当時でありますか。
当時でありますか。
当時二十四名であります。
二名です。
四十余者であります。正確な数字はわかりません。
四十戸あまりです。
組合長は創立当時は仲谷芳太郎、現在は竹澤長松。
私は書記です。
今生産組合長と農業調整委員と、それだけであります。
区長というのは長谷川三十三。
檢察廳はあとであります。あとで呼び出しがあつたのです。
そのときは軍政隊が來られまして、大体調査に來た、じや公平にやつてください、公平にやります、こういうことだつたので、いわゆる農民組合員の田地の実測と、同時に反共の人の田地の両方一戸ずつやつてもらつたのであります。これは三日間かかりました。
それから推算されたものだろうと思います。
警察の取調べの調書をもちまして、実はどうも持つていてもおれもわからないのだ、こういう問題になると説明してくれないとわからないということで、私が御説明しました。その結果二十六町幾らあるだろう。それは出入耕作があつて三町五反ないし四町というものはよその部落へ行つていると申し上げたのであります。了解できたわけであります。
そうです。もう法的なものはするところがないと言われた。
そうであります。
檢察廳の調べがあつたあとだと思いますが、いわゆる警察の確認が、警察署のいわゆる仲裁だつたのです。仲裁に來たのだというので、私は仕事中であつたのでありますが、ぜひ來てくれということで、町村長の代理として助役さんと、農地委員の書記の森さんという人ともう一人役場のだれだつたかとこれだけが警察の刑事の方と森山司法主任と全部で十名くらいでした。仲裁の目的で來られたのであります。そうしてこの面積で部落の割当をしてある。こういう性質のものである限りはこれは不正とは認められないということで、確認して手打ちしようとされたのでありますが、一方は一切のことを否認して、そういうものにわれわれ認められないという形で突つぱねられたのであります。
そうであります。
しつかりした記憶はありませんが、終戰後であります。
私はそういうことを思つて入つたのではありませんし、現在もそういうことはちつとも思つておりません。
ありません。