私は総理に対してそれでは最後にはつきり聞いておきます。ポツダム宣言の第十二條においては、日本の民族は民族の考えによつて政治の形をきめることができた。ところが今度できますところの安全保障政権のもとにおきましては、この政治はいいものか悪いものかといつて、人民が政治に対して考えを持つ自由があるでしようか、ないでしようか。これは吉田総理から聞かせてもらいたい。
私は総理に対してそれでは最後にはつきり聞いておきます。ポツダム宣言の第十二條においては、日本の民族は民族の考えによつて政治の形をきめることができた。ところが今度できますところの安全保障政権のもとにおきましては、この政治はいいものか悪いものかといつて、人民が政治に対して考えを持つ自由があるでしようか、ないでしようか。これは吉田総理から聞かせてもらいたい。
選挙で政権ができた、選挙によつて人民の意思が反映すると言われるのであるならば、わが党に集まつた票こそは吉田内閣に毒づけ、この内閣をぶつ倒せという票なんだ。立憲政治のもとにおいてはこれに対して徹底的に抗争する。だから私は吉田総理大臣に対して聞くのであつて、この吉田総理大臣の口から出ましたところの一言が、すなわち外に流れて帝国政府になつたり、不逞のやからになつたり、あるいは非国民になつたり、妙なものにかわつて来る。━━━━━━━━━━━━━━━━━そういう意味において吉田総理大臣に対しまして、安保政権下においては、いいとか悪いとかいうような判断を持つことができるか、できないか。もしこれができるとするならば、この政治はいいと言つてごまかす
そんなんもういらぬ……。
初めは農業問題で、おとなしいことを承ります。農産物の検査、特に米の検査に対しましては、農産物関係法規というものが適用されますか、されませんかということを第一に承りたいのであります。
米を検査する場合に、よりどころとする法規は一体何でございましようか、これをひとつ承りたいのです。
農産物検査法第六條第一項による農産物規格規定というのは適用されるのですね。そういたしますと承りたいのですが、水稻のうるち玄米というものに対する規定がございますね。これは大体一等の目方が一升で四百十匁、それから二等で四百五匁、三等で四百匁、四等で三百八十匁、これは大体間違いないのでございましようか。そうして今年の検査に対しまして、これが適用されたのですか。その点を承ります。
そういたしますと、歴年この米の検査が非常に不可解になつて参りまして、昨年三等であつたのが四等になり、その前に二等であつたものが三等になつております。こういうふうになつて行くというのは、農産物検査規格が同じであるにもかかわらず、検査の実績がかわつて来ているのですから、この点に対するお考えは一体どうでしようか。
これは大体二十一年、二十二年、二十三年、二十四年、二十五年、二十六年と、全部統計をとつているのですが、二十一年に一等米が六五%あつたものが、二十四年から少しもなくなつているのですね。各県においては、一等はあるけれども、パーセンテージにおいて出て来ないほど少い。ところがこの逆に、三、四等米――これは二十一年は等外といつておりましたが、等外が一%であつたものが四五%になつている。昨年のごときは四九%になつている。今年は一体何ぼくらいになつているのでしようか。私がこれを聞きますということは、農村に対してどうしても食糧増産の要あり、つくつてもらわねばならぬ、働いてもらわねばならないから、食糧増産のための農林予算がふえたと廣川さんが政治性を発
そういたしますと、農村において米を出しますところの基準は、一つの法的な規格がありまして、この規格は、農業委員会が検見をやりますね。作報が検見をやりますね。その検見をやります場合には、一反に対しては何貫匁という査定をしておられますか、何石という査定をしておられますか、この点を承りたいのです。
それは少し答弁が飛んでおると思うのです。なぜかと申しますと、立毛の間に検見をいたしますときに、これは何貫匁とか何キロとかいうような査定をされたところのものを、私は日本の農村で見たことがないのです。そのときはこれは反当何石何斗だというように査定されておるのですが、その点におけるお考えはどうですか。
時間もないので、この問題は急ぎますが、そこで非常に大事に扱わねばならない日本の民主化の基盤である農村が非常にしぼんで行く。この原因はここにあるのじやなかろうかと思うのです。かりにここで四等米として査定されましたならば、四等米の目方は、一升三百八十匁なんですね。そういたしますと一斗が三貫八百匁なんですから、これは四斗納めますとどうしても十五貫二百匁になるのです。ところがそれをどうしても十六貫、六十キロ納めなくちやならない、こうなつて来ますと、米の少い年、しかも今年のように不可解の――去年の米がよくて、今年の米の検査がきつくなつて、非常に検査規格を嚴重に引下げるようなやり方のもとにおきましては、百姓が一俵供出することに八百匁、ます目にい
それでありますと、私が聞いて参りましたところの資料は、文字になつておる場合においては、これは食糧庁――あなたのところから出た本からであります。そうして私が聞きました言葉の点は、これは政府機関から聞いたやつですね、私が申しましたところの目方、価格の点において、どこに間違いがあるのですか、これを承りたいのです。
