御承知のように国際労働機関で作成します条約は、いろいろな形をとっておりまして会議参加国が署名するという形式をとっておりませんで、この条約の末尾の方にも書いてございますように、署名いたしますのは国際労働事務局長だけでございます。それであとで参加せんと欲する国が批准書を寄託するということによって、正式の調印になるという、そういう手続にいたしております。この条約ができましたのは一九三五年の労働総会の第十九回に採択されたのであります。
御承知のように国際労働機関で作成します条約は、いろいろな形をとっておりまして会議参加国が署名するという形式をとっておりませんで、この条約の末尾の方にも書いてございますように、署名いたしますのは国際労働事務局長だけでございます。それであとで参加せんと欲する国が批准書を寄託するということによって、正式の調印になるという、そういう手続にいたしております。この条約ができましたのは一九三五年の労働総会の第十九回に採択されたのであります。
仰せはごもっともでございますが、先ほど労働省の方から御答弁申し上げましたように、何分日本は戦争中、戦後にかけまして十余年のギャップがございまして、その間国際労働機関に対する協力というものが軽視されておったわけであります。それが戦後、占領中からでございますが、日本は再びILO会議に参加することを認められまして自来国会の毎会期に必ず二、三の労働条約を提出いたしまして御審議を願っておるわけなのでございます。そこでいろいろの労働条約のうちで、労働省におかれまして優先順位に従いまして、早く入りたいものから入って参ったわけでございまして、このILOの加盟国であって、批准した条約の数からいいますと、日本は十余年のギャップがあったにもかかわらず、今
アメリカが国際労働条約を批准している数が少いのは事実でございます。その原因につきましては、後進国のように国際労働条約のレベルに達するような労働慣行が存在しない、おくれておるという意味ではむしろなく、先ほど労働省の方から御説明がございましたように、何分四十八の州の労働関係法規は州法で制定されることになっておりますので、アメリカというのは妙な国でございまして、非常に州がばらばらにいろいろなことを規定しておりますために、国家全体として条約の拘束を受けることが不可能な場合がある。そういう点が国際労働条約を批准する数が、アメリカとしては少くなっておる理由だと思います。
ソ連がILOに入って参りますときには、実は国際的には非常に注目されたわけでございます。全然国家体制の違う国が入ってきて一体どういう動きを示すかということは、国際的に注目されておりましたが、実際は毎年総会においてやっておることはそう大したことはないわけでございます。これはILOの純粋の立場から申しますと、あれを政治的宣伝の舞台に利用するということもそうできないだろうと思います。もっとも必ず会議のつど中共代表権の問題を持ち出してきましたりそういうことはございますが、ILOに入ってそういう動きは実は割合にない。その点は懐重に、全くリーズナブルに行動しておるように私どもは考えております。
ILOにおきましては、ソ連圏以外の国は、政府の代表と労働者代表と雇用者代表の三部面の代表が国の代表団を構成しておるわけでございますが、その点ソ連という特殊な国柄からいたしまして、政府と雇用者とは実は同一であるというように見まして、果してほかの国のような立場から一体ものが言えるかどうかという見方もあったわけであります。しかしソ連側は、先ほど申し上げましたように、私はソ連がおとなになったせいだと思うのでありますが、ユネコスにおきましてもILOにおきましても、そうむちゃな、常識をはずれた行動には出なくなったということであります。このようなリーズナブルな国際機関にソ連が出てくるということは、国際的に見て好ましいことであると私は存じます。
アメリカも、ソ連が入ってきましたときには、ほかの国と同様にどういうことをするか注目しておったようでありますが、その後のソ連の行動につきまして、このごろはそう大した関心を示してないようであります。
ILOは、国際機関の中で最も多くの参加国を擁しておる機関の一つでありまして、世界に八十何カ国あるといわれておりますが、すでにもう七十一カ国参加いたしておりまして、大体もう入り得るものはすべて入っておる。ネパールとかそういう特殊な国は入ってもしようがないと思いますが、入って意義のあるような国は全部入っております。
