それは金の種類はなんでしたか。
それは金の種類はなんでしたか。
私が幹事長をやめるときに、次の幹事長の石黒武重君並びに副幹事長の中村又一郎君に引継ぎました。その金のうちに封鎖の三十五万円ははいつておりました。しかしこれは前年の十二月末日の総勘定のときに会計の方へまわしたことと、私は記憶いたしております。
それは私はつきりおぼえないのですが、二月の中ごろのことと思います。
やめたというのは、二月十日過ぎに國務相たる内交渉を受けました。当時はまだ親任式でしたが、二月二十六日ごろまでに親任されております。だからその前後に石黒君が幹事長になられ、中村又一君が副幹事長になられましたから、私の保管いたしております金を引継ぎました。
五月ごろだと思います。
そうです。四五月ごろと思います。
そうです。
封鎖だけではなくて、百二十数万円を引継いだことと記憶しております。これは中村君もしくは石黒君にお聽きくださればわかります。
それは私にはわかりません。
銀行預金も当時いろいろの風評がありましたから、郵便貯金にわけたものも、みな引継ぎました。
記憶がありませんが、一應調べまして、もしありますれば当委員会に差出します。
石黒君は四月の初旬にパージにかかりました。その次は党務部長であつた地崎君がなられたのですが、また数日の間にパージにかかつたと思つております。
次は今の総理大臣の芦田氏です。
ちようど選挙中で、私ども当時群馬縣かどこかに出張しておりまして、帰つてから芦田君がなられたことを聽きました。四月十三、四日から十六、七日ごろまでの間と思います。
芦田氏のあとは苫米地君がやられたと思います。そのあとは竹田儀一君だつたと思います。
それは私は記憶にございませんから、月日はわかりません。
それはいつですか、私は献金のことはさつぱり知りません。
はつきりわかりませんけれども、大体苫米地君ではなかろうかと思います。
苫米地君です。
これはだれの時代にやつたことか、私にはけだし他山の石ですからわかりません。