これは農林大臣に最後に聞いておくのですが――最後というのはこの問題の最後ですが、こういう形において検見が何石何斗でやられておるという事実をお認めになるかならないかということが一点です。こういう形において石で認めておきながら、どるときに重量、目方で、キロでとるということは、非常に検査規格のからくりによつて損になる、こういう事実を認められるか認められないか。もしこれを認められるのであれば、これを追究するのじやないのですから安心して何らか合理的な形にかえられる意思があるかないか、あるとするならば、一体どういうふうな具体策を持つておられるか。この点を承りたい。
キロにしろ、石にしろかわらないといいますけれども、そんなことを農村に行つて言つたら、あなたが何ぼ供米行脚に行つておつたつて米は出ませんよ。うそだと思つたら私と一緒に農村に行きましようか。別に共産党の農村に行かなくても、自由党の農村に行つても、この問題は大問題になります。だからあなたに詰問的に、彈劾的に言つているのじやないのでありまして、日本の農村においては、こういう事実があつて、新潟県においてももめ、大阪府においてももめたから、この石で検見をしたところの結果を、これを重量、キロ、あるいは貫でとりましたときには、非常に農民の手元に残る米が少くなると言つておるのです。だからこういうようなことを認めて、何とか手を打たれるところの意思がある
時間の関係でそのくらいにしておきます。 次に私が伺いたいのは、飛行場のことです。あるいは軍用地のことです。これは予備隊であれアメリカ軍であれ、いろいろなところから土地がとられる。その場合に不可解なことがあるのです。大体軍用地の接収の問題は、いろいろの資料から集めて見ますと、現在開拓地接収地の問題で三十八箇所問題が起つておる。面積にいたしまして一万二千五百町歩である。これの対象戸数は三千戸である。二十七年度の予算においては、こういうふうなものに対してでしよう――これは補正予算を組まれるのかしりませんが、今度の予算では三千万円ほどの予算が組んである。といたしますと、私の計算に間違いなかつたなれば、一戸に対して一万円くらいしか当らない
その要求しておられる内容をいろいろ聞きたいのです。これは衆議院の農林委員会でわが党の竹村委員が聞いて政府から答弁をいただいたことなんですが、それによりますと、大体日本の今日において、アメリカ軍が使うために、あるいは警察予備隊が使うためにどれだけの土地がいるかわからない。アメリカから新しい兵器が来たならば、この兵器が威力を発揮する範囲内のところは、これは基地として使う、あるいは訓練地として使うのだ。だから非常に困つた問題でありますという政府答弁があつたということを私は間接に承つております。そういたしますと、一体どれくらいの土地がいるかしれませんし、それで私が特に当面しておりますのは、兵庫県の伊丹です。あそこはアメリカの人たちが来て、か
この問題はこの一問で締めくくります。伺いたいのは、廣川農林大臣は、個人のことを言うのじやないのですが、非常に豪放磊落でおもしろいところがある。おもしろいところが言葉に出たとき、これが廣川放言になる。そこで喜ぶ人もあり、困る人もある。これが問題になる、なぜかといいますと、この土地の問題は、農林委員会で御存じのように、土地はなるたけとられないようにということを決議いたしました。自由党の人たちもこれには賛成だつた。もちろんこういうことに対しては、廣川氏も喜ばれた。そこでそのようにする。しかし大橋さんの方で非常に土地がいるらしい。その場合に大橋さんに話をして、そんなむちやなことは困る。しないようにしてくれ、こういうように言われたのです。あな
次は農民の供出義務の問題のことについて伺いたい。この問題は与党野党という立場を離れまして、日本の農村の現状から割出し、食糧政策を加味してはつきりとお答えを願いたい。私のわからないのは、占領下七年という政治経済の行き方が、戦時中の供出の時代とは、いわゆる供米精神というものの内容が非常にあいまいになつて来ておる。だから今日農民の供米の義務がどういうふうにしてあり、その意義は一体何とお考えになつていらつしやるのかということを承りたい。
米を出してもらわなければならないということはわかるのです。日本の農民で米を出さないような農民はないのです。農民は人に食つてもらうために物をつくつておるのだから、物の値段さえ合うならば出すのです。あなたたちが番をして警察がうんと張り込んでおられても、やみの形でいくらでも出す場合があるのです。出せ、出ないの問題は別問題といたしまして、この供出制度は、あなたは無理をしておらないと言われますけれども、あなたが無理をしておらないと言われる内容は、形だけでは事前割当をしておらない、強制割当をしておらない、強奪はしておらない、こういうふうに言うのですが、最後の一句はややこしい。私の言いたいのは、供米制度それ自体の形の上に無理がなくても、価格の面に
そういたしますとパリテイ計算、パリテイ算出というような問題になるのですが、このパリテイの基礎になるところのものは昭和九年、十年、十一年の三箇年が基準でありまして、米の値段は一石二十七円十六銭であつた。これの延長がすなわち供出である。そういたしますと、これを裏返しにしてみますと、昭和九年――十一年の二十七円十六銭時代の農村の実情というものは一体どんなものであつたとお考えになるか、このことを承りたい。