浦
浦和充子
1948-11-26
参議院・法務委員会
はい。
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はい。
茨城縣多賀郡磯原町上相田柳生策之助方、そこのお家の中に勝間宇之助という方が疏開していまして、そこへお世話になつております。
高等科まで参りました。
それからは親戚の手傳をしたり奉公したり、それで二十二のときに浦和語助と一緒になりました。
おりました。
六ケ月くらい……何だかよく忘れちやつて……。
そうなんです。
昭和十五年。
動機ということは……。
はあ。
浦和が來てから十五日しかおりませんでした。
はあ。
私はお店の仕事が嫌でしたから、早く堅くなりたいと思つて、そうして浦和も、こういうところにいるのはよくないから、お互にここで一つこの仕事を足を洗つて、それで俺も裸だしお前も裸だからどこからも苦情はないのだから二人で築こうと言つて一緒になつて、それで世帯を持つたのです。
それははなから全然なかつたのです、私に……。浦和の方だけが夢中になつて來ておつて……。
その点はないのです。私の方は止めたいという氣持だけで……。
はい。
その頃はまだ私からつきし子供でしたから、生活苦とか、生活難とか、お金ということには余り拘わつていなかつたのです。
はい。
自分は十五の時から印刷の方の仕事で年期をこめたが、現在は袋物の仕事をしておつて、その方が大分成功しておるからそれを続けたいと言つておりました。
はい。