昭和二十三年二月二十一日から昭和二十四年九月九日まででございます。
昭和二十三年二月二十一日から昭和二十四年九月九日まででございます。
現在は職を持つておりません。
御承知の通り今度公団で問題が起りましたので、問題が起りました当初から、私は道義的な責任と監督上の責任を痛感いたしておつたわけでありますが、公団業務を一日も停止するわけには参りませんので、いろいろ苦慮いたしておつたわけでございます。ちようど木村経理部長が起訴されました翌日、役員ともいろいろ相談いたしまして、事件発生以来感じておりました徳義的な責任を、どうとるべきかといろいろ相談をいたしたのであります。公団の業務を停止いたさないために、私どもの希望そのほかは別といたしまして、きわめて穏便なやり方で職をしりぞく意思表示をすることが一番穏当だろうということで、農林省に対しまして私どもの進退伺いを出したわけでありますが、私といたしましては責任
公団法あるいは公団の定款によりまして、公団総裁は業務を総理するということになつております。それから副総裁は、定款によりますと、総裁を助けて、総裁の定めるところに従いまして業務を掌理するということになつております。実は私は副総裁の西川さんとは十年以来の知己でありまして、あの人の仕事の上における力量をよく知つておりますし、その上にあの人に私心がないということがよくわかつておりましたので、私は万事西川氏に一任いたしまして、主として公団業務の運営は西川氏に御一任しておつたのであります。
私は出勤簿には判を押しておりませんが、西川副総裁と違いまして、各支部の職員が配給業務によく精進いたしますように、各地をかなりまわりましたので、公団が始まつてから、欠かさずに出勤していたということは申されないかもしれません。それ以外のときは大体出勤をしておりました。
たしか公団の発足いたします約数箇月前のことだと記憶いたしております。ちようど公団法等が審議されておりますときに、当時の帝国油糧の職員で、在郷軍人そのほかの仕事をやつておりました人の中で、公団の職員にはなりにくいという人がおりましたのと、それから役人にはどうも自分の性質が合わないので、やめたいという人が大分出て参りまして、それらの人が会社をつくつたわけでありますが、その会社が油糧産業になつたわけであります。そういうことで油糧産業が成立つたということは知つております。
事業といたしましては、商品の売買やら、あるいはドラムの修繕やら、そういう仕事をやつて行くのだというふうに聞いておりました。
私は油糧産業のことは完全に知りませんので、あるいはお答えに不完全なところがあるかもしれませんが、公団のものばかりでなくて、やはりドラムの修繕全般だつたと考えております。
それは存じております。私はこういうふうにその間の事情を教えられております。それは油糧産業の株を持ち出したのは、帝国油糧時代でありまして、まだ公団職員以前のときであつたようでありますが、その後公団の公務員になりましたときに、ほんとうを言えば、その株を手離すか、あるいは他人にやつてしまうか、どつちかにしなければいけないという話が、当時あつたことも聞いておるのであります。ところが油糧産業というような株は、普通の株のように外部へ売れなかつたので、やむを得ず妻子等の名義にかえたというふうなことを聞いております。
それらの人で資金が集まらないので、当時の帝糧の職員の人も……。
私の答えが下手でおわかりにくいかもしれませんが、公団に入れない人がそういう会社をつくつて、その人もその株をもちろん持ちましたし、当時は公団じやなくて、帝国油糧の人々ですが、そういう人々も、その会社に投資するために株を持つた、こう申し上げたのです。
だから帝国油糧の当時の人で、公団に行かない人と、行つた人が、同時にその会社に資金を出したわけであります。
どういうふうに御説明申し上げていいかわかりませんが、一般に会社をつくりますときに、その発起人そのほか少数の創設者以外にも、出資者である株主というものがあるわけでありますから、それと同じようなことだろうと私は考えます。
今帝国油糧から引続いて公団にいる人は、妻子名義で持つているだろうと思います。
人事の交流ということは、公団から向うへ行くと同時に、向うから公団へ来るということだと思いますが、そういう例は私の記憶にはございません。公団をやめて、油糧産業へ行つた人はございますが……。
はあ。
大体主脳部は先ほど申し上げたように、公団になつて、公団へ行くことがいやな人、行けない人がまず首脳部になつたのです。あとから油糧産業に行つた人も大分おります。
油糧産業の仕事の分量の内訳は、私はよく存じませんけれども、公団関係の一般事業者と同じ競争の中に立つて、公団の仕事をやつたのと同様に、ほかの公団以外の関係の仕事も、やつているように考えております。
私はよく記憶いたしませんが、何かずつと以前に、司令部関係から公団へ照会がございまして、油糧産業がやつている事業のパーセンテージを示せというふうな連絡がありましたときに、出した書類をちらつと見ましたが、百パーセント公団の仕事でなかつたように記憶いたしております。
その記憶はここでちよつと呼び起しにくいのですが……。