生田先生にも非常に貴重なお話をいただいて、私自身としても参考になっております。 日本エネルギー経済研究所さんというのは、私不勉強だったんですが、一分間でお話し願うとすれば、どういうことをやっていらっしゃるんですか。
生田先生にも非常に貴重なお話をいただいて、私自身としても参考になっております。 日本エネルギー経済研究所さんというのは、私不勉強だったんですが、一分間でお話し願うとすれば、どういうことをやっていらっしゃるんですか。
技術の問題はないという、私はそれを聞こうと思ったんですが、技術の問題はないんですな。技術のことを扱ってはいらっしゃらないんですな。
私は実は技術屋でございますのでそれに偏りやすい傾向がございますけれども、いま一般に、お並べになったエネルギーの基礎、原子力にしたって、あるいは水力発電にしたって、もう石油にしたって、いま言われている——たまには活字にあらわれていますが、風力についての資料をお集めになったことがありましょうか。
皆さんが貴重なお時間でございまするので、私がインターフェアすることをなるべくしないように心がけて、お答えも簡単にしていただきたいし、私も簡単に申し上げます。 いまの風力の、アメリカのERDAですか、それの資料などがいただけたら一度伺いたいと思いますが、その節は、可能であったらよろしくお願いいたします。 エネルギーの現在の核融合というような云々のことが出ました。私は、当面ウランという物が原子力開発の基礎になっておりますることから、昭和二十七、八年ごろから——日本の原子力開発というのは昭和二十九年からですが、台湾にも、朝鮮にも、日本全土でも、どこかにオーストラリアのように、アメリカの、あるいは南アの方面のように、何かウランが出る
正一時から三十分、自民党を代表して質問申し上げることになっておりましたが、十五分過ぎましたので、大臣が大事な御用件があったという話で、私はやむを得ずあと十四分三十秒に短縮することで質問申し上げます。 それでは、三十分分のどれを切ろうかちょっと迷っておりますが、午前中に海水汚染問題がちょっと取り上げられましたので、その点を若干触れてみたいと思いますが、原子力船「むつ」が起工される前後には、オット・ハーン号はすでにハンブルグにおいてずっと先に着手されておって、当時国会からも二度も三度も、そのころ原子力船というものが日本の造船界の将来を取ってかわるであろうという大きな望みで出発したとおりでございます。ところが現在「むつ」はごらんのとお
その程度で結構でございます。実際の状況は日本で調べたってわからぬであろうという私も予想を持っておりますが、そのぐらいの大づかみの状態で私は日本の調査ではやむを得ぬと思っております。 私は、前田正男君でしたか佐々木義武君でしたか、ちょっといま忘れましたが、アメリカの原子力潜水艦に、基地に参りまして二度米国へ参りまして乗ってみました。微力でありまするが、こちらも科学技術者の一人として、昭和二十九年、いま長官の親分である——親分であるというのは記録にはいかぬが、心酔者である中曽根先生と私とで、実は日本の原子力政策について一億数千万円の最初の予算を組みました。その作業は私と当時工業技術院長をしていた駒形作次君と二人でやっただけです、中曽
私はその数もほぼ知っておりました。そんなことではとても日本の原子力政策の一つだけでも——科学アタッシェというのは原子力だけじゃありませんから、そんなことでは零が一つ違うんです。現在原子力だけを、私はきょうの質問は原子力だけに限ろうと思いましたが、科学技術対策委員会ですから、ほかにも足が滑るかもしれませんが、それでは初期の十年、二十年前の人数とほとんど変わらないと言ってもいいぐらいです。もう一つ零を余分につけるぐらい飛躍するように長官で取り計らっていただきたい。 それから現在科学技術庁から、いろいろ文部省と相談して、在外研究員の助成をして勉強させておる者も大分あります。その形態はたくさんあります。文部省の系統もあるし、また科学技術
本日の委員会で私は、前もって私に連絡がありませんでしたために、自民党、与党である委員から発言も質問も一つもないということで言われましたが、急に向井先生の時間を若干いただくことで委員長から理事さん方に私が質問をする申し入れをしたわけでございますが、考えてみますると、時間がもう余りにも少ないということと、委員長の他の御計画もありますということも考えあわせて、私は原子力政策だとか、他の科学技術政策、あるいは産業会議へ及ぶこと等々、この次の機会に一、二時間いただきたいと思って、きょうは質問をすることを中止いたしたいと思います。 考えてみますると、昭和二十九年に原子力を中曽根先生と私とが取り上げてすでに二十三年になる。党並びに院内において
