私、今一つの具体的な例を申し上げたのですが、文部大臣、管理という問題です。やはり校長先生あるいは現場の教頭先生、何か調べ物が来て、うちの教員はどう答えるだろうか、もしそれが何か問題になったらという気持ちを教育現場が持っていないだろうか。これは、いないと言えば私はうそになると思いますし、戦後のいろいろ教育行政を進めてきた中にそういう気持ちを現場に持たしちゃつたという反省は全くないだろうか、この辺率直にお伺いしたいのですけれども。
私、今一つの具体的な例を申し上げたのですが、文部大臣、管理という問題です。やはり校長先生あるいは現場の教頭先生、何か調べ物が来て、うちの教員はどう答えるだろうか、もしそれが何か問題になったらという気持ちを教育現場が持っていないだろうか。これは、いないと言えば私はうそになると思いますし、戦後のいろいろ教育行政を進めてきた中にそういう気持ちを現場に持たしちゃつたという反省は全くないだろうか、この辺率直にお伺いしたいのですけれども。
もう時間がございませんのでいじめ問題についてはこれだけにいたしますけれども、何とかこのいじめ問題が深刻な状況を繰り返さないようにそれぞれのお立場で努力をしていただきたいと要望します。 総理は、物と物との時代から心の時代、先ほどもちょっと出ましたけれども、そうした東洋哲学の問題に触れていらっしゃるわけでございますが、実は前回我が党の矢野書記長がこの席で、イギリスで非常に評価の高いバレリーナの、労働条件といいましょうか、そうしたことからどうしてもイギリスを去らなければならない非常に残念なケースを質問いたしました。私は、これからの日本の教育を考えるときに、やはりテレビも大事ですけれども、生のそうした芸術というものを見せる、文教委員会で
いろいろとお計らいをいただいたと思いますけれども、私は、非常に大事な問題であろう、そしてこの文化問題は、日本はいろいろな意味で諸外国からの文化を受け入れてまいりましたし、これから日本からも出していく、そういう時代ではないかという気もいたしますので、お互い相互主義であろうと思いますが、ぜひこの問題を話題にしていただいて何とか解決をしていただきたいと強くお願いをしたいと思います。 それでは、共通テストの問題に移りたいと思います。 共通テストの問題は、臨教審の一次答申に具体的に答申が出ております。文部大臣にお伺いしたいのですが、この一次答申の線で共通テストが準備されている、こう受けとめておりますが、そのタイムスケジュールはどんなふ
七月に具体的な検討をまとめるということでございますが、私が文部省からちょうだいした資料には、八月には新センター関係の概算要求、十二月には法案の提出、そして六十二年の四月に新センターの発足、七月に六十四年春の入試要項の決定あるいは発表、六十三年には試行テスト、こういうスケジュールを私ちょうだいしておりますが、これに間違いないでしょうか。
私が申し上げておるのは、この六十四年に実施ということですが、いわゆる六十四年実施といっても、今の共通一次テストも一月にやっているわけでございます。しかも、私大が参加するとなると、私大は推薦入学制度を持っておりますし、恐らくはもうちょっと繰り上げということが具体的に要求されてくると思うのです。そうすると、六十三年の暮れあたりにはもう既に具体的な試験をしていかなければならぬだろう。これはもうだれが考えてもそうなっていくだろう。そうしますと、六十二年の暮れには具体的な試験をするとなると、六十二年の七月に要項を発表すると、もうぎりぎりでございます。受験生の立場から見ると、こういう新しい変化というのは、このくらいの期間の余裕では対応し切れない
結論がそういうふうに六十四年の一つのめどがあるわけですが、この共通一次テストをやめて新しい共通テストにするということはもう既に方針として決まっておるんでしょうか。
私、法律改正ということが具体的なスケジュールに上がってくるのであれば大変だというふうに申し上げたんですが、この国立学校設置法の、いわゆる入試センターをつくったときに、第九条の三の二、これに「大学入試センターは、国立大学以外の大学の要請に応じて、当該大学の入学者の選抜に関する業務の実施に協力することができる。」こうなっているわけです。したがって入試センターというのは、あのときもいろいろ議論しましたが、私大の参加をどうしても必要だという議論をしました。したがって、新しい共通テストをつくって私大を参加させるについて、今のこの入試センターに関する国立学校設置法を変えなくてもやっていけるという考えはないんでしょうか。