オランダ以外のその他の連合国につきましては、平和条約の第十四条で、戦時中日本政府、日本軍がとった行動によってこうむった損害その他の請求権を放棄するという規定がございますので、今さら米英豪その他の国は桑港条約を批准いたしました以上、法律的には日本側に何らの要求をなし得ないわけでございます。また事実におきましても、要求する意思はないようでございます。ただオランダだけにつきましてどうしてこういう措置をとるかと申しますと、桑港条約の調印の際にオランダ政府は、どうしてもこういう交換公文でもするのでなければ、自分の国は承認できないということを強く申しましたので、吉田全権とスティッケル外務大臣との間に交換公文を行いました。その交換公文の跡始末をつ
さなきだに賠償その他の莫大な負担を負っております日本といたしましては、精神的にはできたら自発的にやることはけっこうなことでありますが、実際問題といたしまして、連合国に広くそういう措置をとるということは不可能なわけでございます。それならなぜオランダだけにこういうことをやるかと申しますと、確かにオランダは特殊な地位にございます。私自身戦後最初の在外事務所長としてオランダに参りましたときに痛感いたしたのでありますけれども、あの狭い国に十何万人も戦時中日本人に苦しめられたオランダ人がそれぞれ国に帰りまして話すものですから、オランダ国中に対日悪感というものが強く行き渡っております。在外事務所で雇いますオランダ人のタイピストがカーテンを締めてく
抑留されました数につきましては、オランダ自身もぴたっと何十何人というところまでの正確な数字を持っておりません。そこで交渉の際に両方とも争わなかった数字は十一万人となっております。
仰せの通りでございます。軍人たるものは含んでおりません。軍人の捕虜の方は全然別でございます。
オランダ側の数字は死亡者が一万八千人、それから廃疾者が一万人と出ております。
男女別はただいま持っておりませんが、先ほどの死亡者一万八千人、廃疾者一万人のほかに、未亡人となった者、孤児となった者が一万一千人おります。 〔「オランダ人をいじめた方だろう」と呼び、その他発言する者あり〕
実はオランダ側との折衝の際に、先方は相当の資料を持っておるわけなのでありまするが、わが方は軍というものが解散いたしましたために、実は資料がないので非常に交渉に不便をこうむったことがあります。もちろん厚生省の復員局等で不十分な資料は持っておりますが、交渉の際に確信を持って使えるような資料ではなかったわけであります。私どももそういうような資料は実は全部オランダ側の資料によらざるを得なかったわけであります。従いまして公式の資料というものは軍なき今日私どもは出せないわけであります。しかしお話のような、私自身もオランダで見て参りましたが、たとえばジャカルタの郊外の住宅地域にオランダ人が住んでおった。住宅地の一角を赤線区域にしまして、そこでオラ
日本側の政府の資料がないために、オランダ側の資料を一応基礎として交渉いたしたわけでありますが、オランダ側は実はできるだけたくさんの金を日本側から取ろうという意図のもとに作成された資料で、それを実は日本政府が公式に先方の資料をそのまま右から左へと国会にお出しするということは、私多少考慮しなければならないと思いますので、その点は一つ御容赦願いたいと思います。
先ほど申しましたように、交渉の特定の意図のもとに先方が出した資料でございますから、政府側から公式に国会に資料として右から左に出すことは、どうも不適当と思いますので、もとより隠そうといたす意図は毛頭ございませんが、田中先生の御要求がおありなら、ずいぶん厚い資料がございますので、いつでもそれはお目にかけますから、それによりまして一つ御承知願いたいと思います。
食糧の不足の状況は、戦争末期には一日一千カロリー―普通二千四百カロリーから六百カロリーでございますが、一千カロリーまで低下したということでございます。実は日本の兵隊自身も運搬船が沈められまして、食糧その他が手に入りませんで相当苦心したのであって、必ずしもすべての場合に悪意でいじめたというわけではないのでございましょうが、ともかくヨーロッパ人の体格に対して千カロリーということは、相当なひどいものだったと思います。それからやむを得ず不消化物を供給しますために、下痢のような症状が非常に起り、その病人に対して薬をやろうと思っても、薬もまた輸送の途中で沈められるというような状況で、そういうことの手当もできないということで、悪疫が蔓延して死ぬと
そういう数字も実は手元にないのでございます。とにかく非常に不十分な、狭いところに大ぜい押し込めたということは事実だろうと思います。
衛生につきましては、医療器具機械、薬品その他の欠除、それからまた医師の数が足らないというような点かと思います。
最近の二十五名釈放前に巣鴨に百十一人おりました。従いましてただいま残っておりますのは八十六人であります。