海部さんか島田さんかだったと思います。
海部さんか島田さんかだったと思います。
まだその御両人は非常に、取締役程度だったと私は思います。したがって、あくまでその意思は代表権のある高畑さんの意思であると私は思っております、高畑さんの意思でこの献金が続けられたと。まだ海部さんはその当時は取締役ぐらいじゃなかったでしょうか。したがって、私は、日商全部の代表した意思であると私は思っております。
金がどういうふうにして捻出されたか私は知りません。しかし、私は海部さんと高畑さんと三人で何回かお会いしておるんです、この期間に。また高畑さん本人とも私は何回か関西でお会いしているんです。金のやりくりはどうされたかそれは知りませんが、常に高畑さんに、私はこの期間に何遍もお会いしているし、お話もしているんです。そのとき海部さんも同席しておるんです。そうしていろいろな話を私たちはしておるんです。全然無関係というのは、それは金銭のことは私は知りません。私はそういう印象を、その事実で私はそういう印象を持っております。
鈴木商店という会社の話が一番話題の中心で、私も興味を持ちました。鈴木商店というのは、あの当時商社じゃなしに非常に大きな事業をされている。たしか神戸製鋼とか東洋高圧とか、非常な産業面に重視された会社だった、積極政策をやられた。それが台湾銀行問題で破産をした。しかしその財産は非常にきれいに整理された。したがって、鈴木商店は財産はなくしても、人徳と人材を残しているというような話。また高畑さんは非常に為替に詳しい方でした。為替貿易は非常に詳しい方でした。私がお会いしたときも八十歳近かったと思いますけれども、いまでも外国の新聞をポケットから出しておられた、そういうことが非常に大きな話題の大部分でした。
その性格は政治資金をですか。まことに申しわけありませんが、その性格はどういうことでしょうか。
四十二年−四十六年の間には、私は一度あると思います。
ワシントンとシアトルじゃなかったかと思います。
一回を二つに分けたんです。一回が二つに分けられたんじゃないかと思います。
五千ドルと五千ドルです。
それは私がアメリカの国防省の招待で核兵器の調査視察に行ったときです。その旅費として、ワシントンに行ったとき五千ドル、それから、旅行が長引きましたからロサンゼルスかシアトルで五千ドル、こういう意味で、何も最初から一万ドルという意味じゃありません。旅行が長引きましたから旅費としてお使いくださいという意味であって、一緒だと言ったのは、同じ旅行の中で旅行期間が延びたからお使いくださいといっていただいた金だと、こういう意味でございます。
それは私じゃなしに、私の家族がロンドンで千ドル、みやげ代か何かをいただいたという話を聞いておりますから、そのことじゃないんでしょうか。
海部さんから最初に三百万いただいた、それが最初でございます。
そういう記憶は全然ありません。
まことにこれは申しわけございません。三十七年でございました。衆議院で三十九年と私がつい申し上げたのは、佐藤内閣ができる直前という記憶で申し上げたところ、家内から早速、三十七年の暮れですよと、きょう、ことに参議院は私の父とゆかりの多いところで、まことにこれは七年と九年とを間違えて申しわけありません。三十七年の暮れだったと思います。
いろいろ人間の記憶というのは不確かなものだと、つくづく私もおやじの亡くなったことを考えてそう思います。そのときの記憶は、お海やみと同時に、お父さんが生きておればお喜びだったでしょうねと、こう言った。それまで私は大して大きな政治家じゃありません。大して、大臣の役についたことありません。たまたま私が入閣したので、恐らくお悔やみと喜びの電話を私はいただいたという記憶を持っているんです。そのときにどうこうという話はほとんどありません。ただそれだけです。
そういう人脈はありませんしね。また私から見れば、おやじの人脈遺産と申しましたように、そういうそのずうっと、とよがなければそういう因縁の関係は生まれなかったでしょう。水は流れなかったと私は思うんですよ。そんなことはもう毛頭念頭にないころです。また、私は防衛庁長官在任中一つも偏ったことを考えたこともない。したくない。それはもう本当のただ儀礼的な、また日商がそのとき何をどう考えていたか私は念頭になかった。また、そんなことを私知る記憶もありません。
それは、先ほど申しましたように、高畑さんが海部は将来の自分の後継者である、だからひとつ政治家とおつき合いをさせてくれと、そういうことで私お会いしたんです。したがって、紹介というのは電話の紹介です。
私はそういうふうには申し上げておりません。衆議院では、岸氏の秘書の中村長芳君がその後私を海部さんに引き合わせた、そのときはすでに私は知っておったんですが、せっかく紹介するんですから、初対面のような顔をしてお会いしたということを私は申し上げたんで、田中六助さんと一緒ということでは私は申し上げていなかったと思うんです。中村長芳さんが私を紹介した、だからしたがって四月以後じゃなかったでしょうか、そう申し上げたんで、田中六助さんと一緒と私は申し上げた記憶はないんでございます。
速記録を、私もそのときの速記録を正確には覚えておりませんが、質問の方は、たしか田中六助さんと中村長芳と海部さんと私と四人ということを御質問になっております。そこで私が、それは違うんじゃありませんかと、中村さんだけしか私は名前を挙げておりません。質問者は一緒におっしゃいました。私は中村さんだけしかそのときお答えしていないんです。したがって、質問者の趣旨と私の答弁とはそのとき違っていると私思います。違っていると思います。私は中村さんに紹介を受けたと。
もちろん同席しました。