そうしますと、法律を改正して私大の参加への道を開くということになるわけですけれども、この私大の参加ということなんですが、いろいろ調べてみますと私大は非常にこれについて消極的なんですね。具体的には、七月までにいろいろと御議論をされて、そして八月の概算要求なんという話もあるくらいで、つまり六十四年に実施ということ、つまりもう六十三年の暮れには具体的には実施ができる状況になっていなきゃならないということを考えますと、非常にこれは時間的に追い詰められている。ことしの七月に結論が出るようではもう間に合わないんで、できれば今国会ぐらいに何らかの形で次の試験はこうなるんだということを――私大も入るわけですから、私大はもう八割ぐらい学生を抱えている
重ねて私この問題についてお伺いするのですが、調査があるんですね。アンケート調査がございまして、共通テストあるいは共通一次試験についての昭和六十年の五月に行われたある調査会社のアンケートがあるんですが、多くの私立大学が参加するという見通しは大学関係者でもわずか一二・五%しかない。私立大学の参加は少ないであろうという悲観的な見通しが四分の三の七四・七%に上っている。つまり私大は一二・五%しか関心を持っていない。非常に新しい共通テストについては冷ややかなんですね。この理由はいろいろあろうと思うのですけれども、今日までの共通試験、こうしたテストについても大学関係者は随分と厳しい評価をしているわけです。つまり、入試というものは大学の自主独立の
重ねて文部大臣に伺いますが、今文部大臣の頭の中にあるのは、高校の到達度というものの一つの、まじめにやってきたか、そしてそれが共通テストでクリアできるかどうか、そういう試験を共通テストとしてお考えになっていらっしゃいますか。
そうすると、二次試験は各大学自由に課すということになりますか。つまり、入試には二つの要素がある。高校での授業、教育をまじめに受けてきた、そしてこれだけ力があるというのを見る見方と、今度は、大学側が自分の大学の目指している教育内容に十分ついていけるかどうか、要するに受け入れ側として選抜をしていく。これは二次試験の主な要因ですね。今までの議論では、要するに二次試験をなるべく軽くしなさい、この共通的なテストで非常に重要な要因であるけれども、共通一次テストでしっかり見て、二次試験はなるべく軽くするように、このことを繰り返し国大協にも通達をしておりますよね。今でも共通一次試験を見ておりますと、大学によって二次を非常に軽くしているところ、あるい
これはいろいろ議論があるところですけれども、試験はこれによって改善され、学生たちの負担は軽くなるのでしょうか。この共通テストが新設されることによって学生たちの負担が軽くなり、同時にいい学生が、それぞれの大学が欲している人材が、それぞれいいところに落ちついて、いわゆる試験地獄というものがよくなるのでしょうか。私は今のお話を聞いていても、また同じところへ戻っていくんじゃないか。教育改革、特に入試改革というのはこれという決め手はなかなかございません。それだけに時間をかけていろいろな意見を聞いてやっていかざるを得ないんじゃないか。ちょっと拙速ぎみに六十四年というものを設定してやり過ぎているんじゃないかなという――私はこの改革について反対する
ですから、臨教審のメンバーも、あるいは文部省内に設置されたいろいろこれに関する研究委員会も協議しているわけですが、問題は、六十四年実施というのを初めから決めちゃっているところに問題があると思うのです。研究して、これがいい、例えば共通一次試験をもうちょっとこう改善すればこうなる。共通一次試験も変わってきているわけですね。例えば、傾斜配点を取り入れる大学はもう既に八十九大学になっているわけです。傾斜配点というのは、いろいろな試験をいたしますけれども、五教科七科目今やっておりますが、この中で、ある大学は英語に力を入れて、これについて普通百点満点のところを二百点と見よう、あるいは社会については、これはそう重要視しないから百点満点のところを五
