時日はちよつと齟齬するかもわかりませんが、日にちは大体委員長の言われた時期と思います。当時渡邊さんがセントラル・ビルへインドネシア会館を設置するという計画がありましたから、それに参加しようと思いまして、渡邊さんと懇意になつていただきました。たまたまそれから聖十字学園の問題が出まして、初めは聖十字学園のことでなくインドネシア会館のことで懇意になつたのでございます。
時日はちよつと齟齬するかもわかりませんが、日にちは大体委員長の言われた時期と思います。当時渡邊さんがセントラル・ビルへインドネシア会館を設置するという計画がありましたから、それに参加しようと思いまして、渡邊さんと懇意になつていただきました。たまたまそれから聖十字学園の問題が出まして、初めは聖十字学園のことでなくインドネシア会館のことで懇意になつたのでございます。
それから第一回の契約は、これは私がただいまから申し上げますことは、非常に日にちとか数字にルーズな男でありますから多少間違いがあるかもわかりませんが、昭和二十二年の十一月か十二月だと思いますが、第一回の契約をいたしました。
磯川義隆を甲とし渡邊敬吉を乙とし左の契約を締結する。一、甲は聖十字学園理事会の決議によ り乙を東京分園代表者とする。二、東京分園は聖十字学園の社会事業 的使命を尊重しその運営に任ずる。三、東京分園の運営は権利義務債権債務一切乙その責を負ふ。 四、東京分園の経営並に金品収支の一切は第三項に従ひ乙に於てこれをなす。 五、東京分園の設置(新設、拡充、改良)の地域は東京都下とす但し甲乙諒解の上第三者をして都下に於て乙の責任にあらざる分園を設置する事を得。六、東京分園に於て必要とする官公庁並に第三者に提出する書類に甲の名義を用ふる事を甲は承認する。 七、聖十字学園本園東京事務所は乙これを提供しその経費は甲の負担とする。 八、東
そうであります。
はい。
自分の事業といいますと、この事業でなく、ほかのセントラル・ビルの経営の意味でしようか、どういう意味でございましようか。
そうであります。
私の方は分園から上つた一割だと契約にもある通り、そう思つております。
事実でございます。
これも日の食い違いがあるかもしれませんが、当時渡邊さんがセントラル・ビルを経営しておつていろいろ金まわりがよかつた、この人はかわつた御仁で、なかなか義侠心に富んだ人で、こういう人に後援していただきたいと思つて、あの現場は私自身が探した。これを渡邊さんに報告いたしましたら、非常にいいところだからひとつあすこが手に入るように運動してくれと言われまして、それからいろいろな書類の作成とかいろいろな計画を立てまして、東京都や厚生省の奥書を付しまして大蔵省に申請手続をいたしました。
分園の目的であります。その分園の目的で分園長を渡邊さんにしていただいた。現場はちようど運よく私が前を通つておりまして、私が発見したものであります。
はい。
それならばその限界をはつきり申し上げます。昭和二十四年の四月、私がそこへ行くまでは渡邊さんが理事長で自分がかつてにした。二十四年から先は私がやつておりますから……。
四月か五月、あすこで太陽祭りをしたときはたしか三日でありましたか。
もちろんであります。
二十四年以後は私の独断専行。
そうでございます。
いたしました。
実は私は財団法人でやるのは不賛成であつたのでありますけれども、法規上財団法人でないと、あの土地を払い下げせぬというのであります。それが一つの理由と、それから将来社会事業は個人に認めない、財団法人でなければいかぬというような案が厚生省で出ましたので、それでちようと払下げの申請をする——時日はちよつと忘れましたが、一箇月ほど前に財団法人の認可をとりまして申請いたしました。
一つの理由はそうでございます。もう一つの理由は、将来は個人には許可しないという厚生省の方針であつた、社会事業は個人の施設を認めない、法人にしようというような意向でありましたので、その理由と二つです。