いま私申しましたのは、簡単にまとめれば七項目と申し上げたのですが、レフチェンコ自身は具体的に十項目を挙げております。その中に先生がいま言われた問題として、第四項目目に「日米中の反ソ三国協力関係の形成の可能性を如何なる手段を使つても除去すること。」これがその一つの目的であった。 その次の項目として、第五項目目に「まず、自民党の、そしてその後、社会党の著名な政治家の間に、新しい親ソ・ロビーを作ること。」が目的であったということも言っております。
いま私申しましたのは、簡単にまとめれば七項目と申し上げたのですが、レフチェンコ自身は具体的に十項目を挙げております。その中に先生がいま言われた問題として、第四項目目に「日米中の反ソ三国協力関係の形成の可能性を如何なる手段を使つても除去すること。」これがその一つの目的であった。 その次の項目として、第五項目目に「まず、自民党の、そしてその後、社会党の著名な政治家の間に、新しい親ソ・ロビーを作ること。」が目的であったということも言っております。
必ずしも私、レフチェンコが東京に来てだれと最初に親しくなったのか、そこまでは承知しておりません。
これは、昨年十二月九日に、先ほどから問題になっております証言録が公表されまして、その主要点は日本の各紙も大々的に報道いたしました。私たちのソ連課におきましても大体主要点をまとめまして、関心を抱かれておられる国会の先生方あるいはプレスの方にお配りしたのがこの五十七年十二月十日付の資料です。大体新聞に報道されたものと内容は同じでございます。
「着任後二週目に、自分の前任者が日本社会党の著名人物に自分を紹介してくれた。」
この書面は私の課員が仮訳したものですから、英文的に一〇〇%正しいかどうかは別として、大体そのような表現はこの中にございます。
まず、先ほどお示ししました分厚い英文の資料、これは下院の公聴会の書類でございます。もともと秘密聴聞会として行われたものですけれども、秘密聴聞会で現実に行われたものと公表されたものとの間にはほとんど違いはないというふうに私は聞いております。 それから、いまのいろいろな関係人物の個々の名前、まさにそういったものを含めた関連情報について、外務省が外交ルートで現在米国政府に対して情報を求めておる。こういう状況でございます。
米国政府に、具体的には国務省でございますが、要請いたしましたのは一月の末でございます。今日まで時間がかかっておりますのは、私の全くの推測でございますが、一月の末以降、シュルツ国務長官及び日本関係の上級国務省員がずっと中国、日本その他を旅行して歩いていたということで、そういうことと関係があるんじゃないかと思っております。私の全くの推察ですが、現在は恐らく国務省はCIAその他の関係省庁と、どういうふうに日本に対応するか協議中ではないかと考えております。 〔羽田野委員長代理退席、委員長着席〕
外務省におきまして主管課長として朝から晩まで、いわば夜中まで毎日ソ連を問題にしている私といたしましては、はっきり申し上げて、日本の中で私ほどこの問題に関心を持っている者はないと思っております。真剣に取り組んでおるつもりです。 それから、本の点につきましては、レフチェンコ自身が昨年の十二月に記者会見で述べておりますが、ジョン・バロンという人間がおります。これはリーダーズダイジェストの幹部でございまして、いままで「KGB」という、大変にこれもベストセラーの本を出した男です。それから、たしかミグ25事件についても本を書いております。このジョン・バロンがレフチェンコの東京におきますところの活動に大変興味を持ちまして、レフチェンコと二人で
先ほど官房長官も御答弁しておられたとおりでございます。結論的に、官房長官の申し上げたことに私としてもつけ加えることはなく、先生の問題意識はよくわかります。
まず第一に、先生が言われたこと、きわめてもっともなことで、私は何らの異論ございません。 現在、外務省がやっておりますことは、レフチェンコが亡命したときに、先ほども官房長官が言われましたけれども、CIAを初めとするアメリカの関係の省庁がレフチェンコから一定の話を聞いたであろうということは常識だと思います。それで、レフチェンコが本当にどういうことを言い、どういう活動をしていたのかということについて外務省として知りたいということを要請しておるわけです。 外務省としては、流れてくる情報がすべてそのまま正しいというふうに考えるほど私たちの組織は単純ではございません。私たちは、そういう情報が来た場合に警察当局その他に裏づけをしてもらう、
お答え申し上げます。 日本はソ連の隣国といたしまして、日ソ関係を良好に発展させたいというふうに考えておることは御承知のとおりでございます。しかしながら、まさに先生御自身いま言われましたとおり、最近の日ソ関係は必ずしも良好な発展の姿は見せていない。私たちといたしましては、この理由は二つありまして、一つは、領土問題を初めとする日ソ間のバイの関係の問題がそういう要因となっておる。もう一つの問題は、アフガン問題に象徴されますところの国際社会におきますソ連の行動の問題が理由となっておるということでございます。 〔委員長退席、川田委員長代理着席〕 このような問題を解決するためにも、政府といたしましては、あらゆる機会にソ連側と政
