その頃は大橋さんとは一度も会つておりません。従つて聞いてもおりません。
その頃は大橋さんとは一度も会つておりません。従つて聞いてもおりません。
私が先ほど申述べました戦災復興院に参りましたときに、大橋さんは計画局長でありました。その後戦災復興院の次長になられました。私が特別調達庁に行くちよつと前項であります。それだけであります。
警察予備隊総隊総監訓練部訓練班長であります。
そのときにはたしかそういつたものが出ないでおつたようであります。その後において私どものほうに廻つて来たように思います。それは皮払の書類ではございません。先に契約局のほうに提出されます関係上、当時は出ておつたろうとは思いますが、私どもが見ましたのはその暫らくたつて後でございます。
私のところに参る前に、契約のほうで大分いろいろ手続その他のことにつきまして議論があつたようであります。そういつた関係から、私のほうに時期としては、書類が廻らないうちにそういう話があつたように思われます。
これは私ははつきり記憶がございません。ただ長引くからそういうような話が来たのではないかと思われます。推測であります。
殆んど詳しい事情は知つておらなかつたようであります。
それは十二月中に支払い得る段階に入りましたものは極力全部支払いまして、残さないで正月を迎える、こういうふうにやる方針をとつておりました。従つて何も足利工業のみではなく、毎年そのような事務処理の手続を行なつて来たわけであります。
存じております。
そのときも全部書類は残さず支払は了したはずでございます。ほかの書類につきまして…。第二はその書類が不備という点の問題でございますが、一応はあの書類で整備されたものと、このように認定いたしまして、処理すべきものの中に入れまして処理したわけでございます。
私がその全部の御用おさめで、局長も皆帰られでおるときに支払になつたのかどうか、明確な記憶はございません。ただその当時、御用おさめの日に私の手を離れておりまして、私のところだけで現金が支払われる、小切手が切られるわけでございません。うちのほうではそれほどまで遅くかかつたような記憶はしておりませんが、余り明確な時間まで記憶してはおりません。
その当時は加藤局長と、一課長、二課長ともでございますが、事務が非常に錯綜しておる関係上、通常の支払事務におきましては、代決をすることを事前に認められております。
一件ごとの報告はいたしませんので、大抵表を以て毎月くらいに一応今までの支払経過は申上げておつたように記憶しております。
明確な記憶はございませんが、そのような仕来たりになつておりましたので一応話してあるつもりであります。
加藤前局長がどのように証言されたか、今お聞きしたわけでありますが、その後におきましても、大体これが余り異例というようには私ども当時、私ども書類を決裁したときには考えておらなかつたわけでございます。それであとにおきまして、この問題が出まして、これが問題になつたわけでございます。当時やりましたときには私どもは異例というようには考えておりません。
全部知つております。
後にこれが問題となりました事件でございますが、その当時におきまして、これが年末に支払われるのが不思議で、唖然とするというようには私は考えられないのであります。当時、後において問題となりまして、その立場から見ますれば、そのような考えも出るかも知れません。唖然とするような状態でありますれば、支払は行われないと思います。
私が唖然とすべき内容でない云々と申上げまりしたのは、その事件とは全然別個に書類が提示されました頃において、書類の流れから行きましての問題でございます。これは普通の月でございますれば成るほど翌月に延ばされて支払われるというのは通常の支払のスピードでございます。併しながら十二月におきましては、少くとも受取りました書類というものはできるだけ全部払う。よくよく支払えないような状態以外のものについては支払を促進してやつてしまうというのが十二月の特異な現象でございます。当時におきましても十二月は日耀は殆んど休んでおりません。残業は連続にやつておつたわけでございます。そういう意味から行きまして、私が、十二月に払われることは唖然とはしないように考え
受けてどうしたか、詳しいことははつきり記憶しておりませんが。
たしか事情は部下から聴取したはずでございます。間もなく書類が廻つて参りましたので、それを審査するような段階に入つたわけでございます。