現在の法案を御審議いただいている状況の中で、将来の問題についてどうこうするということを現在考えておりません。
現在の法案を御審議いただいている状況の中で、将来の問題についてどうこうするということを現在考えておりません。
委員お尋ねの医療全般に対する倫理に関しての不信感が国民の間に漂っていることは私は率直に認めなければならないと思います。それだけに、一般の医療におきましても医の倫理の確立ということが今日ほど求められている時代はございません。 特に、移植医療というものが行われるような時代になりました場合には、それに携わる医療スタッフはもちろんのこと、コーディネーター、あるいはまたそれを所管する官庁の職員までも含めて、すべての人たちが人間としての倫理というものを基盤にしてこの問題に対応していかなければならない。それがなければこのシステムというものは成り立つべきではない、私はそのように信じておりますので、今後とも大学の教育を通じましても倫理学の教育とい
修正案が出るということを新聞紙上では拝見いたしましたが、具体的にいつお出しになるとか、どういう内容のものかといったことはまだ何も伺っておりません。そういう段階で修正問題について発電を申し上げることは大変僭越だと存じております。
今、先生の御指摘の点はごもっともな御指摘だと思います。 原則として葬祭を主宰する者、これを中心に家族が協議するということが通常我々の社会では行われていることでございます。その範囲で合意が形成されるということを原則にとらえていくべきではなかろうか、私はこういうふうに考えております。
脳死判定の専門医制度というものをどうするかという問題がその前にあろうかと思います。 この問題につきましては、先生からの御提言を、今後この法案が審議され、さらに成立した過程におきまして以後も、各党それぞれ各国会議員の間において協議をしなければならない問題と思います。また、厚生省も所管官庁として脳死判定医を都道府県で指定制にするのかどうか、研修してきた医師のいわゆる経歴をどの程度尊重してそういう認定をするのか、こういうことがこれからの協議事項になろうかと考えております。
先生の日本医大での患者を実際にごらんになったことからお尋ねでございますが、私も何遍か脳死患者の状態を見てきております。そして、御家族が脳死状態に入った最初の判定を受けた後ずっと付き添われて、その病人の体をさすってお別れされている姿に現場で何遍も立ち会ってきました。 こういう立場に立って申しますと、先生の今言われたように、そのまま脳死判定を受けて、死亡診断書を書かれて連れていかれるようなことはできないなというお考えはごもっともだと思います。 あくまで国会は国民の代表者で構成されている院でございますから、特別委員会の先生方がそれぞれの政治家としての信念と良識に基づいてこの法案について御判断をされるために国会がございます。国会は委
参議院における臓器移植及び脳死の審議に当たって、脳死は果たして人の死かということが大きな問題であるという御指摘でございますけれども、やはり御指摘されている問題は、人間の死に関することでございますから、私は極めて重要なことだと認識をいたしております。 そこで、今までの死の三徴候というものは、医学の進歩あるいは進歩に関係なく、人が亡くなられるということは、医学を学んだ方でなくても人が死んだということの客観的な事実を十分認識される条件があると思います。 つまり、瞳孔の対光反応がなくなったとか、心臓がとまってしまっているとか、あるいは呼吸がとまってしまっている、こういったような状況が続けば、どなたがごらんになっても人が亡くなったと、
遺産相続の件につきましては、いわゆる脳死判定が行われ、さらに六時間後の再判定が行われた結果、死亡が診断された、それが御本人の生存中の意思あるいは御家族の反対によって脳死判定を受けないという場合については、先般も御答弁申し上げたように、自然死に至るまで治療を続けるということでございますから、遺産相続というものはこの死亡診断の時期から発生してくるものと考えております。 第二点、医療保険の適用で小泉厚生大臣が疑問を感じて投げかけているという御指摘でございますが、死体に対する治療というものを継続していくことについて、これはいかがなものかという御質問の御趣旨だろうと思います。 本来、亡くなられた方に対して医療行為を行うということ自身、
救急医療の現場では、医師及び医療のスタッフは全力を挙げて、その方の生命を維持するために全力投球して努力をいたしております。また、今後ともそうあるべきだと確信をいたしております。 第二点のお尋ねの人工呼吸器を外す問題、これはあくまで御家族の御同意というものが必要であろうと考えております。 第三番目の御質問の民間の保険会社の扱いにつきましては、これはあくまで民間の企業が考えている問題でございまして、この問題につきましては、政府の医療保険の取り扱い等の経過を見ながら、民間の保険会社におきましてもそれなりに独自の判断が行われるものと考えております。
性善説に立っておらなければこの法案を提案することができません。 第二点目の、先般の委員会において拒否権の問題について私が発言いたしましたことと厚生省の小林局長の答弁とに食い違いがあるのではないかと。 私も提案者の責任ある立場におきまして、先般も申し上げましたように、一昨日、大阪の市立総合医療センターに参りまして、救急部の責任の担当者といろいろ話をいたしました。そこで、拒否権という言葉が一番大きなひっかかりになるわけでありますが、実際の現場ではどうかという確認をいたしました。その場合に、医学の進歩によってこのような状況が生まれてきたわけだから、御家族の拒否権という形でなしに、あくまでも医療現場における医療の行為としてこれは認め
