大分縣と福岡縣から一通ずつもらいました。
大分縣と福岡縣から一通ずつもらいました。
社員が取りに來て、その証明すべき書類を社員に渡して、大分縣へ帰しました。
もちろん持つて行きません。
大分合同へ持つて行つて金は借りません。その証明ではいかぬというので、別の方途で金を借りたように、あとで聞いております。
そうじやありません。
立会いません。大分でやつたことで、私は東京ですから……。
その当時は知りませんでした。今は知つております。
そのときは大体全部で五千万円と六千万円の間くらい必要であるということでした。それは一億三千万円ありまして、六千九百万円、七千万円ばかりは立替金の支拂いがあつたから、あと残額が六千万円ぐらい必要だと思いました。
それは聞きました。その証明ではだめで、ほかの方法で借りて年が越せたということを聞いて、よかつたという感じをもつておりました。
そうです。
行つてすぐもらえました。
管理局長には、午前中に行きまして、急いでおるものですからすぐやつてくれと言つたところ、時間がかかるから午後來てくれと言うので、午後行つて総務課長からもらいました。そしてその後に、非常に催促して済みません、おせわになりましたと管理局長に会つてお礼を言いました。そのとき初めて管理局長に会いました。
会いません。
知りません。新聞紙上で知つておるだけで、小坂順造君の子供であるということだけ知つております。面識はありません。
聞いておりません。この間新聞で見て知つたくらいです。
それは証明書では貸さないと言つたらしい。これはあとから聞いたので、当時は知りませんでしたが、その証明ではいかぬというのです。
私はその当時だめになつたということを知つて落胆も何もしない。ほかの方法で借りられたからまあよかつたと思いました。
二、三日経つてわかつたのです。
それはある銀行の保証のもとに借りたのです。
大分合同銀行の頭取が何と言つたか知りませんが、結局その証明書では金が借りられなかつたのです。