地区によつて違いましようけれども、九州といたしましては五千円いただきました。
地区によつて違いましようけれども、九州といたしましては五千円いただきました。
私は淵上房太郎氏から、党からことずかつたと言つて受取りました。
ございません。全然植原さんにはございません。
いいえそんなことはありません。
それは知りません。
それはございませんが、代議士の推察でそんなことを言つたんじやないかと思います。
全部にやつたからということでもらいました。
龍名館に行きました。御承知のごとく龍名館は炭鉱業者の旅館でございまして、私の國から陳情に來ますればたいがい龍名館に泊りますから、龍名館には敬意を表すために行つたことがあります。
あれは私の國の市長とか商人とかが來るので、たまたま炭鉱業者に会いましたし、私は炭鉱地帯出身の代議士ですから、もちろん会えば敬意を表しますが、当時社会党の代議士衛藤さんなんかと同じ選挙区で、行けば挨拶をし、雜談をするというようなことで、別に特別に呼ばれて行つたということもないし、特別自分から行つたということもない。
私は見ません。
そうです。
私はかけ出しの代議士でありますからよく知りませんが、党から選ばれで党議によつて視察するときに党から視察手当をくれる、そんなものであるというように思つて私はいただきました。
それは幹事長に聽いていただけばわかります。私は知りまん。
私はどこから出ているかわかりません。ただ党から言ずかつてきたということにおいて、私は党からというふうに信じていただきました。
淵上君は言ずかつてきただけです。
党の封筒に平井君と書いておりましたから、もちろん党ということを自分は信じてもらつた、こういうことでございます。
それは私は知らぬのです。淵上さんがどこからいただいてたれに言ずかつたかということは私は知りません。
そう私は信じております。
実際に調べたわけではありません。
私は視察後におきまして、自分の信念に基いて街頭演説をやろうという氣でビラを五千枚つくりまして、私の方で千五百枚ばかり貼りまして、三千数百枚残つておりました。私は新橋で街頭演説をやりました。その後においてたまたま田中彰治君に会いました。田中君は私の選挙区の炭鉱業者であります。自分たちも立看板を立てて大衆に訴えるという話でありましたから、非常にそれは手がかかる、人夫があるか、手はいくらでもある、人夫はいくらでもあるというお話でしたので、実はおれもビラを貼つて捨てようと思つておる余つたビラがあるのだ、それはうちの方に少しくれぬかと言う、それでは貼つてくれというので、私のところにいました北原という人が田中氏のところに持つて行つた。それだけで