そうは思いませんが、そういうことはいけないと思いますから、先ほどマル通のときに磯川氏に忠告して、返事を聞いた結果そういうふうな気持に私もなつたわけです。
そうは思いませんが、そういうことはいけないと思いますから、先ほどマル通のときに磯川氏に忠告して、返事を聞いた結果そういうふうな気持に私もなつたわけです。
何のことですか。
相談はありません。こういうふうにするという話を受けて、それについて日通の顧問弁護士の今野さんという方から忠告があつて、初めてその情報が私はわかつた。それで磯川さんに注意をしたのであります。
考えて磯川さんにちやんと言いました。
聞きません。それはこういう例文だから、大蔵省の方は了解がつくはずだ。どうせこういう大きなものはまとめ切れないから、大蔵省と一部を直接取引さして、自分は小さくなつて完成させる。これは例文だから、社会事業を完成させるために、一部を大蔵省と直接取引さして、相手方に払い下げることはできる、こうおつしやつておりました。
それは私のところのごく一部の事業をしただけであります。
あります。
大体私の太陽の家以外の事業、あの場所以外で私が経営している事業によつて太陽の家を保管する。しかし太陽の家の利益はその事業に使つて——将来個人経営の場合ですね。もし将来その事業をやめるというときには、その持分をお互いに同一にわける、こういうふうに記憶しております。
記憶しておりません。
いや、思い出しました。
そこに書いてありますように、あれの払下げがまだ決定していないときのお互いの申合せ、契約であつたと思います。たとえば自分の方へ払い下げられるかどうかということが未知数であつたものですから、そんなふうなことをあらかじめ予約したように記憶しております。
どうもそれは、払下げ前に払い下げて事業を始めたらどうしよう、こうしようというような仮定の問題で、結局その契約というものは、全然お互いに何ら効力なくおしまいになつたのでございます。それはなぜかといいますと、払い下げるという事実は、財団法人でなければ払い下げないということになつたのです。そのためにその契約書なり約束というものは何らそれはもうお互いに効力のないもので終つてしまう。
はつきりいたしません。
記憶を呼び起せません。
先ほど申し上げました通り、聖十字学園に私の太陽の家以外の事業から寄付する、それからあそこで経営されて上るものは、それはあそこで使う、こういう気持であります。ただそれが個人経営でやつて行くという想定であつたのです。個人経営でありますから、将来何年、何十年続くか、あるいはまた欲が出たり何かした場合に、あるいはまた役所の方からそれを堅実な社会事業にでもしろとか、いろんな條件が出た場合に、そんならかけた金はどうしようとか、あるいはちやんとした社会事業団体に行つたときにはどうしようということを磯川氏が書いて、私は調印したのです。
ちよつと意味がわかりません。
いえ、私が出した金と私が出そうという金ですね。たとえば太陽の家自体に、土地に手をつけていなくても、磯川氏が私のセントラル・ビルの部屋へ参つて、いろいろなそういつた運動をしておられたのです。そのために部屋も提供し、電気もつけ、人間も手伝わせ、また磯川氏の連れて来た人たちに対して給料を立てかえておつたのです。そういう意味でございまして、よその方に払下げが決定したものをそこに因縁つけて金をとろうという気持は、金でも出そうという者にはできません。
千五十万ぐらいでおしまいにしたと記憶しております。
さようでございます。
いや、それはほかの事業であつて、太陽の家の磯川氏の事業に対しては、その事業で得た利益を寄付しようということでありまして、社会事業から金をとろうという気持はございません。