そう言われてみるとそこははつきりしません。集まつた者は木村君も集つた。皆閣員ですから。ちようどその日は閣議がございまして、皆揃つて出て來たのを、私が何か用があつて遅れて來ました。幹事長であつた芦田君がそう言われたことと私は思つておりますけれども、もちろん地崎君の懇望によつて集つたことは事実です。
そう言われてみるとそこははつきりしません。集まつた者は木村君も集つた。皆閣員ですから。ちようどその日は閣議がございまして、皆揃つて出て來たのを、私が何か用があつて遅れて來ました。幹事長であつた芦田君がそう言われたことと私は思つておりますけれども、もちろん地崎君の懇望によつて集つたことは事実です。
私の幹事長時代は私が全責任をもつてやつたのです。届出等のそういうことはなかつたと思います。これはあなたの言われる通り齋藤君の時代は永井君がやつておつたのでしよう。私は永井君からすべてを引継ぎました。その記憶ははつきりしております。
そんなことはありません。
その金と言うても、その金というのはありません。
あります。
別です。第一に日時が違います。永井君に引継いだのは四、五月ごろですから、その金を会計の方へまわしたのは二十一年十二月の末と思います。
そうです。
私はちようど前半を少し聽かなかつた。おそらくその間にこの百五十万円の報告をなさつたか、もしくは承諾を得られたか、これは私関知いたしません。後半私が承つたことは選挙に対する報告であります。
そうです。
そうです。
それはみな了承して別れたのです。それでちよつと申し上げておかなければならぬのは、閣議の日に本部で役員会が開かれることになつておりました。役員会の時間が迫つたから私たち本部へ急いでかけつけたことをおぼろげながら記憶いたします。
了承したことと思います。
二十二年です。
二十一年の十二月に徳田君から御質問になりました封鎖の三十五万円を私は会計の方へ引渡したことを覚えております。
いや。まだ幹事長時代です。そうして二十二年の二月頃に幹事長をやめた。
何をしておりましたか、これも記憶に存しませんけれども、代議士であつたことは事実です。
石黒君が私のあとで幹事長になられた。石黒幹事長、副幹事長の中村又一君の両君に、院内の民主党幹部室だと思いますが、そこで引継ぎをいたしたのであります。
いや、そうじやない。二十二年二月です。
いや、それは総括した金を渡したんです。会計の方の報告は月々しております。しかも私は党費は厘銭をいやしくもせず、星一君、船崎君、これらの会計監督の檢印をもらつて、二通つくつて、一通は幹事長の私の手もとに保存し、一通は会計の手もとに保存するということにして、会計事務は一目瞭然書付がわかるように私の時代にはなつておりました。
それはあなたの聽き違いです。