全くそういうふうに思います。 しかし、先ほども申し上げましたように、今度あの手続法が通らないでもそれでもアセスメントはやらないでいいというんじゃないですから、われわれも参加して厳重なアセスメントをやっていかなきゃならぬことは言うまでもない。どうせそういうことをやるんだから、先生方の御審議を経た信頼と権威あるルールをつくろう、こういうことだったので、これができなくなったことはまことに残念ですが、こういう際だからなおさらのことアセスメントは必要だという先生の御意見には全く賛成であります。
全くそういうふうに思います。 しかし、先ほども申し上げましたように、今度あの手続法が通らないでもそれでもアセスメントはやらないでいいというんじゃないですから、われわれも参加して厳重なアセスメントをやっていかなきゃならぬことは言うまでもない。どうせそういうことをやるんだから、先生方の御審議を経た信頼と権威あるルールをつくろう、こういうことだったので、これができなくなったことはまことに残念ですが、こういう際だからなおさらのことアセスメントは必要だという先生の御意見には全く賛成であります。
私は、閣議でも決まったことでございますが、まず電気の使用量から考えていくべきだと思うのです。一応決まったことですから、それを目標にしてやらなければならぬことは言うまでもないです。けれども、だれかが言っていましたが、わかりやすく言うと、電気の使用量というのは、夏のさなか、暑い日に、どこの家庭でもクーラーをどんどんたいて甲子園の野球を見ているときが一番電気を使うのだ、それまで電気がなければおさまりがつかない、こう言う。そうでしょうか。私は、そういうことが間違いだと思うんですよ。その辺の、まず使用量から考えていって、しかしながら、いま代替エネルギーを考えなければならぬことは言うまでもないのですから、それは考えたらいいですし、われわれもその
役所の言葉では検討と言いますと、私も、議員の時代には検討ばかりしてと思いました。前向きに検討と言うんですからね。しかし、これは猶予を許さない問題ですから、どうぞ従来のこの言葉の使い方は御容赦いただくとして、文字どおり前向きに検討して、そういう悔いを残さないようにいたします。
すぐそこに永田町小学校という学校があるんですが、きょうお昼に、ちょうどこの委員会に来る直前でしたが、永田町小学校の先生がこんな大きな子供の作品を持って私の部屋を訪ねてくれた。それは空きかん、ごみをその辺に投げるなという子供たちのポスターといいますか、作品なんです。それを持って私のところへ訪ねてくれましたので、私の部屋の前にそれを飾っておきましたからおついでの節に先生方に見ていただけたらありがたいと思いますが、デポジット方式についてはわれわれもずいぶん研究したんです。しかし、まず第一にジュースの入っているかんを買ってきて、これをどこかへ持っていって飲んで捨てる、それはこの人が悪いんであって、これをつくった人やこれを売った人が悪いんだと
どういうことをやってことしの夏に対処するかということでございますが、先ほど申し上げましたように、「空カン問題連絡協議会」は各省庁まざっておりますから、もう数回にわたって会議を開きまして一応の合意点にも達しております。それでやはりモラルの問題がいま重点だと。ボランティアの人たちの責任じゃないことは言うまでもないんです。各人がそれを片づければいいんですが、このままの状態でいけば、モラルの問題でございますなんて片づけられなくなってまいります。やむを得ず、業者の方々にもそれ相応の責任を持ってもらわなきゃならぬ、ビニールでも、売れればいいというものじゃないんですから。そこで、具体的には各都道府県、それから学校の夏休みの前に、いろいろ子供を通じ
申し上げましたように、いまの段階で私は製造者に直接の責任があるとは考えにくいんですが、もうそうなったらそう言っていられないですよ、そのときには製造者にある種の責任を持ってもらうような制度をあるいは先生方にお諮りをして御審議をいただくというようなことになるかもしれない、こう考えておるわけでございます。
厳しい御指摘ですが、私は後退していると思わない、また停滞しているとも必ずしも思わないです。それは二つの理由があると思います。 一つは、後退も停滞もしていないですが、経済問題の方がぐうっと力がついてきましたから、力がついてきたというのはおかしいですが、不景気対策ということでぐうっとなってまいりましたから、相対的にこっちの影が薄くなってきたと、これは言えると思います。先ほどから坂倉先生なんかの御質問に対してお答えをしたとおりであります。 それから、もう一つの理由は、先生方の御審議をいただいて一応のことができた、だから、これがよその国からも評価されて、日本は驚くべき公害は起こしたけども、よくまああれを一応とめたねと、そこまでは評価
先ほどからるる申し上げましたような事情で、東京と大阪と神奈川だけに決めたわけです。それで、その他の問題はいま局長が言うようにやらないというんでなしに、愛知のごときは保留をしておくと、こういうことですが、御理解をいただきたいのは、どうやろうと、指定しようが指定しなかろうが、どんな事情があろうがなかろうが、昭和六十年に〇・〇六以上悪いところがあった場合には、これはわれわれが中心となって、その関係する地方自治体も含めて、国会の先生方を通じて国民に約束したことの違反ですから、われわれはその責任を免れることができない。これは覚悟していることですから、どうぞその辺でやり方はしばらくの間お任せ願いたいと思いますが、いかがでございましょう。
それは私が大臣になる前のことは知らぬというわけじゃありません。もちろんありませんけれども、私が大臣になったときには〇・〇四から〇・〇六という、かつては〇・〇二だったけれども、そういう幅を持たせての話だった。私は初め、どういうわけで幅があるのかなと、〇・〇六ならば〇・〇六でいいじゃないか、〇・〇四なら〇・〇四でいいじゃないか、こう思いましたよ、それで、だんだん調べてみたんですが、われわれは何でもその数値は恣意に決めるわけにはいきません、特に私みたいな素人の者が長官なんですから、中公審のような専門の先生方にそこで御調査をいただくわけです。そこのお答えがそういうふうにいただいた以上は、それでやっていくしかない。しかし、どうして幅があるのだ