総理のその原点に返って大学と受験生、それは今までもずっと議論してきたのです。要するに、大量に受験生がある。その中で一番人格を見れるのは、作文なんかを詳細に採点していければ随分わかるわけです。あるいは英作文などでも長文を書かしていく。しかしながら、やはりそれではだんだんと受験技術が、いろいろと情報が発達して、受験の準備をする予備校などもいろいろ情報を集めて分析しますので、みんな互角の力になっていく。したがって、難問奇間が出る。これを解消していくために、なるべく大学が独自に選択するのは少ない部分にして、ある面では機械的にやってもそう大差ないという部分については統一試験をやって、そしてそれで各大学の負担を軽くしよう。受験生もそういう技術的
そうしますと、臨教審はこういう答申を出してきたわけです。法律には臨教審の答申を尊重することになっておるのです。総理としては、これじゃだめだからもう一遍臨教審検討し直してくれ、こういう姿勢ですか。臨教審が出てきちゃったからしようがないというふうに、総理、講演でおっしゃっているのですけれども、総理の意思と違ったこと、総理は教育の専門家じゃないかもしれません、しかし、やっぱりさまざまな国の行政をリードしていらっしゃる、大きな影響を持っていらっしゃると思うのですね。したがって、総理が任命されたそうした臨教審のメンバーが答えてきたものは共通、マークシート方式なんです、依然として。それの利用の仕方についてはいろいろと変化があるだろうと思うのです
総理の頭の中に新しいテストを六十四年に実施する、一刻も早くというお考えがあるように私は認識しておりますが、今のマークシート方式はだめというお話はわかりましたが、六十四年実施ということについてはいかがでしょうか。
文部大臣、いかがですか。六十四年実施、総理は弾力的というふうにおっしゃっていますけれども、いろいろと議論があるわけですが、事は重大なことだと思います。したがって、今のマークシート方式が大変厳しい、これは確かに評価も余りいい評価じゃないのです、マークシート方式は。特に国語力などはマークシート方式ではほとんど見られない、ほとんどと言うと語弊がありますけれども、他の科目はともかくとして、国語についてはマークシート方式は十二分に力を反映できない、こう言われておりまして、これがまたいろいろ日本国民の表現力の問題につながり、非常に大きな影響力を持つと思うのでじっくり考えるとして、六十四年実施については弾力的な方向というふうには御判断なされないで
私が申し上げたいのは、入試改革もそうですが、大学の方を改革しないと、結局、入試の方だけ変えても子供たちはみんな、序列化した大学、そしてそこからいい企業やいいお役所へ入っていく。やはり国民から見ますと、親から見ますと、そういう大学に序列現象がある、私は、ここにメスを入れない限りは入試だけをいじってもこれはいかんともしがたいんじゃないかと思うのです。私もいつもこれは友人とも議論したりして結論がつかないのですが、つまりこれからの日本を考えたときに大学はどうあるべきかという問題にもなるわけです。 確かに、資源のない日本が技術で生きていかなければならない。となれば、優秀な人材をしっかり磨いて新しい技術や学問を身につけさせることが国家として
今総理のお話を伺っていたのですけれども、大学というものの改革、大学のいろいろな方向づけというものと入試改革と両面にらんでいかなければならないんじゃないかと思うのですね。確かに焦眉の急で、いろいろと入試改善は望まれています。しかし、どこをどうめぐりめぐっても、やはり大学の位置づけあるいはあり方、大学の教員の資質と申しましょうか、意識というようなお話が出ましたが、変えていかなければ解決しない問題じゃないか。大学は時代にぴったり合っているだろうか、問題があると思うのです。 私、国務大臣というお立場で河野科学技術庁長官にお伺いしたいのですが、今度の大臣の中には教育問題にお詳しい方がたくさんいらっしゃるわけで、さっき三塚大臣にも伺ったので
この大学の今後のあり方について国土庁長官にちょっとお伺いしたいのですけれども、この間ちょっと申し上げておいたのですが、大学を都市から郊外に持っていく、まあ国土庁にそういう施策がございまして、東京の場合でも随分と都区内から八王子の方に移りました。ところが、その後のいろいろ様子を見ておりますと必ずしも評判がよくないのです。というのは、先生方が、まあいい位置にお住まいがあるかどうかという問題もございますし、学生にしてみますと、アルバイトの場所が都心にある。ですから、まあ東京―八王子間、中間の調布とか府中とかに学生が下宿して、両方にらみ合わせて通学しているというようなケースもあるわけです。で、押しなべてこの過密した都市を改造するための施策だ