国民金融公庫から更生資金というような名前で出されておりますが、ほとんどこれはもらつていないような現状であります。そういう点、いろいろ国民金融公庫の方と折衝したりなどして、やり方を引揚者の人たちに説明するというふうな仕事をやつておりました。
国民金融公庫から更生資金というような名前で出されておりますが、ほとんどこれはもらつていないような現状であります。そういう点、いろいろ国民金融公庫の方と折衝したりなどして、やり方を引揚者の人たちに説明するというふうな仕事をやつておりました。
そうです。
昭和二十二年には私ソビエトにおりまして、帰還者同盟がそういうものによつてできたかどうか全然知りません。
そうです。
それは先に向うから帰つて来た者といたしまして、あとに帰つて来る者のために、日本の現状が失業と、そうしてまたいろいろな経済情勢が惡化しておる現状のもとにおいて、いろいろな世話役を必ずやるということを向うにおいて誓つて帰つて来た関係上、先に帰つて来た者の当然の仕事としてわれわれはやつて来たのであります。またそれが根本的な活動方針でもあります。
規約はございます。
さつき私が御説明申し上げたような趣旨のもとに規約はあおのです。
大会ごことにいろいろ改正されて参つております。
一番最初にできたのは、昭和二十三年の二月だつたと記憶しております。
大会の際におきましても、引揚げ促進はもちろん再三議題になりましたし、また留守家族の人たちとも密接に結びついておつて、正しい意味における引揚げ促進、しかもわれわれ先に帰つて来た者の手でというふうな形でやつておりました。
総司令部ですか、あそこにも持つて行きましたし、それからソビエト代表部にも持つて行きました。受入れ態勢の不備な点に対しましては、政府にも懇請書を出しました。
そのことに関しては、岡元さんは何か誤解しておるんじやないかと思うのです。私はそういうことを言つた覚えはないのです。
心当りといえば、私がナホトカにおつた期間において、帰還者がたくさんナホトカを目当にたまりまして、船は来ないし、結局その付近に船が来るまで待機するということを私説明したわけなんであります。そのことを誤解されたのではないかと思います。
ナホトカにおいては引揚業務に協力しておりました。
事務的なことと、収容施設のいろいろな整備、保管に関してやつて、おりました。
そのことに関しては、私ちよつと今記憶にないのです。
日本共産党に引揚者、留守遺家族のために非常に一生懸命やつていただいて、そうしたものが出たということは私、聞いております。
別に隠しているわけではないのですけれども、今急にそう言われますと、その第六回の党大会の云々ということに関して、特別に私ずつとそれを指針としてやつて来たのではないのでありますから、ちよつと思い出せないのであります。
生活擁護の根本的なところは、私たちは事実に立脚して参りました。帰還者たちの生活の実際、留守遺家族の生活の実際、これをわれわれは基礎として今まで活動して参りました。
読めます。