御本人が生存中に自分が臓器提供者になるということを文書をもって記録して残すということは当然でございますが、そこに法律家を立ち会わせると。法律家といってもいろいろございますから、普通一般に弁護士の資格を持った方に立ち会ってもらわないと遺書としての有効性が問われる可能性がある。その場合の問題は、果たして弁護士会との間での話し合いというものがこれから必要なのか、あるいは弁護士個人とそれから臓器提供者の御本人個人との間の話し合いで行っていけるのか。恐らく私は、個人と個人との関係が優先すべき問題だと思いますが、そこに一つの問題があろうかと思っております。 それから、自分が指定した家族あるいは遺族の中で個人的に指名するといったことが可能かど
その場合に、外国の法律で私どもがちょっと勉強しましたところでは、御本人に選択できる意思が脳死状態でないわけですから、生前にそれを決めておくということも一つの考え方としてはあろうかと思います。
これは現実の現場の担当のドクターたち、専門医の人たちの意見として、脳死状態に近づいてきたという症状が出てきますから、そのときに判定をするというのは医療現場にいる医師の医療行為の一つというふうに判断をすべきであって、そこで脳死状態に入ったと。つまり、死のプロセスが始まったというときに、二回目の検査が六時間後に行われるということですが、そのときに御家族にはインフォームド・コンセントで十分御説明を医師としてはするのが責任だと思っております。御家族が第二回目の判定を受けるのは嫌ですよといったような同意をされない場合には、結果としてその判定を行うことはできないと、こういうふうに理解をしております。
拒否権という言葉を私先ほども御質問のときに申し上げましたけれども、前回拒否権という言葉を使いましたが、結果として拒否した形になると思います。つまり、御家族が同意しないわけですから。だから、それはあくまでも法律的な用語としてこれを問題として、この拒否権を冒頭から、第一回目の脳死状態が近づいたときに現場のドクターたちが脳死判定をする医療的な行為を行うごとに拒否権を発動するというようなことだった場合には医学の進歩に大きな障害が起こってくると、こういうのが現場の専門医の御意見でございました。
脳死状態に近づいたときにはそれに関する症状が既に出ているわけですから、そこで今まで脳死判定の技術というものが開発されていない場合、それを権利として名づけるのか、同意しないことを権利と言うのか、それとも医師と患者、家族の間の話し合いによっての同意かどうかということについての言葉の使い方、私はそこは、先生は法律専門家でいらっしゃるから、立法の府で当然拒否権があるかないかということを確認しようという御趣旨でされておりますけれども、現実の問題として、医療の現場で私が聞いてきました話では、拒否権という言葉を使ってしまったならば例えば医療行為に対する大きな制限が行われるという答えでございました。
今、佐藤委員からの御指摘も私どもは十分考えております。 病理解剖する場合でも、めったに来ない親類の人が来て反対をしたために、同居の親族が賛成しておってもできないというケースも私もたびたび経験してまいりました。 そういうことで、この臓器移植の問題に限っては、御本人の指名された方、家族の同意を中心に、その方が全体を取りまとめていかれるという結果に基づかなければならないと考えております。
関根委員の御質問にお答えいたします。 脳死をもって人の死とすることでいいのかという御質問でございますが、本法案は、脳死臨調の答申においても述べられておりますように、脳死をもって人の死とすることについてはおおむね社会的に合意はされているという、この社会的な合意を前提にして臓器移植に関する事項を内容とする法案として提案されているものでございまして、この法律によって人の死を定義したり、その範囲を変更したりするような性格のものではございません。 なお、委員御指摘のように、臓器移植に関係なく、すべての人に脳死をもって人の死とするのか、あるいは臓器移植の場合に限って脳死を人の死とすべきかという点につきまして、脳死臨調におきましても検討の
人の死というものは、いわゆる生物体としての個体の死と社会的な死の概念というものが二つ存在していると思います。 そういう中で、医学的に見て、生物である人間の個体の死という考え方は、社会通念上は、心臓がとまっている、呼吸が停止している、あるいはまた瞳孔の対光反応が消失しているといったような従来の死の三徴候説で、人は皆人が死んだという認識を持っておりました。しかし、医学の進歩の中で、脳死というものが存在するというような学会報告をなされたのが今世紀の初頭でございまして、一九五〇年ごろになりますと人工呼吸器ができてきて、いわゆる人間が呼吸をするということを機械的に行うような、科学技術の進歩によって機械が開発される。それによって呼吸が行われ
たびたびの御質問で恐縮に存じますが、脳死は人の死であるということはあくまでも死の診断法の一つというふうに御理解をいただきたいと思います。
そのとおりでございます。