声明のことを私はここで申し上げるつもりはございません。ただ、特に日中共同声明の例えば二項あるいは三項あるいは前文というようなぐあいに拾っていきますと、これは文字どおり日清戦争以後の日本と中国との歴史というものの関係というものを総括する、とりわけ戦後のいわゆる国民政府との関係というものも否定的に総括する、そういう性格のものだというふうに私は思います。ぜひこれらの事実を踏まえた上で訪中をなすっていただきたいし、釈迦に説法でございますが、そういうことを念頭に置いていただきたいと思います。 具体的に、若干新聞にも出ていますけれども、例えば光華寮問題あるいはココム規制の問題あるいは中国総領事館への発砲事件な
ちょっと横道にそれて恐縮ですが、実はココムというものの運用について、私、素人でわからぬものですから、東芝機械の問題にしても今度の中国の問題にしても、アメリカから指摘されたわけですね。そして日本側がそれを調べてみた、そして事件になった、こうなるわけですね。日本の側で緩和をしたいということをココムのメンバーというか会議なりなんなりの中で主張をして、それが受け入れられて、技術のレベルだとか品物だとか、そういうものを除外していくという手続になるんですか。これは私、全然素人なものですから、その段取りを教えていただきたいのです。
それは全会一致ということになるとそう簡単にいかないと思うのですが、大臣、それは大体何カ国になって、どういう会議で決められるのかということを教えてください。
その話に余り深く立ち入るつもりはございませんが、率直に申し上げて今度の事件――事件と言っては大変恐縮ですが、奥野発言をめぐるさまざまな問題がございますね。私はいつも感ずるのですけれども、日本政府なり外務省というのは、アメリカに対しては、例えば円高・ドル安の問題でも、今度の牛肉、オレンジのことでも、あるいはいわゆる貿易摩擦の問題全般を含めて、あるいは防衛分担のことを含めてえらい弱腰で、言われっ放しになっているというような感じがしてならない。 それはそれとして、一方、中国だけではなしに、アジア諸国に対する対応の仕方というのは、アメリカとの関係でいえば極めてアンバランスではないか。例えば貿易摩擦の問題や何かのことについて言えば、もうち
藤尾さんに続いて奥野発言ということになるわけです。何とかいう人が書いた「懲りない面々」という小説があって、テレビの放映も私見ましたけれども、本当にそのとおりなんですね。私は、もうこんなことを何回か繰り返してやるのは嫌ですよ、本当に。繰り返せば繰り返すほど、相手にとってみれば、何だということで怒りが増幅してきますよ。これは奥野さんの処置の問題を私は細かく言うつもりはございません。我が党は罷免を求めています。そういうことを含めた助言を外務大臣として、中国へ行かれるわけですから、八月に、また竹下さんも行かれるわけでしょう、そういうようなことを含めたきちんとした何らかのけじめをおつけになることが必要だと思いますので、大臣から御決意のほどを承
ちょっと時間が余りましたので、次に日ソ問題について簡単にお尋ねしておきたいと思います。 十八日に外務大臣は日ソの対話の拡大についてという見解を発表なさったようですが、ソ連側には果たしてあなたの意図がそのとおりに受け取られているのかなということも考えられます。ソ連の外務省の情報局の幹部が「これまでになくごうまんで好戦的。無責任としか言いようがない」というふうに論評をされていますが、この点について大臣、どんなお考えを持つでしょうか。
大臣は、日ソ関係改善のためにこの際一歩踏み出すということを述べたかったわけだし、そういう中身を言ったのですか。
もう時間ですからやめますが、けさの読売新聞でサッチャー首相が、ゴルバチョフ書記長の評価といいましょうか、非常に希望が持て、大胆で勇敢なことだと思うというふうに語っておられる。これは、もちろんペレストロイカあるいはグラスノスチを含むいわゆるニューアプローチに対する評価というふうに見ていいと私は思うのです。 大臣も同じだということをおっしゃったわけですが、それならば、そういう政策あるいはゴルバチョフ書記長の努力というものが何とか実るように、あるいは成功するように協力をするというのが日本の政府の立場であっておかしくはないのではないか。米ソ首脳会談や何かのことはもう申しませんけれども、そういう国際情勢の中で日本だけが何となく乗りおくれて
時間が参りましたから、これで終わります。ありがとうございました。
安保条約に関係して、内外情勢に関連をする質問を少しさせていただきたいと思います。 きのうの夜ですが、テレビでアフガニスタンからのソビエト軍の撤退のニュースを見ました。ある感慨と、同時に感動を覚えました。 八年間の歴史を振り返ってみるまでもなく、長い長い交渉の中で、特に国連がかかわって米ソが保証人になってといういきさつを含めて結論が出、その対応を進めようとしているときに、また同時に五月二十九日からの米ソ首脳会談、戦略核五〇%削減だとか、通常戦力の削減だとか、さまざまな課題があります。 私はこれはある種の新しい情勢への転換であると同時に、デタントの第一歩だというふうに受けとめたいと思いますけれども、外務大臣はこの辺についてど
五月二十九日から開かれる米ソ首脳会談の問題ですが、戦略ミサイルの五〇%削減交渉や化学兵器の禁止、あるいは通常戦力の削減などの成果がどんなことになるのだろうかということについて、外務大臣、御判断がございましたらお教えをいただきたいと思います。
八〇年代に入って、アメリカのレーガン政権のいわゆるソ連観、ソ連に対する見方、あるいはソ連の側のアメリカに対する認識というものがいわば冷戦の構造をたどってきた。そして相互信頼や相互理解というものが全く失われてきたように思われてなりません。この相互不信というものが強まれば強まるほど、例えばソ連脅威論とかあるいはアメリカ脅威論というものが増幅してきたことも事実だと私は思うのです。 そういう歴史を振り返ってみますと、今こういう状況が展開されているというのは非常に大きな変化の兆しであるというふうに私は思うのです。まだ米ソは政治や経済あるいはイデオロギーや価値観は違うし、それだけではなくて、国際政治におけるリーダーシップも激しく競争されてい
今大臣からお話がございまして、私どもも似たような認識に立つわけですが、少し整理をして言いますと、やはり第一は、米ソの経済的な困難、特に軍拡の不経済、そういうものについて米ソが共通の認識を生み出しているということ。第二は、核戦争が人類を滅ぼしかねない、そういう危険な状況というものをお互いにつくり出してしまった、これは大変なことだということに対するある種の反省といいましょうか、ということが二つ目だろうと思う。三番目は、平和を求める国際世論がいわゆる米ソ超大国と言われる国のリーダーの決断を促したという意味でも、民衆の、世論の力というものを非常に大きく評価をしたいと私は思いますけれども、言ってしまえばこれは極めて常識的な判断だと思いますが、
そこで、実はお互いにその認識というものを共有することができるとすれば、今、日本は何をなすべきか、この国際緊張の緩和という新しい幕あけの中でいたずらに手をこまねいているわけにもいかないと私は思うのです。平和憲法の国として、あるいは非核三原則を守り抜く立場から、日本独自の外交といいましょうかあるいはこの自主的な外交努力とでもいいましょうか、そういうものをぜひひとつ頑張ってやってほしいものだなというふうに思うのです。 そこで、例えば一つの例を挙げます。幾つか例を挙げたいと思うのですが、今戦略ミサイルの削減交渉が行われています。米ソに対して、私どもは例えば太平洋でのSLBMの削減を、非核三原則の国としてあるいは被爆体験を持っている国とし