署長室での交渉に際しては、さつき一言したと思いますが、署長は労働者を断圧するやつだ、やめちまえ、あるいは吉田内閣の犬だ、あるいはばかやろうとかいうような、詳細は覚えておりませんが、私としては聞くにたえかねたような言葉が、代表並びに職長室に集まつていた数十名の者から交互にそういう言葉を発せられた状況であります。
署長室での交渉に際しては、さつき一言したと思いますが、署長は労働者を断圧するやつだ、やめちまえ、あるいは吉田内閣の犬だ、あるいはばかやろうとかいうような、詳細は覚えておりませんが、私としては聞くにたえかねたような言葉が、代表並びに職長室に集まつていた数十名の者から交互にそういう言葉を発せられた状況であります。
吉田内閣の犬とか、ばかやろうとか、やめちまえというような言葉は、署長として非常に聞くにたえない言葉だと思いました。
それは聞いておりませんが、八月か九月になればわれわれの世の中になるのだ。そのときには署長はいい署長になるのだからわれわれの話を聞いたらどうかというようなことで、代表のだれかわかりませんが、金逢琴でなかつたかと思いますが、言いました。それに対して私は何だお前たち、署長をおどかすような暴力團のようではないかというようなことで私は應酬した場面もありました。
署長室は十坪ですが、数えた際に約八十名ばかりぎつちり入つていたときもありました。それから事務室は二つにわかれておりまするが、一時四百名ぐらい入つたのではないかというふうに見られました。外部から見ておつた人の言からいうと、五百くらい入つていたのではないかというようなことも聞かされますが、大体三百名ないし四百ではないかと思われます。
署長室から実は見ておるのですが、赤旗を持つて署長室の近くまで入つて來るとかあるいはまた歌を歌うとか、あるいはさつき申し上げた警官の集結の状況であるとか、交渉の経過であるとか、朝鮮人が朝鮮の問題について何かしやべつていたようでありますが、どういう内容か記憶しておりません。
それは玄関や受付のカウンターの上に上つて村上俊夫あるいは朴重根がやつていたようでありますが、その内容は承知しておりません。
私の机の上には約七、八名が腰をかけたり、あるいはあぐらをかいたりしていた者がありました。私は應接室に腰をかけておりましたが、それは署長の執務をする机であるから、そこからおりてくれと要求して、一時机の上からおろした場合もありました。
朴重根という朝鮮人が一應署内に集つておる人に対して指揮しておるような状況で、こういう手のかつこうで話を聞けとか、あるいは先に申しました警備隊を出す場合にその者が一切指揮しておつたようであります。
はつきり記憶しておりませんが、一、二名表から声をかけた者があつたようであります。というのはさつき申し上げたように、八十数名が十坪の部屋に入つてしまつたので私としてはうしろの方から暴行を受けるのではないかという考えを持つておつたので、窓を締めたのです。窓を締めると署長室におる者が外部から見えないからあけろとかあるいは表の者から締めるやつがあるか、われわれには見せないのかというようなことでやむなくその窓をあけなければならなかつた、また彼らにあけられたというような状況もありました。
衝突の直後でありますが、玄関先に出る際に石が当りまして帽子が吹き飛ばされてしまつた。二日ばかりでなおりましたが、たんこぶが二つばかり出ました。それから玄関先で眞野という刑事が倒れておりましたので、それを起したのでありますが、その際に見ておりた署員に署長はなぐられなかつたかと言われましたが、私ははつきり記憶しておりませんが、そんな場合もあつたようであります。なぐられたのかあるいは石が当つてこぶができたのかわかりませんが、二つほど私の頭にこぶができておりました。
廳舎に石を投げられるとか、棒でたたかれる、あるいは留置所の入口を多数の者にこわされた。玄関の入口のドアのガラス四枚、玄関の欄間のガラスが二枚、入口の丸窓が一枚、署長室の入口のガラス戸四枚、玄関の入口の電燈が一つ、それから事務室内におけるガラスが九枚、留置所の入口のガラスが八枚、それから二階のガラス戸が四枚、これは一應一万円ばかりの金額になつております。そのほか署長室にありました警棒二本、警察手帳、帽子一つ、腕章一つ、階級章一つ、それから次席警部の私物のこうもり一つ、ステツキ一本、手拭一本、それから矢吹公安委員のこうもり一つ、そのほか署員の私物で、風呂敷とか、カーキ色の上衣一つがなくなつております。それから署員の負傷の状況は金田という
聞いたのだからはつきりいたしておりませんが、さきに申し上げたように八月あるいは九月になればわれわれの時代になるのだから署長もその際のことを考えろと言つたと同じように、市民に対してもそういうようなことを話しておる。今度の暴力行為もそういうときの準備じやないか、あるいはまた矢郷炭鉱の労組員の家族たちに対しても、秋ごろには中共軍が上陸して來るのだということを話し、彼らがそういうことを信じておるような話を聞いております。
どういうようなことですか。
共産党員がいわゆる資金カンパと、負傷した者の救済のために先申し上げた「アカハタ」、その他傳單などを賣り歩いた際に、あるいは寄附をもらつた際にあなたが功労者になるのだというようなことを話して寄附を集めるとか新聞を賣るということをやつたように聞いております。
そう思います。
聞いておりません。ただ暴行を受けたという抽象的なこと、それから二名負傷したということは聞いております。
聞いておりません。
一日になつてから聞きましたが、郡山市並びに郡山地区署員四十名くらいかと思いますが、到着と同時にまた引返しました、それは郡山地方も相当險悪な状況にあつたわけであります。
七月二十三日午前二時二十三分平駅発の貨物列車に飛び込んで自殺した者があるというので私も三時に行つたのでありますが、これは平地区警察署勤務の熊谷四郎という巡査でありました。これは二十一日に共産党の石城地区委員会の好間細胞の者が熊谷巡査のところに行きまして、熊谷巡査は経済取締りにかこつけておどかして米を二回とつた、金をとつたということで押しかけて行つたそうであります。さらにまた張札をいたしまして悪質巡査、熊谷巡査を追出せ、熊谷巡査はむすこの不在中むすこに配給された米をこれは不正受配だ、罰金だとおどかしてとつたというようなことの張札をいたしまして、熊谷巡査に不正だと言つて要求したのでありますが、これは事実ではなく地区署長から開いた話であり
その詳細は承知しておりませんが、その前に同駐在所に対して、駐在巡査がいない際に、家族に対して何か脅迫的な言葉を言つたというような事実もあつて、家族の者が共産党員に対して相当不安をもつておつたというようなことを地区署長から聞いておりますが、その日の人民裁判云々のお尋ねに対しては聞いておりません。