先生お尋ねの点はきわめて重要な問題でございまして、納税者である国民の側から見て、どうも人事管理にルーズな点がある、信賞必罰でやはり成績優秀な者に限って特別昇給を認めるという原則に立って各省とも一つの基準を決めなければならないと、このように考えております。
先生お尋ねの点はきわめて重要な問題でございまして、納税者である国民の側から見て、どうも人事管理にルーズな点がある、信賞必罰でやはり成績優秀な者に限って特別昇給を認めるという原則に立って各省とも一つの基準を決めなければならないと、このように考えております。
先生の御指摘の点はきわめて重要な点でございますので、十分御趣旨を踏まえてそのように努力をしてまいりたいと、このように考えております。
五十七年度以降の同和対策事業をどうするかと。いまの問題も含めてでございますけれども、いろいろと同和対策協議会の中間答申等も踏まえまして、政府は、八月二十八日の関係閣僚の協議によって、今後一定期間同和対策事業をやる必要があるということは認めるけれども、なお、今後のいわゆる事業の執行については効率かつ有効にその施策をすることが必要であるということで閣僚が同意をいたしまして、総理のいわゆる承認もいただいております。そのようなことで今後は運営をしてまいるべきであろうと考えております。
先生御指摘の人事院勧告に関しましては、八月七日に五・二三%の引き上げを勧告してこられたわけでございます。その日に給与関係閣僚会議を開き、国の財政事情等も関係閣僚で相談をいたしましたが、その当時財政収入というものがきわめて悪い。昨年も御案内のように、八月に勧告をいただいてから四回給与関係閣僚会議を開いて、非常に財源難の中を十月の二十八日の深夜に第四回の給与関係閣僚会議で完全実施ということになったわけでございますが、今年は昨年に比べましてさらに税収の状況が非常に悪いという中で、二度日の会議を九月十八日に開きました。その時点におきましても大蔵当局からはなお税収の見通しが立たない、こういうことでございまして、私どもとしては、今日までの組合の
お尋ねの、沖縄本土復帰十年を機にして政府主催の記念行事をやるかどうかというお尋ねでございます。 御案内のように、この沖縄の本土復帰に際しましては、沖縄県民もこぞって本土復帰を願望され、また各会派も国会での御決議もいただき、政府の必死の努力で、歴史の上でかつて見ない、戦火を交えずに領土が返ってきたわけでございます。こういうことを踏まえまして、政府といたしましては来年の五月十五日、政府主催で、また地方公共団体、民間の方々にも御相談を申し上げて、この記念すべき行事をぜひ行いたい、このように考えております。
われわれ日本民族の歴史の中で、米軍占領下のこの数十年に及ぶ行政の記録といいますか、そういうものは米国の国立公文書館に保存をされておりまして、米国の国内法でいわゆる公開されたものは次第に入手されておりますけれども、大半の部分はまだ米国の公文書館に内蔵されておる、こういうことでございまして、ぜひひとつ明年迎える十周年記念として、米国政府に外務省を通じてこういうふうな貴重な資料を日本のために提供していただくように交渉を近く始めたいと考えております。
人事院勧告制度についてお尋ねでございます。 人事院勧告制度そのもの、つまり民間給与との比較だけではなくて、退職金、共済年金を含む生涯賃金、また民間における生産性、企業努力、また国の財政事情等を考慮したものであるべきではないかというお尋ねでございますが、この人事院勧告制度というものは、公務員の給与決定、この今日の仕組みというものは、昭和四十五年以来、日本の安定した労使関係というものをつくり上げるのに非常に大きな貢献をし、それが一つの基盤となって日本の経済発展に寄与をしたことも事実でございます。 しかし、最近における経済の変化、これから到来しようとする新しい国際経済社会の環境の変化等に備えて、この日本の公務員制度全般にわたる改善
人事院自身に任せたらどうかという御意見を承ったわけでありますが、組織として見た場合に、人事院の長い経験あるいは考え方というものが絶えず前向きに動いていることは私は否定するものではございません。 しかし、制度そのものが根本的にどう改革するべきかとか、あるいはその制度が十分機能しているかどうかということは、むしろ第三者的に検討を加えることも必要であろう。こういうことで私は、人事院は人事院としてみずからの制度、そういうものについてよりよきものを求めていくということにも一つの理念があるでありましょうし、また片方、第三者として臨調が人事院制度がいかにあるべきかということについていわゆる評価することもきわめて国家のために必要であろう、このよ
先生御指摘の点は、その御指摘のとおり、現行の退職手当法は戦前からの諸事情がございます。それに基づいて今日まで運用されてきておりますが、六十年度に際しての見直しの際に、いまの御議論あるいは問題点等を踏まえまして、このような事情も踏まえて各方面の御意見も聞きながら対処してまいりたいと、このように考えております。
