私は差しつかえないと思います。
私は差しつかえないと思います。
この自動車損害賠償保障法案に反対している人のおもな理由は、大体保険料が高いということなんです。保険料が高いということは、ひとり自動車賠償保障法案だけではなくして、日本のいわゆる損害保険の保険料は高過ぎる。去年から本年にかけてかなり引き下げておりますけれども、普通のいわゆる火災保険なるものは非常に高いのです。これもその一例にならって、これは損害保険会社がこれを非常に成立を希望しておるといううわさもありますが、もうかるから。私は保険業者に不当にもうけさせることは絶対に相ならぬ。と同時に、今後この保険の料率その他について運輸大臣がいろいろ干渉なされるでしょうが、これも損害保険の一種でありますから、いわゆる日本の主として火災保険あるいは運送
御答弁まことにけっこうでございますが、この賠償法の取扱いにつきましても、これはいわゆる再保険の制度がありますから、保険会社は労せずして保険料の手数料が、危険を踏まずして、国家がそいつはある程度再保険してやりますから、その分に対してはほとんど何にも危険を負担せずしてそうして多額の手数料を取れるわけです、保険会社は。私は昔、第一次欧洲戦争のときから海上運送の保険など扱ったことがあって、そうしてそのとき船のことに対しては全額、戦争のときでありまして、今度もそうでありましたけれども、保険会社はただ申し込みをするだけで、手数料ただ取りなんだ。これも、そういう全額じゃありませんけれども、ある程度手数料だけがひとりでにもうかるというので。業者はこ
第一条の「自動車の運行によって人の生命又は身体が害された場合における損害賠償」云々ということでございますが、自動車の運行ということは、これはまあおもにこの法律で予想しておるものは、正常な運行を正常な運転者によって、正規の免状を持ち資格のある者がやっておるということが前提であろうと思うのですが、一応この運行という場合に、近ごろよく、警視庁あたりで違反の取調べをしてみると、無免許運転があってみたり、あるいは酔っぱらい運転があってみたり、まあいろいろな場合があると思うのですが、これを一律一体に、どういう運転の仕方をしておっても、自動車が動いておって何か人に傷つけた場合は、これは賠償するという意味でございますか。その辺、一つはっきりしておい
そうすると、たとえば、まあ乗用自動車をその持ち主の家族のものが勝手に練習でもするつもりで運行した場合に、不幸にしてひっかけた、あるいはまた、ある店のももが、先ほど言ったように、小型の許免は持っておるけれども大型の免許は持っていないが、まあとにかくこれを動かしてそうしてまあ物を運ぶというような場合も、そういう場合はもう運行することそれ自身の責任のいかんを問わず、動いておった場合に事故が起った場合には、必ずこの法律によって損害は支払う、こういう建前と承知してよろしゅうございますか。
そうすると、さらにあらためて念を押しておきますが、たとえば自動車にブレーキをかけてとまっておったのに、どういうわけかしらぬが、車が古いか新しいか、あるいはブレーキのかけ方が間違っておったのかしらぬが、運転手はいないが車が走り出したという例はよくあるわけです。それで乗っておる人もなければ運転手もいないのだが、車は動いた、これはまあ例の電車の暴走事件とは違いますが、実際そういうことはあり得る。その場合でも、保障はするということでございますね。
ですから、念を押しますれば、いかなる過失であろうが、自動車側にいかなる過失があろうが何しようが、運転手がいようがいまいが、動いておる自動車によって損害を受けた者は必ずこの法律によって賠償されるという意味でございますね。
わかりました。
先ほどの自動車の運行のことですが、第三条を読んでみると、「自己のために自動車を運行の用に供する者は、その運行によって他人の生命又は身体を害したときは、」とあるのであって、先ほど私が言ったように、自己のために運行してでもなければ何でもなくて、とまっているやつが、だれもおらぬのに、まあ子供がいたずらをして、いたずらしたためにすぐそれが動いたら、いたずらしたやつの責任になりますけれども、だれがいたずらしたか何かさっぱり原因不明で、ひとりで動き出したような場合には、これを三条の適用以外のものというふうになりはしませんか。
この「自己のために」ということをもう一ぺんはっきりしておきたいと思いますけれども、たとえば、自己のためではなくて、あるいは極端なことを言えば、近ごろよくあるように、強盗なりどろぼうが自動車を運転しておって、そしてその途中でかりに事故を起した場合には、一応、それはその車それ自身がこの保険に加入しておれば、自然これによって補償されるかもしれぬが、その根本のいわゆる補償責任というものは、一応この保険というものを離れて補償責任というものは、結局車の持主になるということですか。
ところが、これが営業用ではなくて、だれか自家用自動車か何か取られたような場合には、それでいいけれども、たとえば自家保険をやっておる業者なり団体なりの車がどろぼうにやられて、それは自家保険だから国家賠償の責めになっていない。そういう場合には、どろぼうがやったことまでこっちが知ったことかといって、それをはねつけた場合には、どういうことになりますか。
