昭和二十一年の二月から二十四年の六月の二十九日までです。
昭和二十一年の二月から二十四年の六月の二十九日までです。
今は千葉管理部の業務課に勤務になつております。
きようその書類は持つて來ておりませんが、記憶によるほかにないのであります。
その時間表を知らしめた方法ですね。
それはお話してもなかなかむずかしいと思いますが、日にちははつきりとちよつと記録を持つて來ておりませんのでわかりませんが、大体五月の十四日ごろと思いますが、局の業務部から、管理部に車掌係というのがあつて、車掌係を通じて新交番を六月の一日からやるのだというようなことを言つて來まして、それでそれによつて大体定員を示されたと思います。それによつて一応つくりまして、そして前もつて慣例として乘務員に見せるようになつておりますので、しかしまだ発表がありませんので、これも記憶がはつきりしておりませんが、五月の二十何日かにその新交番と六月の五日からやるということを控所に掲示しました。
これはいきさつがありまして、六月の一日からやれと言われましたけれども、ちようど小口還元が十日から始まるので、そのときに一緒にやつてもらいたいという希望を車掌係を通じて話をしておいたのですが、では十日ごろというつもりでおりましたところが、いや一日からやれと言われまして、一日ではとても間に合わないというので大体五日か六日——六日になりましたか、六日と書いたかもしれませんが、六日ごろからやるということにしたわけです。ちよつとこの日にちにつきましては記録を持つておりませんのではつきりしたことは言えません。
新交番制というのはこれは結局今度の勤務時間の関係でもつと早くやるべきところを一應延ばしておつたわけです。その交番のことにつきましてはここで御説明しましてもなかなかわからぬと思います。しかし結局例をあげて言いますと、たとえば列車の車掌のA組——AとBがありますが、A組が今まで二十六日でやつていたところを二十四日でやるような案です。
結局今まで二十六日でやつてきたものを連続というのをつくりまして二十四日に縮小したわけです。それだけの問題なんです。だから結局今まで——これはどうもここで御説明してもよくわからぬかもしれませんが、大体朝上つて帰るものを今度はまた午後から出るようなところへくつつけましてそうして結局二十六日のところを二十四日にやるというようなやり方をするわけです。これは基準法によりまして……。
事実においてはそういうことになるでしよう。
いや、一應掲示して——これは結局交路表というのは局できめて來ますが、交番のきめ方は車掌区長に一任されておりますから、そのきめ方をかえるだけです。それによつて車掌の希望を聞いて、最も都合のいいように——今食糧事情とか住宅関係がありますので、都合のいいようにつくるように今までしておつたわけです。
いや、掲示すればいいわけです。
掲示しまして、それに異議ある者はいろいろこつちの方で希望を聞いて今までは直すところは直して行くということでやつておつたのです。
そうです。
私掲示の日にちはここではつきりしませんが、二十何日か——一週間くらいの余裕はあります。
それは局達にあるわけです。
これは交番をかえるごとにいつでもいろいろを申し立てる人があるのです。それは全体ではないですが、一部の人が結局幾分つらくなるということで異議を言う人もあるのですが、そんな程度です。
結局、今お話しようと思つておりましたが、こんな交番制なんか何でもないのだ。みんなの意向が、結局これが首切りの前提である、だからこの交番に移りかわつたならば首切りに一歩前進することになるからここで食いとめるのだというのです。だから交番についてつらいというような観念はないと私は思う。
これは首切りの前提ではないと私は思います。ただ六月十日から小口還元というのがあります。小口の積みおろしを從事員がやることになつたものですから、それについて私のところは人間がたくさんおりますが、東鉄管内全体とすればこの勤務時間を規定通りやらないと、それだけのことができないという点だけだと私は思います。だから首切りの前提なんということを言われますが、そういうことは絶対にないと私は信じております。
前もつてお話いたしますが、区長と從事員というものは、やはり同じところにおりまして、同じ仕事をしておる。ただ監督者とそうでない者との関係だけでありまして、話せばよくわかつてくれるのです。今まででもいろいろな点でそういうようなことがありましたが、話せばよくわかつてくれるのです。これは結局六月五日の日ですが、五日から実施をするということの命令がありまして、それは三十一日に掲示を出してあります。それまでに私と労組といろいろなことを交渉したのですが、大体五日の日になりまして、もう一度労組と協議をしております。われわれとしては現在員で幾分でも余裕のある勤務方をさせたいと思いまして、区長権限でできるところは自分でやろうということで、その点も明示し
当日は外部の人が新聞記者の方もおいでになつたでしようが、いろいろの方がおいでになつておつた。從事員も相当があがあ騷いでおつたのは事実ですが、十一時十五分ごろになりまして、背廣を着た部外者が相当玄関から入つて來まして、私はおよそ三十名くらいじやないかと思いますけれども、事務室に一ぱいになつた。私はそれを見ておつたのですが、その中の二人が斗爭委員の中島登を通じまして私の前にあいさつに來たい、こういうわけです。それでそのときの話は、自分は県の労働会議の委員と言われましたか、労働委員と言いましたか、労働ということははつきり覚えているのですが、だれだれだか、本日の事件について、現在差迫つた労働問題だから参考までに区長さんの意見を述べていただき