公団のつけております保險の会社の世話役、幹事役であります安田火災の代理店をやつておりました。
公団のつけております保險の会社の世話役、幹事役であります安田火災の代理店をやつておりました。
火災を海上でございます。
それについては、少しの額の公団以外の保險も同様にやつていたと思います。しかしそれはわずかだと思います。
まあ取引と言いますか、そういう公団関係保險会社の幹事役である安田の代理店をやるということについて、あるいは公団の了承を得ただろうと思います。
その点は、油糧産業と契約会社の安田という保險会社との間には、確かに代理店の契約が取結ばれていると思いますけれども、公団と油糧産業との間に保險関係の契約というものがとりかわされているかどうか、ちよつと……。
代理店というのは安田火災の代理店でございます。
公団は、油糧産業という保險会社の代理店を通じて、保險を申し込まれるわけであります。
そうでございます。
それは先ほど申し上げましたように、この株を人に讓り渡すか、売らなければいかぬのじやないかということが……。
それでやむを得ず名義を変更したのでありますけれども……。
私はその点よく存じませんけれども、取扱わせたというよりも、もしあれば、保管とか輸送をほかに委託したという意味だろうと思います。
さようであります。
いや、そうではありませんので、今度の公団自体の問題ですから……。
その中に保險関係のことが一部ございます。
何か未経過保險料の関係らしいのです。
はい。
私の考え方では、そういうことがあとで発生したかもしれませんが、最初から、そういうつもりでやつているのではなかつたろうと思います。
事件が起りましてから、検察庁の調べそのほかいろいろなことを総合いたしまして、私の現在承知いたしておりますのは、積み立てたのが二千八百万円ございました。それから使つたのは大体二千二、三百万円程度、残が五百二十万円程度になつているように説明を受けております。
これは言い訳になりますけれども、私はこう考えているのであります。事のよしあしは別といたしまして、ちようど帝国油糧から公団に移りますときに、終戰後たしか昭和二十一年度は、かりに油で言いますと、二万七千トン程度の需給関係を持つのでありますが、それが昭和二十二年には三万七千トンぐらいになつております。ちようど帝国油糧が廃止されて公団が設立されたときの国家計画が、経済復興五箇年計画の準備年間に当つておりまして、大体国の計画として八万トンくらいを勘定に入れまして、ちようど帝国油糧のやつておりましたことが実質的にはそのまま公団に移されて、しかもそういう著しい油の確保、増量がそのときの至上命令というふうなことになつておりましたので、帝国油糧の仕事
私の聞いておるところでは人件費、それから会議費、旅費、備品費、内訳はよく記憶しておりませんが、そういうふうにわかれておつたようであります。