龍名館に泊つておつたことがあります。
木曾重義
衆議院・日本石炭鉱業連合会会長
累計発言数
6件
最終発言
1968-05-09
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龍名館に泊つておつたことがあります。
あれがビラをはつたという経緯でございますか。
それは日にちは忘れましたが、八月の終りころでしたか、鉱業会で総代会がありました。そのときにいろいろな議案が済んだころに田中彰次君が、國営反対運動は手ぬるい、だから大衆運動をやらなくちやいかぬと、非常に雄弁家ですから一席も二席もやつたのです。そうしたら大阪の人で肥田理吉という人がそれに共鳴して、盛んにやらなくちやいかぬと言つてわあわあにぎわつたのです。議長にここで即決しろということを迫つた。議長はどなたかしらぬが、——会長か、副会長でしたか、よく研究してやると言うと、研究とは生ぬるい、ただちに理事会を開いてきめろということで大分食い下つた。そうして別室で大衆運動というものをやるか、やらぬかということをきめられて、われわれつまらぬながら
岡部得三代議士ですか。龍名館にですか。
來ません。しよつちゆうは來ません。
本部と言いますと……。
一、二度來たことがありますよ。龍名館によく要件で來たことがありますが、連絡があつたかどうかわかりません。
おりません。
行きましたよ。
私は賭博でなく、娯樂として……。
もらい下げ運動したことはありませんよ。
私たちは行つてすぐ帰つてきたから、運動する間も何もありませんよ。すぐ帰つてきたんですから……。
日時は覚えませんが…。
九月二日ということは忘れましたが、夜明け前でした。
いや行つて、そう大した時間がないですね。司法主任か何か呼びにきて、四人順々に調べて帰つてきたのだから、大した時間じやないと思うのですけれども、だれも私たちが代議士に頼むとか、そんな時間はないのです。
知つております。
ないです。
私は五時ごろに帰つてきた。暗いうちに行つて、帰つてきたのは明るくなつて帰つてきたから……。
知りません。
知りません。