ただいまから科学技術振興対策特別委員会を開会いたします。 本院規則第八十条により、年長のゆえをもちまして、私が委員長の選任につきその議事を主宰いたします。 これより委員長の選任を行います。 つきましては、選任の方法はいかがいたしましょうか。
ただいまの森下君の動議に御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
御異議ないと認めます。 それでは、委員長に柏原ヤス君を指名いたします。(拍手) ————————————— 〔柏原ヤス君委員長席に着く〕
原子力関係の科学技術庁に新しく前田長官が就任されて、うわさに聞きますと、どうも技術系の出身としては初めてだというふうに伺っております。前田先生という人はなかなか大臣になれないなあと言っておったんですが、技術系のためにおくれたということを聞きまして、ははあそうだったかということで納得がいきました。 私はそのことを引例に出しましたのは、ほかのことが言いたかったんです。それは日本の科学技術そのものを、国会全体、与野党とも全部通じて科学技術を軽視して今日まできたという一つのあらわれがそこにもあらわれておると思います。たとえば科学技術庁が創設された初期のころでございますが、政治家としてはりっぱな御婦人がございました。しかし、科学技術のこと
大臣の答弁が長過ぎてしまったもので、私の時間がなくなってしまったので、内容は大変結構でございますから、その点については不満がありませんが、私の時間をとられてしまったので、この次にいたしますが、一言。 各電力会社のエネルギー対策について、特に原子力政策の問題について成田空港の二の舞にならぬように政府から特に手を差し伸べていただきたい。どこの電力会社なんてそんなけちなことは言いません。日本のエネルギー対策の将来のために、高みの見物を、まあそうはしておりませんけれども、前田大臣になったらやっぱりよくやっているなあというふうに特に希望して、きょうの質問を終わることにいたします。
委員発言の予定を初めお願いしておこうと思いましたが、若干手違いをいたしまして、関連質問という形で簡単な希望と私の意見も申し上げておきたいと思います。 相当盛りだくさんな、運輸政策の全般にわたって質問したいという考えも持っておりましたが、これはあらためてのことにいたしまして、きょうは一点だけにしぼることにいたします。急なことでございますし、また財投あるいは資金計画の国鉄に及ぼす影響が相当多うございまするから、この場で明確な答弁をいただくことは期待しておりません。 きょうは、一点にしぼると申しましたのは、市街化されておるところの大都市の中を通っておる国鉄の高架化だけのことです。たとえば、運輸大臣の御郷里である北海道のうちでも札幌
さすがに運輸交通のベテランであるところの佐々木新大臣は御計画はもうすでに立てていらっしゃるということをいまここで聞きまして、非常に意を強くするところであります。このことにつきましては、従来の観念、すなわち地方自治体がどれだけ、たとえば県がどれだけ、市の負担がどれだけ、国鉄の負担がどれだけというような従来の観念でいったらこれはとうていできやしません。そこはやはり佐々木大臣、田中総理というようなところでなければできぬと思いますから、ぜひピッチをあげていただくように熱望いたします。
関連して。近江委員の質問は非常によく研究された、きわめて私たちの注意しなければならぬ、いい質問だと感心しておりましたやさきに、私もちょっとこの際一分間、調査しておいてもらわなければならぬということを思いまして、関連質問するわけであります。 原子力発電所から出る冷却水の温水などで、英国やまたアメリカの海岸で、そこの近所の魚介類が汚染されておるとか、あるいは死んでおるというような例をあまり現地で私は見てなかったのだけれども、日本では、私たちは原子力発電所を海岸に建てる、あるいは川の横へ建てるというときに、何もないということを今日まで言い切ってきた。事実現在でもそう思っている。ところが、場所を言うと波が立つから言わぬけれども、いま現に
これより会議を開きます。 航空に関する件について調査を進めます。 すでに委員各位も御承知のとおり、去る三日、東亜国内航空機遭難事故で六十八名の方々がおなくなりになりました。委員会といたしまして深く哀悼の意を表し、御冥福を祈り、黙祷をささげたいと思います。全員御起立願います。 〔総員起立、黙祷〕
黙祷を終わります。御着席を願います。 この際、東亜国内航空機遭難事故について、運輸大臣から発言を求められておりますので、これを許しますが、同時に、大臣としての委員会初めての出席ですから、ごあいさつも兼ねてお願いします。丹羽運輸大臣。
次に内村航空局長。
質疑の通告がありますので、順次これを許します。宇田國榮君。