それば私が当時、趣味でカメラを持つておりました。そのカメラを売つた金であります。売つて確かに差上げた覚えはございます。
それば私が当時、趣味でカメラを持つておりました。そのカメラを売つた金であります。売つて確かに差上げた覚えはございます。
違いありません。
その当時は帝国銀行と、それから会社になりましてからは第一銀行の銀座支店、それから東京銀行の銀座支店、それから大和銀行の東京支店、それから足利では第一銀行、東京銀行、安田銀行、それから足利銀行と計九行としております。
顧問弁護士というふうに事件があつてから考えたのでありまして、ただ書類を作つたりすることは社長のほうでよく知つております平井という弁護士がおりました。
その点は東京の出張所からは、事件があつてもなくても、これはただその都度だけでありまして一万円ずつ持つて行き、そうして社長が来た都度に幾らか出したように記憶いたしております。
平井弁護士の全部を、それはなぜそういうふうにするかというと、いろいろ登記書類を作つたときはその規定通りにやはり取られております。それと合算いたしまして丁度そのくらいに、並ぶくらいになつております。
今のお尋ねの大橋先生が弁護士でないということは、これは弁護士です。それからその次にどういうふうな効果をもたらしたかということでありますが、これは人を、私も将来もう少し大きくなりたいと思うところから人をお世話願いまして、それは満鉄の施設局長をやつておりました鈴木長明さんとか、そういつたかた、その人たもの一統のかたをも、優秀なかたをお集め願つて今後伸びて行きたいという意味もございましたので、そういうふうにいたしました。
それは第一が、弁護士に登録してあつたそうです。 それから第二が、どの程度の貢献ということでございますね。貢献というものは、今申しますように、板金の仕事も、そろそろその時期がなくなるという想定の下に、土建屋のほうへ進展したいという考えから、人を選んで頂きたいというふうなことをいたしました。 それから貢献というのは、今度の事件が起きましても、田中社長がなかなか、特別調達庁のほうにお聞きになればわかりますが、成るべく個人保証はすまいということを標傍しておつたのを、先生が、そうじやいかん、とにかく間違つたことは即座にやらなくちやいかんということで、そういう懲湧をして下すつたり、或いは後ほどどなたかからお話になるかと思いますが、私が五
それは多分八月の頃だと思つております。
二十三年の八月のことでございます。
この先生の計画は、さつきも言いましたように、丸さんから石破を通じてやつたことは確かです。三十万円は確かに顧問料の前貸しをしてくれと、こういうふうに言われたことは確かです。ですから私のほうはその顧問料を毎月振割つてというように考えておりました。
それは先生がお取りにならなかつたり、預けたりして行つて貯めて置いたのがありました。
入つております。
それは済んでおります。
それは生活のために私が寄附いたしました。
それは差上げたことは確かであつて、それをどういうふうにお使いになつたということは私は知らないことです。ただ差上げたことは事実です。
ございます。
ここでは、この間議会で丁度食事をしに来られたときにちよつとお会いして御挨拶いたしました。
一回だけであります、最近は……。
それは四、五日前でありますから、一日か二日だと思います。