御異議なしと認めます。よって、大村襄治君が委員長に御当選になりました。 〔拍手〕 委員長大村襄治君に本席を譲ります。 〔大村委員長、委員長席に着く〕
御異議なしと認めます。よって、大村襄治君が委員長に御当選になりました。 〔拍手〕 委員長大村襄治君に本席を譲ります。 〔大村委員長、委員長席に着く〕
これより会議を開きます。 私が年長者でありますので、衆議院規則第百一条第四項の規定によりまして、委員長が選任されますまで、委員長の職務を行います。 これより委員長の互選を行います。
ただいまの月原茂皓君の動議に御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
御異議なしと認めます。よって、大村襄治君が委員長に御当選になりました。 〔拍手〕 委員長大村襄治君に本席を譲ります。 〔大村委員長、委員長席に着く〕
これより会議を開きます。 私が年長者でありますので、衆議院規則第百一条第四項の規定によりまして、委員長が選任されますまで、委員長の職務を行います。 これより委員長の互選を行います。
ただいまの月原茂皓君の動議に御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
御異議なしと認めます。よって、大村襄治君が委員長に御当選になりました。 〔拍手〕 委員長大村襄治君に本席を譲ります。 〔大村委員長、委員長席に着く〕
衆議院でお話ししたとおりでございます。理解しにくいと言われますが、私の承知している範囲は衆議院で申し上げたとおりでございます。
カーン氏という方が私のところヘチータム氏を連れてまいりました。それが初対面であります。初めはどこの方か存じませんでした。名刺を拝見して、グラマンという英語の名刺を拝見して初めてわかりました。主として、私が防衛問題に非常に精通している、たまたまチータム氏も国防省におりまして、極東防衛について非常に熱心な方、したがって、話しが大いにはずんだのは、極東防衛という防衛問題がほとんどでございます。その当時、代理店変更というような印象は私はほとんど持っておりません。言うなれば、同盟国、友好国の方が来られたから気持ちよくお会いしたということが主でありまして、代理店変更などという印象も最初からありません。向こうも言われませんでした。したがって、その
どちらがどうか私は正確に記憶がありませんので、四十二年から四十六年という感じは持っておりますけれども、正確に秋、春、夏と言われても、その答えは私は明確じゃございません。
何回かほとんど正確に覚えておりません。それは年に三回ならば三、四の十二回になりましょうし、年に四回のときもあった、二回のときもあったということでしょう。したがって十数回と言われても困りますが、四年間ですから二、四が八、八回よりも多かったんじゃなかろうか。そうするとやっぱり十数回じゃなかろうか。その辺は本当に申しわけありませんけれども正確に覚えておりません。
私は、衆議院では四億ないし五億という記憶を持っておりますということをお答えしております。
私も、不定期であったし、金額も一定しておりませんが、しかし私の記憶では、衆議院選挙、参議院選挙、衆議院選挙という選挙の期日に私は主として集中していたんじゃないかという記憶を持っております。どれがどれだと言われても、それは私もわかりませんが、そういう私は記憶をしております。
四十二年の一月は衆議院選挙ですから、その四十二年中は衆議院選挙の問題というのがやっぱり抱えます。それから四十三年は参議院選挙ですから、衆参選挙は違うといっても、政治家としてはやはり無関係じゃございません。その間に地方の地方選挙というのも入りますし、それから衆議院選挙も入りますし、どの選挙と言われても困りますが、政治活動は終始続いておったと私は記憶いたします。
私は、政治献金として順次いただいたので、結果において幾らになったか、私も明細じゃございません。したがって、そういう順序とそういういきさつの金でございます。
そういう話は今日私は初めて、結果において初めてわかることで、その当時は日商岩井からの政治献金と私は思っておりますし、どこでどうやりくりしたか、それは私は全然知りません。そういう趣旨ですから、いまになって結果から見ればそういうことを私も仄聞しますけれど、その当時はどこからどうしてやりくりして私にそのような献金するというのは全然聞いておりません。私は単なる日商岩井の政治献金であるとしかその当時はわかりません。
私と日商岩井の関係は非常に古い関係でございますので、その趣旨の基本は私のおやじ以来のことです。また、これはさきに衆議院でもお話ししましたが、鈴木商店の財産整理に私の父が関与いたしまして、その関与した工場の一つは私の父が引き継いでおります。そういう実は現実にその会社を引き継いだといういきさつから、その会社もまだ今日現存しているんです。そういう関係からのつながりでありまして、したがって、私が大臣になったとき一番最初に喜んで電話してくださったのは高畑さんです、おやじさんが生きていれば喜ぶでしょうと。前から高畑さんは紹介を受けておりました。そのいきさつから、その紹介から海部八郎さんが私のところへ来られました。それは昭和四十二年の、選挙が終わ
それ以上のことはありません。
一番大きい金額は衆議院の選挙のときだったと思います。
二、三回に分けてございましたが、五千万が二回ぐらいじゃなかったかと思います。