はあ、大体です。大体間違いないと思います。
はあ、大体です。大体間違いないと思います。
それはその当時東京で封鎖を割つたり、足利で割つたりいたしまして、勘定が交互になつておりますから、その辺の勘定は大体しかお認めすることができません。
はい。
それは社長の間違いでありまして、当時足利には常時二百万円そこらしか置かれてありませんでした。大口に買付けるときには足利からもらつたことがあります。材料費は交互で出しておることが正しいことです。
それは東京に金がなかつたときは足利からもらい、それはどなたも……東京に金がなければ足利からもらうのは当然で、別に、そういう点について社長がそういうふうに言われたことは間違いだと思います。
それは私も、当時会社に……会社といいましても、板金工業所自体は、私の口座に金を入れ、そうして小切手で出したりしておりますので、大体と申されましても、資料と、後ほど、おつしやれば正確にできますが、大体私もその辺の記憶はないんです。残念ながらないんです。
それは大体三百万円ぐらいは個人で使用したと考えております。
そういう意味にもとつて頂きましてもよろしうございますが、そのほかに多少遊興費に使つたことも認めて頂きたいと思います。
それはこういう問題が起きましても、しばしば問題になるわけでありまして、半々だというふうに社長は言つております。儲けが出たら、儲けの半々だというふうに言つております。
それは、私が東京の出張所を法人として開設いたしましてからのものは残つております。それから足利は当時、これは私が非常に憤慨しておることは、丁度この過払ができた時に、特別調達庁のかたが調べに行くと言つたときに足利へ社長が言い付けて燃やしたということがありますが、東京の分だけは、はつきりお答えできます。
それはその当時個人で田中平吉というものを表槍に立てておりました関係上で、田中が私の分もと、税務署と話合いでそういうふうにきめたように聞いております。
その点は今だからそういうふうに聞かれますが、当時は社長もそういうふうにやつておりましたのです。そして無駄遣いは余りしないということだけで、ただ必要ならば使つてもいいということで漠然とした取りきめなもんですから、法人となりましてからは成る一定の額を、源泉所得税を納めておりました。東京ではそれは京橋の税務署です。
それは当時やはり会社ですから裏があります。裏というのは、こういう所で申上げるのは甚だ申しにくいのですが、当時三万円くらい申告しておりましたと記憶しております。
会社でやつてくれました。
それはその当時そういうふうに、今言います三百万円というのはそういう事件ができましてから、そういう金額を出したのでありまして、その当時は会社の費用というか、私もそれは漠然として働き、自分でやつていながら漠然として申訳がないのですが、結果がこういうふうに出ましたものですから、三百万円くらい自分で消費したというふうにお答えしております。そしてその当時会社からは俸給としては三万円、そのほかに車馬賃としてはその都度出しておつたように記憶しております。
はい、そうです。
東京の出張所としてでなく、全体としてはそういう点は言い得ると思います。
それはそういうふうにおつしやられまするけれども、その当時会社とすれば、いろいろなほうに私は使つても、自分のものだというふうにしておりますものですから、そういうふうに極端にお取りになられても因るのでありますが、そういう点については私としてもはつきりお答えすることできません。
その点は現在ですから、そういうふうに思われてもいたし方ありません。
それは会社のほうの税金は、税務署が来まして折衝しまして、そうして向うが納得する額を納めていたように記憶しております。