先ほども申し上げましたように、私どもはあらゆる問題、数値であらわさなきゃならぬ、しかも、その数値であらわすことによって関係方面に規制をするというような場合にはわれわれの恣意でできることではありません。これは権威ある研究機関にゆだねて御研究を願うのですが、私どもの公害研究所もそのために常時研究をしているのですから、その成果はもちろんその方面に申し上げてだんだんと考えていくということは常に忘れてならないものだと、こう思っております。
これはいまそれこそ検討していることでございまして、きわめて速やかにやらないと、各方面に関係のあることでございますから、速やかにそれは実施したいと、こう考えております。
詳細のスケジュール等については局長から答えさせますが、今回は、特に変わったところといいますと、地球的規模の問題を取り上げて、例の二十九日目の恐怖ですか、あの著者などを、ブラウンさんというんですが、それからもう一人外国の専門家を呼んで、そういう人たちを交えてシンポジウムを開いたり、それから、この機会ですから各報道機関にもお願いをして、テレビやラジオを通じて国民の多くの層に、地球というものに対して認識を深めていただこうと、こういうような計画があります。詳細は局長から。
この間出した私の文書は、申されたとおり環境庁の職員が、そんなことはないと思いますけれども、もしこの世の中の風潮に押されて挫折感を感ずるようなことがあっては大変と。これは何が大変かと言えば、いま先生言われたように、われわれの時代でなしに、われわれの子孫の時代に大変とこう考えまして、こういう際にはなおさらのこと、力んでこの流れに反抗してわれわれがしっかりやらなきゃならぬと、こういうことを言うたことでございまして、決して外へ申し上げようとしたわけではありません。しかし、外では何も言ってないかというと、このごろ環境週間も近づいてきたということと、それから環境庁十周年ということもありまして、テレビジョンとかラジオとかへ出る機会も相当多うござい
それは一面において非常な効果があったことですから、以下申し上げるようなことは誤解を招くおそれがあるかと思いますが、私はまた別の一面から言うと何か取り返しのつかない失敗をしてしまったような感じが政治家としてなされてなりません。それは高度成長で物質的には豊かになりましたけれども、ある一面では非常に貧しくなってきた。何か物だけあればというつもりでやってきた傾向がないかというと、十分に反省してしかるべき点があろうと思うわけでございます。そこで、快適な環境というのは物ではないんだということを何かにつけて、ある場合には消極的に、ある場合には具体的に環境庁は国民の皆様に理解していただこうと、こういうことでやってまいりました。具体的にといいますのは
言うまでもなく、まだまだやらなきゃならない。アメニティー以外にあります。人から幾らほめられてもその気になって喜んでいるわけではない。まだ、先ほど申し上げましたように病気で苦しんでいる人もいるんですし、いつ何ときそういうことが起こるかもわかりませんから、決して油断はしておりません、
まず冒頭に、まことに申しわけのない次第でございましておわびを申し上げておきたいと思います。 あのときはまだ審議会からの答申はいただいておりませんでした。それから一月になりまして審議会から答申をいただきました。そこで、その答申に基づいて法案をつくりまして各省庁との連絡に入りました。これがなかなか容易でない。湖沼の汚れについて心配をしない人はだれもいないし、また決まった基準等について努力をしておられることも疑いのないところでございましたが、それにしても、この湖、沼はとてもだめだというところを指定しまして、その沼や湖のある県の知事さんに計画をつくってもらうということになります。そうすると、さらに都市排水、それから家畜、ブタ小屋や何かの
前段のお話では、役に立たないからやめちゃえと言われるのかと思ってびくびくしておりましたら、御激励をいただいてまことにありがとうございました。
先ほどから申し上げているように、いまの状態は人間で言えば、商売人なんかの場合に非常に商売がうまくいっている、それで忙しい忙しいと言っているときには、忙しいもいいけれども、少しドックに入ったり休養したりというようなことを勧められればその気にもなれるような——いまはそうじゃなしに、わかっていてもそんな休んでなんかいられないという状態でございますから、そこでどうしても環境問題に対する風当たりは強いんです。先ほど大石先生のお話もちょっと先生から出ましたが、大石先生のころの場合とは状況が一変しております。その中でのことでございますから、マスコミの方は御激励の意味で、もう少ししっかりしなきゃだめじゃないか、こういうふうに言われているんだろうと思
御説はよくわかります。たとえて言えば、四十度ぐらいの熱を出して救急車でお医者様へ行った、しかしながら、その後大ぜいの方の御注意もあって熱はずっと下がってきた、しかしながらまだまだ油断はならないという状態にある、こういうような状態だと思います。先ほど地球的な規模の問題は、長期にわたって、お話しのように少しおどかし過ぎるのじゃないかななんというふうに思っている人がいるから、決してそんなことはありませんよというのはその一部分でございまして、私どもはあの四十度の熱を出したときのことを忘れないで、それが原点だと、こういうつもりでその環境白書はつづったものでございますが、もしその四十度の熱を出したときのことを忘れているのじゃないかというようにと
われわれが物を言う場合でも文章を書く場合でも、お話しのように、たとえ話を用いるということは非常にむずかしいことで、たとえ話を用いることによって、むしろ字数が少なく、口数が少なくわかってもらえるというのが、たとえ話を用いる場合の原則でありますから、その意味では、江田先生のような博学の人がわかりにくいと言うのじゃ、これは十分考えてみたいと思います。