はい。
はい。
三十四でございます。
そうでございます。
十六年に東北大学の法部学部法科を出まして、三菱鉱業に入社いたしました。二十一年の六月か七月かはつきり覚えはありませんが、右退社いたしまして、八月頃日本水素に入りまして、二十二年の三月に日本水素を辞めまして、昭和電工に入りました。入りましたのは四月であります。昭和電工で社長秘書を勤めて現在に室つております。
二十二年です。
日野原社長は三月末か四月頃に昭和電工の社長になりました。私は一緒に参りました。
はあ。
秘書でございます。
あすこは課がございませんで、社長室となつておりますから、社長室の責任者でございます。
仕事の内容は、社長、重役の庶務的な事項、それから社印、社長印の保管、その他会社関係禀議書の処理というくらいなことになつております。
それは会社における、どの会社にもあります秘書と同じことだと思いますが‥‥。
そうです。
ちよつといつ頃か記憶がはつきりいたしませんが、新聞、出版物にそういうことがちよくちよく出て読みましたのが、二十二年の年末頃じやないかと思いますが、余りはつきりした記憶はございませんです。
極く注意を引くようになりましたのは二十三年に入りましてからぐらいではないかと思いますが。
格別注意を持ち始めたといいますのは、まあ会社の幹部として、重役たちがやつておりますから、勿論私たちはその秘書でありますから、当然知つておらなければならんと思いますけれども、会社の大きな政治的な運営上の意味となりますと、私たちが余りはつきり分りませんので、感じとしまして、実体二十三年の初め頃からと、こういうふうに思います。
秩父工場とかそういうのが新聞に出るようになりましたのは、記憶は確かでございませんが、三月頃でございましようか、ちよつとはつきりいたしませんですが‥‥。
三、四月頃じやないかと思いますが。
その工場の事件でございますか。
その工場の事件というのは総務の方で取扱つておりましたし、又そういう性質のものですから私の方では余りはつきり知らなかつた。大体総務部ですから、総務部長、庶務課長、総務部の担当者というようなものが大体取扱つておつたように思います。
まあ大体そういうふうな噂は聞いておりましたけれども、大体その時分だと思います。