現行退職手当法は、戦前からの諸事情等に基づきまして御指摘のような広範な適用対象になっておりますし、また国家公務員等の共済組合の制度と相まって今日まで安定した運用を続けてまいっておりますが、昭和六十年めどにこの制度の見直しが行われることになっておりますので、その際には御指摘の点も十分踏まえ、各方面の御意見を聞きながら慎重に対処してまいりたいと考えております。
総理がお答えになる前に一言申し上げておきます。 歴代内閣がやってきたことを鈴木内閣でやらないのかと、こう御指摘でございますが、昨年度鈴木内閣が成立以来、やはり人事院勧告を受けました八月の以降、給与関係閣僚会議を四回にわたって開きまして、昨年の一昨日、実は第四回の給与関係閣僚会議で決着を見たわけでございまして、政府は引き続き今年も誠意を持ってこの安定した労使関係を維持するために現在努力中でございますので、そのように御理解を賜りたいと思います。
退職手当の法案の一部改正は、先生も御案内のとおりに、五年ごとの人事院の調査に基づいてやっておりまして、前回は民間と比べて公務員の退職手当が二割安いと、こういうことで二割の引き上げをこの国会で承認していただいたわけでございますが、今回も五年目の人事院の調査で、前回と同じシステムで調査の結果、民間よりも一割高いという結果が出ましたので今回法案の修正をお願いしているところでございまして、決して公務員の諸君の行苦労を忘れることなく、絶えずわれわれは、まじめな公務員に対しては、国民の信託にこたえるように働いていただけばそれだけのことを十分誠意を持って行うという精神に徹しております。
ただいまの附帯決議につきましては、御趣旨を踏まえつつ今後十分検討してまいる所存でございます。
昨日の朝刊の記事に関してお尋ねでございますが、実は私もその記事を見ましてびっくりをいたしました。こういうことをどこでだれがしゃべったのか、私には全く知らないことでございまして、担当の大臣としては本当に驚愕をしたというのが実情でございます。
私は人事院総裁の見解と全く一緒でございます。
先生のお話で、給与担当の大臣として私が日経連に何か物を申せということでございますけれども、政府は法律の定めによって第三者中立機関として人事院の設置をいたしております。政府は、人事院の勧告によってすべて公務員の給与等あるいは退職手当等につきましてもその意見を尊重してまいるという一貫した姿勢をとっておりますので、日経連の問題につきましては人事院がすべて判断をし、そうして日経連が誤りがあれば謝るというようなことは日経連のことでございまして、政府との関係というものはあくまでも人事院の勧告というものを私は基本にしたい、また人事院の調査というものを政府は一貫して信頼する立場になければならないと考えております。
私も、人事院の考え方と日経連の考え方、あるいは計算、数値の違いというものについては、いまいろいろ先生がデータをお示してございますけれども、公的な政府の立場として、やはりこの人事院の勧告とか人事院の調査というものに絶対に信頼を置かなければ政府としては成り立たないと、私はそのような考えに立っております。いろんな労働関係の調査機関もございます。あるいは経営者団体もございまして、いろいろの意見を申し述べておりますけれども、政府はやはり何と申しましても、この厳正な中立機関と言われる人事院が調査をし、人事院が物を言ったことに対して、政府は絶対信頼をしなければならない、そういう立場におると思います。 こういうふうな日経連の調査が間違っていると
委員長、ちょっと一言。 先生の御主張もよく私拝聴さしていただいております。ただ、給与関係の担当大臣として、例年給与関係閣僚会議で、やはり人事院勧告が出されて、その勧告を政府が受けてどうするかということの協議の場には、日経連のいわゆるデータなどというものは紙一枚出ておりません。あくまでも中立機関である人事院の勧告の資料のみでございますので、その点はひとつ、われわれは人事院が中心である、これが第三者機関として公正、厳正なものという立場は今後とも貫いていかなければならないと、そのように思っておりますので、その点はひとつ人事院の立場も御信用いただいて、私は冷静な世論は必ず正しいものに味方すると、このように信じております。
せっかくのおしかりでございますが、ひとつ法案を撤回するということはどうも私の方でいたしかねるということでございます。
先生の御指摘の時代は日本のいわば復興期でございまして、民間もまた公務員の方々も大変やっぱり苦しい戦後ということではなかったかと思います。せっかく労使双方の苦労で、苦労が実って四十五年から完全実施というような形になってまいった、その一つの戦後の過程であったというふうに認識をしております。