お答え申し上げます。 サハリン・プロジェクトの問題につきましては、岡田先生自身先ほど言及されましたとおり、日本政府といたしましては、総理以下、外務大臣、通産大臣、関係の大臣が、あらゆる機会にアメリカ側にいろいろ要請をしてまいったわけですが、残念ながらポーランド問題との関連でアメリカは日本側の要請を認めなかった。私たちの認識では、アメリカの頭に特にありましたのはヨーロッパのヤンブルグ・プロジェクトであろうと思います。それとの関連で、いわば日本側のサハリンのプロジェクトが飛ばっちりを受けた、そういう状況ではないかなというふうに感じます。 私たちといたしましても、アメリカ側の決定の再考ということをいろいろなレベルで求めておりますし
伊東元外務大臣のお名前が出ましたので、私の方から御答弁させていただきたいと思います。 いろいろな考え方があろうかと思いますけれども、私は、日ソ間の貿易関係を進める場合に、主として次の四点が基本的な指針といいますか考え方になるべきものではないかと考えております。 まず第一点は、日ソ間の経済関係を進めていく場合に、日ソ間の領土問題が解決しておらない、平和条約がないという、そういう政治の状況を全く無視して経済だけを進めていくということはやはりできないのではないか。そういう意味では政経不可分といいますか、そういう考え方が一つあるであろう。 それから二番目は、日ソ間の貿易経済関係を進めていく場合に、そのときどきの日ソを取り巻く国際
お答え申し上げます。 アフガン及びポーランドとの関連におきますところの状況の中で個々の経済案件をどう進めていくかという点につきましては、まさにケース・バイ・ケースでアメリカ、ヨーロッパとの協調といったような問題を考えながら対処していきたい、これはいまも変わっておりません。
お答え申し上げます。 勾留から刑の確定までの期間につきまして、特に最近新しい変化が出てきておるというふうに私は実は認識しておらなかったのですけれども、先生せっかくの御指摘でございますので、調べまして何か新しい点がありましたら、別途後刻、先生のところに御報告に参りたい、こういうふうに考えます。 なお、個々のいろいろなケースにつきまして、根室その他の現地から外務省にも要請が来ておりまして、それにつきましては、その都度モスクワに取り次いでおります。たとえば最近のケースでは、お母さんが拿捕されて子供さんが非常に困っておるとか、あるいは別途拿捕された御婦人の心臓が悪いので何とかこれだけは特別にしてくれというようないろいろなケースにつき
お答え申し上げます。 北方領土問題解決の基本的な考え方は、私は二つに分かれると思います。 一つは、外交上ソ連に対していかなる交渉をしていくかという対外折衝の問題。それから二つ目は、対外折衝をしていく上において国内的な基盤がきわめて重要でございまして、つまりそればまさに世論の問題でありあるいは国内における関係者の領土問題に対する関心の度合い、そういったものが、いま高橋先生が申し上げた二百海里の問題でありますとかあるいは北方領土問題、占拠されていることからくるいろいろな問題との関係で、そういう要求をする強い考え方が揺るがないという国内の対策、この二つに分かれて、対外折衝と国内対策というものが合わさって初めて基本的な方針というもの
お答えいたします。 恐らく先生が聞いておられますのは、カイロ宣言の中におきまして、日本が暴力及びどん欲により略取した地域は取り戻さなくてはいかぬ、そういう規定があることを指しておられると考えます。
領土不拡大の原則も含まれております。
サンフランシスコ平和会議、一九五一年九月八日でございますが、そこにおきまして吉田全権は、千島列島及び南樺太の地域は日本が侵略によって奪取したものだとのソ連全権の主張は承服しかねます、日本開国の当時、千島南部の二島、国後、択捉両島が日本領であることについては帝政ロシアも何ら異議を差し挟んでおりませんでした、また、北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島もずっと日本の領土であった云云、そういうことをはっきりと表明しておるわけでございます。
お答えいたします。 この点につきましては、瀬長先生御自身が先ほど引用になりました一八五五年の条約、一八七五年の条約、これをごらんいただきますとはっきりとおわかりいただけますとおり、千島列島というものは得撫以北の十八島を指しているのであるということは、まさに一八五五年以来の当時のロシア帝国の認識でもあり、日本政府の認識でもあります。したがいまして、千島列島とは何かと言われた場合の認識につきましては、政府としては一貫しておりまして、それがいつかの時点で変わったというようなことはございません。