ああそうか、再保険するわけだね。
今の高木さんのタクシーの問題は、これは私、ひとり交通運輸だけの面じゃないと思う。金融の問題もむろんあると思うけれども、いわゆる日本の中小企業のこれは一つの模型図であって、お互いに競争が激しいからそういう状態になるのであって、その気息えんえんとして競争していれば、今度はそれにある程度の注射をすれば注射をしたで、また競争するようになる。それで競争状態というものは、私はほとんど永久に消えぬのだろうと思うのですが、世間が景気のいいときには幾らか皆の乗り手が多く、タクシーの料金も上り、あるいは自動車の乗り手もあるということで、しばらく浮き上ってくるけれども、また世間が寒い風が吹いてくると、みんなふところが締って、そういうところに落ちる金が比較
私は鮫洲の車両検査所、または運転手の新免許を申請する所へ行ったところが、あそこには毎日毎日、新しい運転手の免許申請者が山なすごとくいるわけです。やはりこれも一つの職業を求めておるので、免許を制限することになれば自動車の台数を制限することになる。私は事実自分で驚いたくらい、毎日大へんな人が免許を申請に行っているのですが、一方に台数の制限が起れば、これらは一応運転手にでもなって、多少技能を修得してそれで生活の道を求める者の口をふさぐことに実はなるのだから、さっきの議論を繰り返すみたいなようですが、そうなると、運転手があまり多くなれば、今度は運転手同士がお互いに身分を競争してくることになるから、運転手の免許をやるのも制限しなければならぬか
ちょっと、自動車局長にごく小さな問題について、かねがね聞こうと思っていたのだけれども、いなかと都会地とのタクシーの料金の開きが非常に大きいと思うのだ。これはつまり、お客さんが少い、需要度が少いという観点からだけよりほか、僕らは考えられないのだが、そういうことでああいう料金を判定してあるのか、どういうわけなのか。
まあ概念的に、大体そういうことは一応正しく考えられるけれども、これはまたなかなかむずかしい問題で、いなかといったってーー今の東京の運賃は一体これは六大都市ですか、一応それを聞いておきたい。
私の郷里へ帰ったときでも、あるいはこの間博多で乗ったときでも、自動車の利用度が割合に高いのだ。それをまた区別をつけるということもなかなか困難だろうが、やはり自動車はひっぱりだこで、けっこう繁昌して、いなかには珍しいくらい新しい新車などがずいぶん入っている。だから、こいつは割合に、東京ではしのぎを削ってやいやい言っているが、いなかでは割合にのんびりと今の料金でエンジョイしているのだなという気がしているのです。どうも、私は常にいなかへ旅行したときには、どうも東京でタクシーに乗らないおかげで、いなかへ行くとえらい高い気がしちゃって困っているのだけれども、それはそうですか。今のキロ当りの固定資産の負担が高くなるということが一応考えられるけれ
私は、今山縣委員が、過去二、三年のつまり計画造船の割当が、ある程度、まあ山縣さんの御意見に従えば、ゆがめられているような傾向にあったのです。ところが、私は昨年、一昨年あたりに運輸省当局に伺ったところによれば、日本の海運は戦争中から終戦と非常にひどい目にあって、船を沈められてしまって、そしてまた見返りに持っておった特殊預金はほとんど税金でとられてしまったということで、特にめんどうみるのだと、——まあそのほかにもいろいろなことがありますけれども、海運に特にそういう特典を与えてやってきたのだという説明が常に大部分を占めておったのであります。ところが、戦前または戦争中に中に何ら船に関係のなかった人が、造船その他船会社をこしらえて、それに新造
私は戦前だけしか知らないのですが、戦前のライナー、貨客ライナーとすれば、普通の、今調整部長が言うように概念的にも実際的にも変っておるが、戦前は大体において貨物だけのライナーと貨客混合のライナーと同じ航路の上に走っておったときもあるわけでありますけれども、特別な優秀船でない限りは、どんどん普通のトランパーが当時の優秀船——当時の社線に雇われてライナーの中に入っていっておると思うのですが、最近はどうしてそういうふうにトランパーとライナーというものがはっきり区別しなければならなくなったのか。それはスピードの関係なり、設備なり、多少船の構造にも関係があると思うのですが、そうそこに厳密な区別が私はないはずだ、船の利用価値としてはあり得べきはず
もう一ぺん伺っておきたいのですが、先ほど山縣さんの質疑応答で大体のことは想像できるのですが、それと運輸省の方針もほぼ察知するのですが、まあ計画建造の場合に、たとえばライナーだけ、あるいは先ほどのお話の系列化で、あるいは資金の援助あるいはその他で、自分の系列に属するものにかりに船を作らした。それでそれを何ばい持っているか知りませんが、そうしてそれはどこどこの定期航路に使うのだということで運輸省も、計画造船も、合理化審議会の方でもその線に沿ってやったところが、会社のことですから、いつ経営者が変るともこれは限らぬわけです。そしてまた船を持っておるほどのものは船が一つの財産ですから、しかもいつ手放したらいいのか持っていたらいいのか、問題にな